朱の月

1話‐7‐

 視界に捉えられたのは5人だった。
 内4人は見るからに屈強な身体つきをしており、見せびらかすように各々の獲物を手にしている。彼らを率いるように先頭に立つのは、対照的に痩せ細り陰気そうな小男だった。
「あれー、あんたら誰? てかじいさんは? 俺らじいさんに用があるんだよねー、出して」
 小男が嫌な笑みを浮かべながら一歩前に出る。彼の髪は灰色で、瞳は紫。
 レオナが感じる限り、あの魔伎はかなり力が弱い。よく魔術師になれたなと思ってしまうほどだ。それでも鍛えられている人々を従えられるのだから、やはり魔術師はヘヴルシオンでも重宝されているのだろう。
「悪いが、お前らの相手は俺たちだ」
「なにー? たった2人で、しかも女がいて、勝てるって言うのー?」
 魔術師の呑気な言葉に同調するように、後ろの男たちもだらしなく笑う。魔術師がゆっくりと手を挙げると、男たちが一斉に向かってきた。
 同時に、ファイもこちらを見ることなく前に出る。
 レオナの相手は魔術師。なにも言われずとも自然にそう理解していた。
 魔術師に対峙すると、彼はすでに詠唱を開始していた。
(この程度なら…大丈夫、勝てる!)
 詠唱しているというのに、魔力の流れが伝わってこない。そもそも詠唱は力が弱い魔術師ほど長く、複雑だ。そんな長いそれを最後まで聞いてやるほど余裕はない。
 魔術に関する修業は一通り行ったが、実戦は初めてだ。修業もずいぶん昔のことだし、弱くとも使い慣れているであろう相手に勝つには、一気に仕掛けるしかない。
 詠唱を妨害しようと、駆ける足に風で速度を増してやる。
 間合いを詰めると男が瞠目し、胸を蹴り飛ばそうとした瞬間、視界の端で男の手が動いた。とっさに腕で顔を覆うが目に鋭い痛みが走り、反射的に距離を取る。
 砂だろうか。いつの間にやら手に隠し持っていたらしい。
「いったい…この卑怯者!」
「卑怯ー? ははっ、最高の褒め言葉だね」
 どうやら詠唱は終わってしまったようだ。目はほぼ機能してくれないが、肌でひしひしと魔術の気配を感じる。あの魔術師の得意系統は炎だろう。魔力によってまわりの空気が複数箇所に吸い取られるのがわかる。
 炎ならば、こちらのものだ。
「目も見えないしー? あの男は助けに来ないしー? 死にたくなかったらじいさん出してよー」
 魔力の塊がレオナのそばに集まってきた。
「いやよ。どうせ私たちも殺すんでしょ?」
「信じてくれないのー? ま、そうだけど」
 塊がレオナを襲う。が、当たる直前で急に勢いを失いかき消えてしまった。
 男の狼狽する声がする。
「私は、まだ死ねないの!」
 周りの空気が不自然に風となって流れ始めた。すぐにそれは大きな流れとなり、レオナを守るように囲む。
「お、お前も…魔術師…!?」
 答えるように笑みを深くすると、男を風が襲った。


「もー…目ぇ痛い…」
 流れ出るままに涙を流し、だんだんと目を開くことができるようになってきた。あまり異物は入っていないはずなのだが、それでもやはり目は急所だ。
 ぼやけている視界で見えたものは、風の縄に捕えられ、もがいている魔伎の姿。
 勝った。本当は怖くて、まだ心臓は大きく跳ねているが、自分だって戦える。
 勝ち誇るように見下してから、ふとファイの様子が気になった。近衛兵士で側近でもあるのだから実力はあるのだろうが、屈強な4人の男の相手となるとどうなのだろう。
 見た先では、汚れひとつ付いていないファイが、ちょうど男たちを縛り上げたところだった。
「おぉ、お前も終わったか。意外と早かったな」
 レオナに目を留めると破顔したが、それが逆に怖い。
 あまり時間がかかってはいないはずだが、自分が1人を相手にしているうちに4人を簡単に制してしまうとは。さすが、としか言いようがない。
「向かってきたのは確かにあっちからだけど、一言くらい言ってからにしてよ…! 私! これでも一般人!」
「悪い悪い。でも大丈夫だっただろ?」
 肩をすくめたファイがこちらに近づいてきた、その時だった。
 空気を裂くような叫びが響き渡った。さっきまで聞いていた、ランカの声。
 家に向かって駆け出すと、内側から扉が開いた。その先には筋骨隆々という言葉を具現化したような大男が、彼の背ほどある大剣を手に立っていた。
「お前…ガジェット・トリスか…?」
 レオナを手で制しながら堅い声で告げたのは、知らない名だった。ファイの様子から見てもなにか重要な人物なのだろうが、今はそれどころではない。ランカの身が心配だ。
「おぉー、俺も有名人だな」
 緊迫した空気のファイとは対照的に、ガジェットは余裕のある笑みで一歩ずつ近づいてくる。一見隙だらけに感じられるが、彼の纏う気がその考えをいとも簡単に粉砕する。
 闘うことに、人を殺めることに慣れた者が纏う気。余裕は経験からくる自信の表れ。
 対峙していたくないと強く思った。この男の脇を通り抜けて行くなんて、無理だ。
「――俺が食い止めるから、お前はアドルフ殿とランカの様子を確認しろ」
 聞こえるかどうかの声量で前から指示がきた。身体は全く動かさない。
「確認って、ひとりであいつを抑えられるつもり?」
「やるしかないだろうが。行け!」
 口論を許さない強い口調で言い放たれ、同時に駆ける。男は向かってきたファイに口笛を吹いて迎えた。レオナには目もくれず、やすやすと家の中に入ることができた。
 入った瞬間鼻につくのは強烈な鉄の、生臭い匂い――血だ。
 かすかに聞こえるランカの声を辿り着いた部屋には、胸から大量の血を流しているアドルフとすがりつくように泣いているランカがいた。
「アドルフさんは!?」
「もう、心臓の音が…弱くて……血は止まらないし…」
 彼女を優しく引き離し見る。
 心臓を一突き。恐ろしく正確で、傷は広い。どんどん血の気が引いていく彼の姿に、泣きそうになるのを必死にこらえる。
「ランカ、治癒系の術は?」
 答える代わりに、力なく頭を振った。
 そうだ、それ以前にランカは魔力が尽きているではないか。そんなことも失念していた自分に苛立つ。
「――じゃあ、大量のタオルと水を持ってきて」
 目をぱちぱちしたと思うと弱々しく頷き、ふらふらとした足取りでも動いた彼女を見届け、レオナはアドルフに向かって正座をした。焦りと苛立ち、恐怖で混乱している気持ちを無理やり抑え込む。
 自分がやるしかない。彼を救えるのは自分だけなのだ。
「治癒の術を使えるんですか…?」
「知識だけなら」
「使ったことは、」「ない。でもやらなきゃ!」
 治癒の術は特殊だ。魔術として知れ渡っているものでありながら、実際に使うことのできる魔術師は極端に少ない。
 師からは一通りすべての系統を学んだが、師も知識としてしか治癒の術は習得していなかった。大量に魔力を消費し一歩間違えば被術者を死に至らせる危険性のある術だから、極力使うなと念を押されてもいる。
 今まで、故意はもちろんのこと、事故でも人を殺めたことはないし、死を見届けたこともない。
 怖い。助けるどころか、自分の認識の甘さで殺してしまったら。
(大丈夫、落ち着いて、焦っちゃだめ! アドルフさんを救えるのは私しかいないんだから…!)
 落ち着けと繰り返すほど、混乱がひどくなる。頭では術式と不安、恐怖、そして理性を保とうとする気持ちが渦巻き、余計に冷静さを欠いていた。
「落ち着いて下さい。私の魔力もお渡ししますから」
 ふと、手を包み込む感触。ランカがそっと手をにぎってくれていた。その手はとても冷たくて、彼女の不安が伝わってきた。ランカだって、人を励ませるような状態ではないのに。
 手を包まれ、自分が震えていたことに気がついた。額には汗も浮かんでいるようだ。
 さっきまで泣いていて、目も腫らしているランカに励まされるなんて。もう魔力だってないくせに。情けなくて、少しおかしかった。
 瞳を閉じて思い浮かべる。
 兄の声、表情、匂い、温もり。不安になったり怖くてどうしようもなかったり、淋しくてたまらなかったとき、いつも昔の幸せな記憶を辿っていた。
「ごめん、ありがとう」
 しっかりとランカの目を見てから、アドルフに視線を落とす。
 もう心は穏やかになっていた。

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