朱の月

1話‐8‐

 幼少期から、「国のため、お仕えすることになる王族の方のために強くあれ」と繰り返し言われてきた。自分の生きる意味は、価値はそれしかなかった。
 だからこそ毎日血反吐を吐きながら厳しい訓練にも耐え、主に仕えるのにふさわしい人物になるために様々なことを学んだ。敵を作らないように好人物を演じ、厳しさも示し、よほどのことがない限り冷静さを欠かないようにしてきた。
 結果、異例の若さで近衛兵士さらには第二王子ヴァレリオの側近にまで上り詰め、王宮内での地位を確立した。王都内のみならず国内にできる限り気を張り、少々手間のかかることでも自身が動く。必要とあらば、手を汚しもした。
 これもすべて、ヴァレリオを王にするため。
 それがどういうことだ。たった1人の男相手に―― まったく、歯が立たないなんて。
「兄ちゃん、割とやるな。ただの人間が俺を相手にしてまだ生きてるとは、なかなかいないぜ?」
 目の前で余裕そうに笑みを浮かべる男をにらんだ。
 いや、実際余裕なのだろう。汗と土埃、そして全身に傷を負っている自分とは違い、彼は息を乱してもいないのだから。
 なぜガジェットがヘヴルシオンについているのだろう。雇われたのか、…まさか組織と同じ思惑を抱いているとは考えにくいが。
「――…あんたよぉ、今の王政に不満とか疑問を感じたこと、ねぇか?」
「…戯言を」
「戯言じゃねぇよ? あんただって感じてるはずだ。この国には力がある。それをなぜ使わない? 隣国はこの国を常に狙ってる。俺らなら…グ」
 後ろから飛んできた風の刃を、ガジェットは振り向かないままかわし、言葉を途切れさせた。
 わざと大きく嘆息する。
「ま、俺には関係ないがな」
 ガジェットが言い終えてから顔を向けた先には、家から出てきていたレオナの姿があった。彼女は見るからに疲弊しており、手は真っ赤に染まっている。
 視線が合うと、目を伏せてゆっくりと首を振った。
「魔術師の相手はめんどくせぇんだよなー。任務はあいつらの尻拭いだし、さっさと退散させてもらう」
「させるか!」
 堂々と背を向けたガジェットに、ファイは間合いを詰めた。
 逃がすわけにはいかない。この男からはヘヴルシオンに関する情報を引き出さなければ。
 しかし、ファイの剣がガジェットに触れることはなかった。同時に襲ったらしいレオナの攻撃も、大剣によって軽々と防がれてしまった。
「…めんどくせぇとは言ったが、相手にできないって意味じゃねぇぞ」
 強烈な蹴りがみぞおちを直撃した。数メートル飛ばされ、軽く意識が薄れる。レオナが自身の名を叫ぶのが聞こえたが、応えることはできなかった。
「ん? 嬢ちゃん、どっかで会ったことあるか?」
「…古い手の、ナンパですか?」
「ははっ! 冷てぇなぁー。また今度会ったらデートでもしてもらおうかね。…あぁ、そう」
 なにか光るものが投げられたかと思うと、それはまっすぐに捕えていた5人の男たちの急所に刺さり、息を呑む。満足そうに再び背を向けたガジェットに、今度はなにもすることができなかった。
「ファイ…! ひどい怪我!」
「命に別状はない、気にするな。…ランカは」
「彼女は無事。今、アドルフさんのそばにいる」
 そうかと小さく呟いて、それ以上ファイは聞いてはこなかった。アドルフの生死についてはもう理解しているのだろう。
 ―― 彼を助けることはできなかった。
 術は成功し、傷を塞いである程度回復もできた。それでも、もう手遅れだった。
「やつらに繋がる手がかりはなし、か。…悪い」
 すでに息のない男たちの亡骸を見て力なく言ったファイに、掛けられる言葉などなかった。アドルフを救えなかったのはレオナだ。目的はなにひとつ達成していない。ただただ、自分の無力さを思い知らされただけだった。


 アドルフを整え、ランカの背中をさすってやっていたら、ファイがやっと入ってきた。まだ血の広がる部屋の中を見て一瞬眉根を寄せる。
 力なく、それでも背筋の伸びた歩きで彼の側に寄り、膝をつける。
「アドルフ殿。申し訳ありませんでした。…私は…やはりまだ、甘かったようですね」
 その横顔は、いつもの自信に満ち溢れた彼からは想像できないほど弱かった。驚いているのは隣のランカも同じようで、涙を止めて目をぱちくりとさせている。
 なにか声を掛けたほうがいのだろうか。しかし自分だってアドルフを救えず、みすみす口封じまでさせてしまったのだ。
 慰め? 励まし? 叱咤? どれも自分が彼に与えられるものではない。
(やっぱり私が何か言ったって…でも今のあいつの様子じゃ…)
「おい。聞いているのか?」
「わぁ!」
 すぐ近くからした声に、思わず声を上げる。目の前には先程の弱さを欠片も見せないファイが、いつもの表情で立っていた。
 どうやら何度か呼ばれていたみたいだが、考え事をしていたせいで気がつかなかったようだ。
 呆れたようにひとつ息をつかれる。
「王宮のミシェルに連絡を取ることは可能か」
「ミシェルに? はぁ、できますけど」
「なら伝えてくれ。任務は失敗、情報は得られず、我々はセラルト領に向かうと」
「わかりました」
 仕事モードの表情と口調のファイに、つられて敬語で返す。
 それにセラルト領とはどこだ。また相談もなしに、王宮へ戻らず勝手に行先を決めるだなんて。確かにレオナは彼に従っているだけではあるのだが、僕ではないし部下でもない。仲間でもないが、自分勝手すぎはしないのか。
 胸中でぶつぶつと文句をもらしながら詠唱を開始する。
 通信の魔術なんて使うのは久しぶりだ。いや、それどころか魔術を使うことすらずいぶんとなかったのだ。師からやたらと魔術は使わないようにと言われていたし、今まで特に必要とすることなどなかった。
 ブランクを実感しつつ通信を終えると、視界が一瞬揺らいだ。
 突然のめまいに多少戸惑いつつも、他におかしなところなどはないし、久しぶりで疲れたのだなと結論付けた。
「アドルフ殿の葬儀は村の者に頼もうと思います。家の掃除は我々でしていきますが、終わり次第発ちます」
 暗にランカはどうするのかとファイが問うと、赤く腫らした目でしっかりと見据えて言った。
「ご心配いただかなくて大丈夫です。アドルフさんの葬儀も、家のことも、私がやります。…やらせて下さい」
「しかし、」
「これでもあの人の弟子として何年も過ごしてきたんですよ? 精神的にはかなり鍛えられてるんです」
 力こぶをつくるように腕を上げ、ぎこちなく、それでも笑顔を作る。
 一番つらいのは弟子として過ごしてきたランカだ。まだ笑えるはずがないのに無理をして明るく言う彼女を見て、ファイの目に一瞬だけ闇が落ちた。隠すように目を伏せ、上げた時にはもうきれいに消していた。
「…では、お願いします。アドルフ殿も、ランカに側にいてもらったほうが嬉しいでしょうしね」
 彼女を安心させるためか、気丈さに安心したのか、ファイは初めて見せる優しい顔で笑った。それも、とんでもなく甘い。
 真正面からくらってしまったランカは、顔を真っ赤にして目を離せずにいる。
 彼に好意を持っていないレオナでさえ、あれはまずいと思わざるを得なかった。
 なんなのだあれは。あんな表情できたのか。あぁ…王宮で彼が絶大な人気を誇っていることが理解できてしまった。
 普段の堅苦しくてつまらない仏頂面や、建前で作った笑顔との、このギャップだ。
(あんな顔するってことは、やっぱりアドルフさんに思い入れあったんだろうな…。にしても、なんか悔しい)
 その後、ランカが再び必要以上に寄ってくるのとレオナに睨まれ続けている理由は、ファイには決してわからなかった。

inserted by FC2 system