朱の月

7話‐1‐

 好きな色は優しい大地の色、澄み切った空の色、きらきらと輝く銀。
 嫌いな色はすべてを染めつくしてしまいそうな赤。
 好きなのはおじいちゃんおばあちゃんと、町のみんなと話をすること。
 嫌いなのは別れと、独りでいること。
 なんでかは分からないけど、それがどうしようもなく嫌いで――怖い。




 家にあった野菜をいくつか選んで適当な大きさに切る。お湯を張った鍋にたっぷりと入れてよく煮る。軽く味付けをしてから汁を少し掬って口に運ぶ。
「うん! さっすが私、上出来じゃない?」
「どれどれ?」
 自画自賛して声を上げると、脇から皺くちゃの手が伸びてきた。同じように掬ってゆっくりと味わうように舌に乗せても、すぐに判定は降りてくれない。
 すっかり慣れたものではあるけど、自画自賛しているがゆえに早く“合格”が欲しくてうずうずする。
 ちらちらと横目で反応を待っていると、やっとにこりと笑ってくれた。
「うん、まぁシェリーにしてはいいじゃないかい」
「おばあちゃん厳しいよー! 驚くほどの上達っぷりだと思うんだけど!」
「自分で驚くほどとか言ってんじゃないよ」
 呆れたように笑うおばあちゃんはいつでも誰にでも厳しい。頑固ばばぁとか町の子に言われたりするけど、みんなおばあちゃんのことが嫌いな訳じゃない。おばあちゃんに怒られても反抗心が生まれないのは、誰に対しても愛情があるから。怒ってくれるのはちゃんと認めてくれてるって分かるから。
「ばあさんだって一緒になった時はさほど料理上手くなかったんだぞー」
「なに言ってんだい あんた!」
 いつもにこにこしてるおじいちゃんは、おばあちゃんにぞっこん。尻に敷かれてるとか頭が上がらないとか町の子に言われたりするけど、それはおじいちゃんがすごく優しいからそう見えるだけ。いつも笑顔で不満なんて口にしたことないおじいちゃんは、誰よりも優しい。
 失敗が多い私のことを叱ってくれるのはおばあちゃん、励ましてくれるのはおじいちゃん。
「いいさ、シェリー、早く準備しとくれ」
「はーい!」
 私は2人のことが大好き。



「姫巫女祭?」
「あぁ、シェリーも参加しようぜ!」
 おばあちゃんが作ってくれたケーキを食べていたら、エマルが食って掛かりそうな勢いで言ってきた。片手で追い払うようにしながらもう一口ケーキを食べる。
 おばあちゃん自身はお菓子を進んで作る人じゃないんだけど、なんでも上手にできるからしょっちゅう教えてほしいって言われてて、だからこうして家にはお菓子がよくある。
 私としてはすごい嬉しいんだけどね。
「姫巫女祭ねぇー…なにするの?」
 興味を持ったように見えたのか、エマルは目を輝かせた。一言断ってから向かいに座って、やっぱり一言断ってから切り分けてあったケーキに手を伸ばした。
 おじいちゃんがそうだからか男の人は甘いものが好きじゃないってイメージがあるんだけど、エマルはむしろその逆。毎日のようにうちにお菓子をもらいにくるから、今ではおばあちゃんはエマルの分を考えて用意するようになったんだって。
 そのお菓子を幸せそうに頬張ってるエマルの顔は嫌いじゃない。
「よくぞ聞いてくれました! 姫巫女祭はずっと昔からあるこの町の伝統的なもので、若い男女……特に男には年に一度…いや一生をかけた一大行事なのよ!」
「うん、で、なにするの? 普通のお祭りとは違うんでしょ?」
 息を荒くして続ける。
「姫巫女祭ってのは、昔々この辺りを治めてた巫女がいたっていう話から来てんだけどな、その巫女はもう誰が見ても否とは言えないほど、一目見たら目を奪われて二度と忘れられないほどの絶世の美女だったってんだよ。若い男も妻がいる男もじいさんもみーんな惚れちまって大変だったらしいんだけど、その巫女は外見だけじゃなくて性格も仏か! ってほど良くて、女たちも巫女のことを嫌ったり悪く言ったりする気にはなれないどころか慕ってたんだって」
「えぇー……そこまでいくとちょっと胡散臭いね」
 おじいちゃんもおばあちゃんもいい人だし、この町の人に悪い人はいないと思ってる。でもそんな美人で性格がよくて誰からも好かれるなんて言うのはあり得る話だとは思えない。
 どんなに性格が良くっても合う合わないはあるし、ましてや結婚してる男の人まで巫女に恋しちゃったら、奥さんは絶対いい気はしないはずだもん。
 それに、たくさんの人から愛されても自分の愛する人に見てもらえなければ意味ないと思う。
「まぁまぁ、それが事実だったかなんて今は分かんないし。とにかく、その愛された姫巫女――自分にとっての姫巫女を手にいれる! っていうお祭りなんだよ」
「ふぅん…どうやって? ただ告白するだけとか言わないよね?」
 どんどん確信に迫ってきているのが嬉しいのか、続きを言おうとして勢いよく咳き込んだ。
 なにやってんのーと笑いながらお茶を出してあげたら、目に涙を溜めながら一気に飲み干す。ちょっと落ち着いたのか緑の瞳を上げる。
「そりゃ、ただ告白するだけならいつでもいい訳っしょ? しかもそれでいったらすでに恋人がいたら姫巫女祭は意味ないってことになるけど、そうじゃないんよ」
 そこでふとエマルはにやりと笑ったまま黙った。すごく嬉しそうな顔をしてる。
「………え? で?」
「ひーみーつー! ってことで、シェリーも参加しようぜっ!」
「いや」
「なんで!!!」
 即答したら、断られるなんて想像してなかったみたいで ガタっと立ち上がって絶望を感じてるみたいな顔をする。
 私はといえばエマルがそういう反応をするなんて予想もできたことだったから、平常心のままお茶のお代りを注いで理由を話してやる。
「姫巫女祭の由来とかは分かったけど、結局そこで女の人はなにをするのかとかそれをしたらどうなるとかなにも言ってくれてないじゃん。私そういうの苦手だし」
「そりゃないよー!」
 勢いよく天を仰いだエマルの真似をして背もたれに体重を預けた。



 エマルにその後もしつこく誘われてそれを断って、大きくない町のちょっとした名物みたいになってきたころ、姫巫女祭まで1週間を切った町は賑わいだしていた。
 話を聞いたとおりに主役は若い男女みたいで、心なしかみんなそわそわしてるようにも思える。
 結局なにをするのか聞くことがないままおばあちゃんの手伝いをしながら日々を過ごしていた私は、もうすっかり姫巫女祭なんて他人事だと思っていた。
「シェリー! おばあちゃんいない?」
 表から聞こえてきた声に、手に持っていた洗濯物を急いで干す。
 急いで顔を出すと、なにか綺麗な布を持っている、困った様子のフレアがいた。
「いらっしゃい。でもごめん、おばあちゃん、今おじいちゃんと隣町まで出掛けちゃったんだよね」
「そっかぁー……」
 見るからに落胆したフレアに、私は全く悪くないのに申し訳なさが生まれた。
 ちょっと買い物って言ってただけだからきっとすぐ戻ってくると思うし、私がやっておかなきゃいけない家事も一通り区切りがついたし。
「ちょっと上がって待ってる? 多分そんな遅くならないと思うんだよね」
「そう? じゃ、お言葉に甘えて。シェリー、お茶お茶」
「ちょっとは遠慮しなさいよ!」
 もてなされて当然、みたいに腰を下ろしたフレアは、可愛らしく小さく舌を出した。
 彼女のその動作が実はたまらなく好きで、多分本人も自覚してるんだと思う。私になにか頼んだりちょっと悪いことしたなーって時には大体それをしてくる。わかってても許しちゃうんだけど。
 友達が訪ねてきてくれて嬉しいことには変わりないから、仕方ないなと言うだけ言っておいてお茶とお菓子の準備をする。昨日おばあちゃんが作ってた焼き菓子があるはず。
「はい、どうぞー」
「ありがとー! おばあちゃんのお菓子大好きー!」
「それが目的だったの?」
 すぐさまお菓子を口に運ぶと、目を閉じてゆっくりと味わった。
「違うよー、貰えればいいなとは思ってたけどね。今日はこれ、見てもらおうと思ってさー」
 言って彼女が机に上げたのは、手に持っていた綺麗な布――ドレス。
 フレアの吸い込まれそうに濃い蒼の瞳と同じ色の、華美ではないけど丁寧に飾りがつけられてる縫いかけのそれ。
「ドレス? なにかあるの?」
「なにかあるのって…あぁ、シェリー結局聞いてないんだっけ?」
「あ、もしかして姫巫女祭? フレア参加するんだ」
 頷く。
 フレアには長く付き合っている恋人がいる。2歳年上の、幼馴染だって。そろそろ結婚するんじゃないかってみんな噂してたところで、姫巫女祭に参加するとは思わなかった。
 自分にとっての姫巫女を見つけるお祭り。もう彼にはフレアっていう姫がいるのに、参加する必要もないんじゃないだろうか。
 あ、でもエマルが恋人がいる人たちにも意味があるって言ってたかもしれない。ちゃんと聞いてなかったから自信はないけど、フレアが参加するってことはそういうことだよね。
「シェリーも参加してあげれば? どうせエマルなんかじゃ無理だし、記念にさ」
「……フレアさん…ご存知かと思いますが、私姫巫女祭の詳細知らないんですよね。それなのに出るも何も…」
「エマルが黙ってるなら私も黙ってるしかないでしょ」
「えぇー!」
 別に参加する気はない。全然参加しようとか思ってるわけではないけど、そこまでじらされると気になってくるのは人として当然の心理だと思う。
 じとーっという目でフレアを見ると、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべてる。
「気になるかね?」
「…………気になる」
 なんか負けた気分になったけど、もう私には我慢ができなかった。みんな知ってるのに自分だけ知らないなんて疎外感、あと1週間も耐えられない。
 素直に参加するから教えて! って言えればいいんだけど、そこはちょっと素直になれないもんで。
 というか、参加は本当に、決してする気はないんだもん。参加するなんて嘘はちょっとつけない。きっとここまで敗北感を表したんだから、さすがのフレアも教えてくれるはず。
「んじゃあこれ、はい」
 そう言ってフレアは、さっき見せた濃い蒼のドレスの下から淡い紫のドレスを出した。フレアのそれとは違って、ただの型、って言ってもいいくらい飾り気もないし裾もただ切っただけに見える。
「……え、なに?」
「シェリーのために用意しましたとも。えぇ、シェリーの綺麗な紫銀の瞳とは違うってことは承知しておりますよ。でもね、なかったんですよ、これしか。これがフレアさんの精いっぱいでございます」
「いやいやいやいや、探してくれたっていうのはありがたいけど、なんの話? なんでこれ私に?」
「参加するなら必要でしょ」
「だからー!」
「ただいま。おや、フレア来てたのかい」
 突然割入ってきたおばあちゃんの声に、出掛かっていた言葉を慌てて飲み込んだ。おばあちゃんも私に姫巫女祭に参加してほしいみたいなのに詳しく内容を教えてくれない。もちろんおじいちゃんも。
 だからここで話の続きをするのはちょっと躊躇われた。
 でもそんなことフレアには関係ないことで。
「お邪魔してまーす。ついにシェリーが姫巫女祭出るって言うから、ドレス調達してきたの」
「私出るなんて、」
「ついに腹くくったかい」
「おぉー、綺麗な色だなぁ。これならシェリーによく似合いそうだ」
「おじいちゃんまで……」
 すごく嬉しそうにしたおじいちゃんの顔を見たら、これ以上否定する気が失せてしまった。おばあちゃんも、口にしないまでもドレスを手に取って優しい目をするから。
「大丈夫。私手伝うし、おばあちゃんもついてるし」
 肩を叩いてくるフレアの言葉は心強かったけど、明らかにこの状況を楽しんでるその笑顔は少し憎かった。おじいちゃんおばあちゃんには見えないように横目で睨むと、またちろっと舌を出して片目をつぶった。
 やっぱり可愛いなぁなんて思ってしまった瞬間 私は敗北を認めた。ほんとに、フレアは私が弱いこと知ってるんだから。

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