朱の月

1話‐9‐

「ねぇ! ちょっと気になってたんだけど!」
「なんだ!」
「ファイって側近なんでしょ!? なのに王宮に戻らなくていいの!?」
「よくないから連絡とらせたんだろ!」
「そういう問題!?」
 なら連絡取れないと言えば王宮に戻れていたのだろうか。ひねくれたことを考えながら、咳払いをする。大声を出し続けているせいで枯れそうになっているからだ。
 あったかいお風呂に入りたい、ふかふかのベッドにもぐりたい、そんな些細で叶わない夢を思い、目の前の景色を長いこと遮っている雨をにらんだ。
 村を出て約半刻。周りに木以外なにもない森の中で、レオナたちは足止めをくらっていた。村にも戻れない、駅には遠すぎるこの位置で、自分たちの声も聞こえないほどの豪雨のために。
 あまりにも強すぎて会話がままならないうえに、走っていけばなんとかなる、という希望すら持てない。手をかざしてみると、痛いのだ。手をそのまま雨に打たせ続けることができず、重しでも乗せられているようだ。
 今はなんとか葉の茂っている木の下に避難しているが、他は雨宿りなどできそうもないそればかり。
「だから村出るとき嫌な予感するって言ったじゃーん…」
「なんか言ったか!?」
「言ってない!」
 めまいがして木にもたれる。声を張り上げているから、酸欠になったのかもしれない。
 隣の男を見ると、レオナとは対照的になにやら嬉しそうだ。雨が降り始めてからというもの、飽きることなく空を見続けている。
「雨、見てて楽しいの!?」
 聞いたのに特に意味はなかった。ただ、なぜ嬉しそうなのか疑問に感じただけだ。
 自分はいつ止むのか、まだ降るのか、髪が湿気でひどいことになってしまったし、顔もべたべたしているし、早くお風呂に…いや、そこまで贅沢は言わない。せめて屋根の下に入りたいと切実に願っているだけだというのに。
 ファイはゆっくりと振り向くと、にやりと口角を上げて倒れるようにして、レオナの隣に同じようにもたれかかった。
「雨って、自然の中でもすごいものだと思うんだよな」
 声があまりにも近くからして、反射的に身を引いた。目を見開いて見ると、反応が面白かったのか満足そうな笑みを浮かべている。
 耳元でささやかれた。
 実際にはささやく程度の声量ではない。大声よりは喉に負担がないほうがいいと、近づいただけだろう。
 そんなことはわかっているのだが、反則ではないか。つい先ほど、不覚にも笑顔にときめいてしまったのだ。つまり今、精神的にファイに対して不安定なわけで。
(不意打ちだから仕方ない、浮気じゃない浮気じゃない!)
 おそらく赤くなっているであろう顔で悔し紛れに思いっきりにらんでやってから、再び木に寄りかかり顔を近づける。
「なに、それ」
「恵みの雨…とかよく言うだろ。人も動物も植物も大地も、雨がなければ生きてはいけない。すべてを洗い流す、神の涙。流れるのはなんの為? 悲しみか、喜びか、怒りか、絶望か」
 ファイらしくない言葉だった。国の兵士として仕える者が、神のような不確かな存在を信じているとは聞いたことがない。魔術師ならともかくだが。
 表情は相変わらず微笑みを浮かべたまま。しかしレオナがのぞく横顔はどこか淋しそうに感じた。いつもの自信や傲慢さ、余裕が欠片も見えない。
「……ファ」「あっれー? こんなとこに人がいるー」
 聞いたことのない、軽い声だった。
「なんか邪魔しちゃったかしらん?」
 短い丈のスカートに、露出の多い服。見るからに気の強そうな、濃い目の化粧を施した若い女だった。
 掛けられた言葉になにか誤解されていると気付き、彼女に反論しようと口を開いて、ふと気づいた。
 なぜ声がこんなにも普通に聞こえるのだ?
「…雨が…」
「雨ってうざいじゃん?」
 同じことを感じていたらしいファイの独白でさえ聞こえるほど、とめどなく降っていた雨がいつのまにか止んでいた。
 彼女は肩をすくめ、心底嫌っているように言う。
 まるで彼女が雨を止めたような口ぶり。そんなことありえない。あんなに激しく、かなりの広範囲で降っていたのに。
「…え、なんで?」
 見渡せば、確かに雨は降っていた。レオナたちがいる木を中心とした範囲を除いて。
「だぁからぁー、雨、うざいじゃん」
「これ、あなたが?」
「あたし以外にだれがいんのよ」
 大したことでもないように言い、距離を縮めてきた。
 ふーんと言いながら、無遠慮に2人の頭からつま先までまじまじと眺められ、どこかで感じた居心地の悪さを思い出す。
「あんた、何者だ」
「お兄さん結構いい男だねー。この子彼女?」
「聞いてるのは俺だ」
「いやーん、つれないなー。答えなくてもどうせわかってんでしょ?」
「…魔伎か」
「せいっかーい」
 ウインクしてみせた彼女は、予想通りの者だった。天から降ってくる雨を、道具を使わずに防ぐなど、できるのはこの国では魔伎だけだ。
 彼女の外見的には魔伎の特徴は見られないが、ある程度力のある魔術師は外見を変えることも多い。わかりやすい髪や瞳の色を変えるだけであったり、容姿すべてや性別まで変えるものもいる。現在ではこの術を使えるほどの魔術師ならばほとんどが専魔師になっているため、滅多に見かけない術でもある。
 ファイに向かっていた彼女がレオナに目を向ける。
「これ、どうやってるかわかる?」
 挑戦的な瞳だった。レオナのことを魔伎とわかった上で聞いているのだ。
 “お前には、これが理解できるか”と。
「…わかる」
 負けたくない。
 実戦経験はほとんどないが、知識だけはどんな魔伎よりも持っている自信はある。消えてしまった兄を追うため、知識のなさで後悔だけはしたくないから。
 いくら優れた魔術師でも、天候を変えることはできない。離れたところの雨はいまだに降り続けているようだし、やはりこの空間にだけ術を施しているのだ。
 となると考えられるのは2つ。結界と空間制御。
 結界であれば術者の意図するものを排除することができるし、空間制御であれば“晴れている状態”を保っておくことができる。どちらも簡単な術ではないが。
 空間制御はその範囲に印を刻まなければならないはずだから、
「結界でしょ?」
「どういう?」
「“雨”に働きかけている結界。人やモノには反応しないように、少し手間を掛けてる」
「わざわざ手間を掛けた理由は?」
「たぶん、仲間が一緒なんでしょう? 別行動してるから結界内にはずっといてくれないけど、弾くわけにはいかない。個人を指定して結界内に閉じ込めたり侵入を自由にするよりは、“雨”だけを指定して排除したほうが楽だから」
「ふーん」
 再び品定めでもするかのように眺められ、目があったところで破顔した。
「あったりー! なかなかやるじゃーん! なめてたわ!」
 肩を思いっきりはたかれ、ファイに倒れこむ。
「んじゃ、またどっかで会おうねん♪」
「あ、待て!」
 レオナを支えたファイの伸ばした手は届くことなく、彼女の姿は雨の向こうに消えていった。



*



「キーラ、どこに行ってたんだ?」
 キーラがいない間雨宿りしていた木の下に、やっと彼女が戻ってきた。周りの雨が防がれて、静寂が訪れる。
「いーいもん見っけてきたの」
「いいもの?」
 珍しく、本当に面白そうに言う彼女の言葉に、少し興味を示す。
「なんとなくわかってはいるんでしょ? 面白い素材がふたーつ」
「さぁ、僕にはわからないな」
「あんたは考えてることがわかんないのが嫌い。そっち系の魔術勉強しとくんだったかなー」
「そんなこと言わないでくれよ」
 ぶつぶつと文句を言われながら、微笑みを浮かべて先を促す。
 彼が現地を後にしてしばらく経つ。任務完了の報告は聞いていたし、彼が失敗や隠し事をするとは考えにくいが、早く確認に向かったほうがいいだろう。
「その無駄な笑いも嫌ーい。さっさと行くよ、ジェイク」
 キーラを待っていたのだが、自分のせいと言わんばかりの口ぶりに内心苦笑し、黙ってついていく。彼女の来た先を振り返り、遠くに感じている気配をもう一度だけしっかりと確認する。
 この距離なら彼女は気が付かないだろう。かなり魔力を消費しているようだし。
「…またね、レオナ」
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