朱の月

7話‐2‐

 意欲的にやってる訳じゃない裁縫は驚くほど進まなかった。
 その気持ちの問題なのか料理とは違って上達もなかなかしなくて、一日に何度もおばあちゃんに見せては直されての繰り返し。でも今更やっぱり出ないなんて言えない私は、葛藤しながらその日もドレスを縫っていた。
 もう姫巫女祭は明後日にまで迫ってる。乗り気じゃないとか言ってる場合じゃなくて、本当にまずい。ドレスは姫巫女祭に欠かせないものらしくて、どうしても私も着なきゃいけない。着なきゃいけないなら、自分が身に着けるものが悲惨な状態なのは回避したい……ということで、必死になって進めてるのです。
 おばあちゃんにやって欲しいと縋ってみたら、さすが伝統行事、全く取り付く島もなく怖い顔で怒られた。
「シェリー、あんた腹くくったんだろう? 甘えたこと言ってんじゃないよ。これをして本当にこの町の人間になれると思いな」
「うーん…分かってるんだけどー…」
「けどじゃない。他のことは手伝ってやってんだからしっかりおし」
「はーい……」
 おばあちゃんの言っていることが正論過ぎてなにも言い返せない私は、ただの駄々っ子みたいだった。
 本当は、姫巫女祭に参加する女性は自分でドレス・髪飾り・靴とかその他色々を用意しなければいけないらしい。でも私は1週間前っていうギリギリどころかもう手遅れでしょって時期に決めたから、1人で用意するのは(不器用さもあって)絶対に不可能だった。
 で、ドレス以外はおばあちゃんに任せてるんだよね。
 当然ながらもう仕上げ段階のフレアがおばあちゃんの代わりに横からアドバイスをくれて、なんとか終わりが見えてきていた。
「シェリーって意外と不器用なんだね」
 感心してるのか呆れてるのか馬鹿にしているのか、息を吐きながらフレアが言う。ちょうど目の前では針を指に刺して痛がっている私がいるわけで。
「苦手なんだもん……」
「そんなにだめなら魔術でなんとかできないの?」
「フレアさん? ご存知でしょうが、私魔術なんて使えないも同然なんだってば」
 もったいないね と呟いて、手元の髪飾りの最終確認をし始める。
 私は魔伎だ。
 このファーレンハイト国で専属魔術師という王族の次に地位が高いんじゃないかって役職に就くことができる種類の人間。魔力というなんだか不思議な力で炎とか水とかを操ったり、人の心を読んだり、特殊なことができる存在である魔伎は、数が少ないってこともあってかなり重宝されている。
 私も魔伎とは言っても魔力を制御できる程度で、術を使うなんて滅相もない。
 魔術が使えなくても生活するのになんの問題もないし、不自由もしてない。特別役に立つことができないのは申し訳ないとも思うけど、それでもみんな良くしてくれるんだからこのままでいいと思う。
「シェリー!」
 大声で呼ばれて我に返る。その先では、エマルが満面の笑みで大きく手を振っていた。片手には荷物を抱えていて、前を歩く同じような人を見ても姫巫女祭の準備をしてることはすぐわかった。
 男の人は参加不参加に関わらず、動ける人全員で会場の設置やら屋台の手配やら全部やるみたい。
 女の人は参加者だけがドレス作ったりするだけで、他の人は手伝うのも本当は良くないんだって(私は仕方ないからって、不本意そうにおばあちゃんが手伝ってくれてるけど)。
「準備がんばれー」
 自分でも心の籠ってない言葉だと思う。
 エマルは嫌いじゃないけど友達以上にも思えないんだもん。好意を持ってくれてるのは、素直に嬉しいよ? でも……うん。
「俺、絶対シェリーのとこ行くからー!!」
「はいはい、ありがとー」
 ひらひらと手を振ると、前を歩いていた人がなにかエマルに話しかけた。少し会話の応酬があったと思ったら、エマルがこれ以上ないくらい嬉しそうに破顔してこっちに走ってきた。
「あれ、なんかこっちくるね」
「えー、仕事は?」
「あいつ結構可愛がられてるもんね。――あ、こけた」
 何もないところで見事に勢いよく顔面から転んだエマルに、2人で近づく。
「シェリー来なくていいから! ほんと大丈夫だから!」
 起き上がりながら、鋭い声で制された。
 大丈夫と言われても、勢いがあったし石畳の地面だから痛いだろうし、心配は心配なんだけど。しかもなんで私だけ名指しで?
 フレアと首を傾げながらすぐ脇にしゃがみ込む。
「なにやってんのー。男のドジっ子は需要ないぞ」
「いや、だから、ほんとに、」
 俯いたまま、手で視線を遮るようにしているエマルは少し焦ったように見える。
「もう、エマルってば……」
 立たせようとフレアが彼の手を取る。
 何かが地面に滴り落ちた。
 目で追うと、赤黒い血で。
 思考が停止する。その色が視界いっぱいに広がって、動悸が激しくなる。浅い呼吸を繰り返して、胸の前できつく手を握る。
 いやだ、赤い、血、月が、独りで、怖い、寒い、誰か、
「シェリー! ごめん、大丈夫だから! 俺なんともないから! ね、ほら!!」
 エマルの声とフレアの手の温もりで我に返った。
 ぼうっとして2人に目を泳がせる。2人とも、すごく心配そうな目で見てた。
「……あれ、ごめん、私なんか変だった?」
「なんも変じゃなかったよ。この馬鹿がいけないの、こんななにもないところで転ぶなんてね」
「ごめんって! でもほら、ちょっと擦りむいちゃっただけだから、なんともないぜ!」
 石で切っちゃったらしい頬を手で押さえて、私に血を見せないように言ってくれるエマルを援護するよに、フレアもずっと私の背中をさすってくれてた。
 私は赤の色が苦手で…ううん、苦手というより怖い。“赤”がなのか、“血”がなのかも分からないけど、なにか忘れていたいことを思い出してしまいそうで……だめ。ちゃんと覚えてはないんだけど、前にもちょうど怪我しちゃった場面に出くわしたことがあって、その時にひどく取り乱していたらしい。
「お、俺仕事に戻るから!!」
「あ、エマル…!」
 彼は制止の声も聞かずにそのまま走り去って行ってしまう。
 もう落ち着いたけど、悪いことしちゃったな…。
「いーのいーの、ほら、私たちはドレスの続き! あぁ、私たちじゃなくてシェリーは、か」
 意地悪くまた少し舌を出すフレアには、正論過ぎてなにも言い返せなかった。



「そういえばシェリーには感謝しなくちゃ。お昼、ご馳走様でした」
「なんの話?」
 フレアにご飯をごちそうしたことなんてない。最近も、迷惑掛けたことはあっても感謝されるようなことをした覚えは全くない。
 すると今去って行ったエマルの後姿を指さして、
「あいつに奢ってもらったから」
 と、またにやにやと悪巧みでもしてるんじゃないかっていう表情をする。
「シェリーさぁ、どんだけエマルに誘われても断ってたでしょ。んであいつ私に泣きついてきたから、昼ご飯奢ってくれるなら首を縦に振らせてやろうじゃないのって言ってたんですよ」
「ちょ、人でなに賭けてんのよ!」
「いいじゃーん、シェリーは損してないし。それにほんとにエマル喜んでたんだから。まぁあいつだけじゃなくて、結構男ども喜んでたからね。昼1回分じゃ足りなかったくらいだし」
「いやいやいやいや」
 そんなのありえない。
 いつも私をからかってばかりのフレアのことだから、どうせ私が狼狽えるところが見たいだけなんだろうと軽く返したら、予想外に身を乗り出された。
「ほんとだって。あんたね、自分で思ってるより評判良いんだよ?」
「新参者が珍しいだけでしょ。――痛っ!」
 ひねくれた答えをしたら額を指で弾かれた。睨んでるのか凝視されてるだけなのか微妙な目で数秒見られてから、今縫っていた箇所を示す。
「ここ、下まで縫ってるけど」
「あ」
 慌てて解く。早く指摘してもらってよかった。まだそこまで縫い進めてはないから痛手ではない。
「私シェリーのこと好きだけどね、そういう自分に自信なさすぎるとこは嫌い。自分だと悪いとこばっかり見えちゃうかもしれないけど、いいとこだっていっぱいあるんだよ?」
「いいところねぇ……」
 考えてみても思いつかない。
 不器用だし気が利くほうでもないし、おしゃれでも心が広くもないし、あ、だんだん落ち込んできた。
「あのねぇ、なかったら友達やってないっての」
 額をぶつけられる。
 深い蒼の瞳が間近にあって、つい目を逸らしてしまった。だって、フレアがそう言ってくれても簡単には信じられない。
 不安な気持ちを隠そうとひねくれたことを口にする。
「……て言っても、まだ私ここにきて3ヶ月くらいしか経ってないじゃん」
「それでも分かるもんは分かるって。大丈夫、シェリーのいいとこは私が知ってるから。教えてあげないけどー!」
「教えてよー!」
 フレアは私の姉のような存在だった。甘やかしてくれるのにきちんと叱ってくれる。不安に思ってたら自然と側にいてくれる。
 おばあちゃんもおじいちゃんも本当の家族みたいに私のことを思ってくれてる。エマルだって、こんな私を良く思ってくれてるみたいだし。こんな時間が、幸せだなぁって、思う。




「シェリー! 準備はできたのかい!」
「え、えと、大丈夫…かな?」
「大切なもの忘れてるぞー」
「あぁ! ほんとだ! ありがとう、おじいちゃん!」
 なんとか縫いきった淡い紫のドレスに身を包み、おじいちゃんが手渡してくれたティアラみたいな飾りを頭上に乗せる。すぐにおばあちゃんが手直ししてくれて、納得できたように両肩を叩かれた。
「あんたもこうしてりゃ えらく美人なんだがねぇ」
「いつもは美人じゃないみたいな言い方だなぁ」
「この子はちぃと がさつなんだよ。フレアに上手い隠し方を教えてもらいたいくらいだね」
「おばあちゃん…それ私にもフレアにもちょっと失礼だってば……」
 とはいっても事実である。
 なるようになる、それでいいと思ってる私は、大事なところで気が抜けてたり見逃したり、自分では気が付かないけどしょっちゅうしてるらしい。それをおばあちゃんは改善させようと裏で手を回してたみたいなんだけど、どうにもならなかったなぁーっておじちゃんが笑ってた。
 それでも今の私はおばあちゃんが褒めてくれる程度には着飾れていて、なんというか、自分で言うのも空しいけど「馬子にも衣裳」って感じ。
 私でこれなんだから、フレアだったらもう感動するくらい綺麗なんじゃないかなー。
「ほれほれ、もう行かないとだろう?」
「あ、はいはーい! んじゃ、おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます」
 手を振って出て行こうとしたら、おばあちゃんに呼び止められた。
 なにか変だったかな。おばあちゃんが言い忘れたことがあるなんてこと今までなかったから身体を捻ってドレスを見てみたけど、おかしなところはないように見える。
「どっか変?」
 聞くと、珍しく言い淀んでるおばあちゃんが決意したように口を開いた。
「……言わないでおいた方がいいか迷ったんだけどね…。昨日、隣町の魔伎が行方不明になったそうだよ。あんたも気を付けなね。なにかあったらすぐに人を呼ぶんだよ」
「…私みたいなよっわい魔伎は大丈夫だって! 心配してくれてありがとう」
 おばあちゃんはまだ言うことがありそうな表情をしてたけど、気付かないふりをして足早に家を出て行った。
 あんなに不安そうなおばあちゃん、初めて見た。いつもだったら 今日は家から出るな、とか 一緒にいてやる、とか言ってくれるんだけど、今日はそうもいかない。
 この町で生まれ育ってない私にはよくわからないけど、町の人たちにとってはこの姫巫女祭は最重要行事らしいことはもう十分理解した。一度参加すると決めたら怪我とか病気とかどうしても参加できなくなってしまった理由がない限りは取り消せないし、みんなその程度の思いじゃない。だからこそおばあちゃんは心配でも私を黙って送り出したんだから。
 私が待機するのは町外れに2つある湖のうちの1つ。町外れっていっても中心地から考えても大分近い位置に決まったのは、多分おばあちゃんが掛け合ってくれたんだと思う。
 例年ではくじ引きらしいのに、今年は決められてて変だなーってフレアが言ってたもん。
 おばあちゃんがそんなに考えてくれてるのに、私が台無しにするわけにはいかないし。
――時間がない。急がないと。
 ドレスの裾を汚さないように少し持ち上げて、足を速める。
 今年の姫巫女祭が始まる。

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