朱の月

1話‐6‐

 目を閉じてお茶を口に運ぶ。
 なかなかいい茶葉だ。芳ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、口に含むとさらに広がる。王宮にいた時もミシェルと一緒に飲んではいたが、それに勝るとも劣らないだろう。
 茶葉もだが、入れ方にもコツがあるのだろうか。そうだとしたら指南いただきたいものだ。
 …それにしても、また新しい顔をしているなーと、レオナはお茶をすすりながらぼんやりと他人事のように思った。
「では、アドルフ殿は彼女」「ランカです」
「…ランカと研究をしているのですね」
「そうじゃ。ランカは優秀でのー」
「ファイ様の妻に、魔伎の娘は不釣り合いですか?」
「いえ、ですからまだ身を固めるつもりは…」
 さっきからランカという魔伎がファイにくっついては離され、めげずにくっついて…が目の前で続いている。女性に手荒い真似はしたくないのか、ひきつった笑顔を浮かべたままではあるが、ファイの手つきは優しい。
 ランカもアドルフも、ファイの様子にはまったく構うことなく話をしている。アドルフにいたってはランカを微笑ましい眼差しで見てもいた。
 おそらくランカはレオナとさほど年が変わらない。となると、アドルフにとってランカは年齢的に孫のようなものだ。その孫のように可愛がっている娘が恋を、しかもアドルフもよく見知っている男で王宮の近衛兵士とまでくれば文句なし。純粋に応援する気持ちなのだろう。
 彼らの視界には、レオナはまったく入っていないようだ。
 レオナとしては非常に楽だし、心底面倒そうな表情をするのを隠すファイの様子もおもしろいが、先ほどの両親の話は途中で忘れられてしまった。
 せっかく他人から両親の、しかも専属魔術師だったころの話を聞けると期待していたのだが。
 それに彼らとしてはいいのだろうか。
 彼女の魔力は強くない。もう丸一日も経っているのならば、結界が消えるのも時間の問題だろう。
「結界は私ではありませんよ。彼女が解いたんです」
 急に話題が自分に振られ、ランカの意識が初めて向けられた。ファイに向けていた視線とは真逆の、鋭いそれ。
 ミシェルほどではないが、美人が睨むと迫力があるのだ。こうもあらわに敵意を向けられると、さすがに居心地が悪い。こちらに敵意がないのだからなおさら。
「あなたが…? 血の濃い魔伎のようですけど、専魔師なんですか?」
「いや、私は一般人で」
「一般人がなぜファイ様と一緒にここに援護に来るんですか?」
「た、たまたま?」
 ものすごい剣幕に押されながら、間違ってもいないが核心にはつかないよう返答する。しかし困る。口は達者ではないほうなのだ。
 視界に入るファイは、やっと解放されたとばかりの落ち着いた表情でお茶を飲んでいる。完全に我関せず、だ。
 もしや、突然レオナに話を振ってきたのはこれが目的だったのだろうか。
 ……ありえる。
 さすが近衛兵士というべきか、頭の回転は速いし、王宮で過ごすための術なのか周りに敵意を生ませないような会話の持っていきかたをしているようにも感じた。
 そこでレオナを使うあたり、レオナにはどう思われようと構わないという考えなのだろうことがだんだんと確信付いてくる。まぁ確かに仲間でもなんでもなく、ただお互いに利用しているにすぎない関係だが。
「ちょっと、聞いてるんですか? あなた、ファイ様とどういう関係ですか?」
「え、いや、どういうと言われても…ねぇ?」
 ファイの行動の意図を読んでいたら、ランカの話は聞いていなかった。それを目ざとく気が付かれ、身を乗り出されてさらに詰問される。
 救いを求めるようにファイを見たが、それが逆に火をつけたらしい。
「そんな密接な…!? 離れてくださ…!」
 立ち上がったランカの瞳が急に深くなった。
 同時に力が抜けたように膝から崩れ落ちる彼女の身体を、ファイが支える。
「結界が…」
「うん。消えたね」
「アドルフ殿は彼女と奥の部屋に隠れていてください」
 ランカを優しくアドルフに渡し、剣を腰に差す。
 すぐに入口へ向かったファイについていくと、背後からアドルフが声を上げた。
「ファイ坊! やつらには魔術師もおるのだぞ!」
「承知しています」
「それなのに2人だけで行くつもりか?」
「アドルフ殿から、人数と魔術師についてもご報告いただきましたよね? それで私と彼女だけで来た意味をお考えください」
 その声があまりに穏やかで、思わず鳥肌が立ってしまった。アドルフの半分も生きていない若造相手に、だ。
 アドルフがそれ以上言葉を繋げられないでいると、2人は速やかに部屋を後にした。
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