朱の月

6話‐9‐

 集中しているのか時折足取りが危うくなるランカを支えながら、彼女らが侵入してきたという道を戻る。その間不必要に話すことは自然となくなり、ファイは周りの気配を察知しようと厳しい顔つきを維持したままになった。
 一度、感知してみても反応がなく目視できる敵もいなかったためランカが移動しながら腕輪を外そうとしてくれたのだが、すぐにファイの鋭い目線に負けて小さく謝られた。
 そんな簡単に解除できるものでもないこれは、確かに移動しながら作業するのは避けた方がいい。ここは敵陣なのだから。
 それは分かっているのだが、内心では解除を先にしてほしい。
 立ち止まればそれだけ見つかる可能性も高まるだろう。見つからずとも、レオナの魔力が漏れれば残っている魔術師や、キーラ、ジェイクにならば外にいても気付かれるだろう。
 でも、一人で捕まっていた時よりも不安なのだ。ファイとランカが来てくれて安心したのは嘘ではない。今でも心強いとは思っているのだが、それでもチクチクと嫌な予感が胸を刺す。
 部屋を出てから誰にも会っていないから。
 見つからないはずがない。もう運が良かった、なんて言葉では片付かない。
 罠だとはファイも聞くまでもなく理解しているだろう。でも引き返したり道を変えたりしないのは、取る行動がないからに他ならない。部屋に戻ったところで逃げることはできないし、他の出口を探しても、どこに出ようとも既にやつらの手の内には変わりないのだ。
(ミシェル…大丈夫かな……どこにいるの?)
 ファイたちと共に来たという彼女の姿は未だに見えない。早く会いたい。早く会ってこの不安を打ち消してほしい。ミシェルの笑顔さえ見れればもう大丈夫だと思えるのに。
「ここです」
 ランカの言葉に足を止める。
 そこは出口でもなんでもないただの部屋の前だ。同じことを思ったらしいファイがランカをもう一度伺う。
「えと、私も半信半疑なんですけど、確かにここからミシェルさんの魔力がするんですよね…。あの人の魔力って強いですし、ちょっと変わってますし、間違えることはないです。あと……別の魔力もします。私は分からない魔力ですけど」
「ミシェルの魔力は特徴あるから、一回ミシェルのこと認識してれば絶対間違えないよ」
「疑ってる訳じゃない」
 慌ててランカの補足をしたレオナに苦笑してみせたファイは、腰の剣に手を当てた。
「魔力がしたとしても人の気配はない。十中八九罠だろうが…進まなくてもどうしようもない。――いいか、俺から離れるな」
 2人で頷く。
 レオナとランカの意志も固まったのを確認して、扉を開けた。



 なんの変哲もない、よく見慣れた部屋だった。窓のすぐ下の石が剥がれていて、置いてある机も椅子も使い古されている。控えめに位置するベッドの上には掛け布が乱雑に放られてあって。
「こ、ここ……」
「遅かったじゃん、待ちくたびれたんだけど」
「……ユーリ」
 見慣れているはずだった。そこはレオナがこの古城に連れてこられてからずっと過ごしていたその部屋だったから。
 ランカが狼狽しながら小さく聞いてくる。
「扉を開けた瞬間…強い魔力を感じました。やっぱりここ、レオナさんがいたお部屋ですよね?」
「うん、間違いないよ。やっぱり罠だったんだね」
 恐らくあらかじめ扉に術をかけていたのだ。魔力か人の気配か、なにかに反応して発動するようになっていたのだろう。レオナの部屋に戻るように。
 出た時と違っていたのは、ファイが縛り上げたはずの男がいないこと。そしてベッドに腰掛けるユーリとその脇に立つガジェット、キーラがいること。
「あ、あの人…!!」
 ガジェットの姿を認めてランカが表情を強張らせる。
 彼は睨んでいるランカを見て面白そうに手を上げた。
 ランカの師であるアドルフを殺害した張本人であるガジェット。ランカはあの一件があってからガジェットに会うのは初めてだ。美しい顔を歪めて悔しそうに、憎しみの感情を露わにしている。
「あぁ、彼女がアドルフの弟子? こんなところでお目にかかれるとはねー。せっかく誘ってやったのに、あのじいさん耳貸さないんだもん」
「当然です! あの人はこの国を愛してますから!」
「こんな国を?」
「この国だからです!」
 言い切ったランカを忌々しそうに見て、大きく息を吐いた。
「こんな国のどこがいいのか教えてほしいね。聞きたくないけど」
「どうすんのー? この子めんどくっさそーだけど」
「知識だけあればいいでしょ。自我なんてどうにでもなるよ」
「…なにをするつもりだ」
 不穏な空気を感じてファイが口を挟む。同時に殺気も感じ取れて、少なからず動揺してしまった自分がいることに内心で驚いてしまった。
 ユーリはヘヴルシオンを率いている存在だ。兄を奪っていって、否定的な魔術師の命も簡単に奪って、ユーリのことも奪っていったヘヴルシオン。
 違う、そう考えてしまうのが彼に固執しているのだというのに。
 まだどこかで彼のことを信じていたいのだ。散々組織内での彼の様子を見てきたのに、本当に裏切られたなんて思ってない。
 だからファイが殺気を露わにして焦った。もしユーリが殺されたらどうしようって。
 ガジェットもキーラもいるのだから、こちらも本気でかからないと無事に脱出することはおろか、脱出自体もかなうか分からないのに、なにをそんな心配をしているのだろうか。ファイは助けに来てくれたのだ。その彼を非難するなんて間違ってる。
「ファイ久しぶりー。元気そうで残念な限りだよ。祭りのときにはレオナから離れてくれてありがとね」
 挑発するユーリの言葉にファイが微かに顔を歪めたが、息をひとつ吐いて再び問う。
「なにをするつもりだ」
 ユーリが頭を指してにやりと笑う。
「俺、アドルフの知識が欲しいの。ちょーっと従順になるように頭を弄らせてもらいたいなと」
「い、じる……って…。そんなことしたら精神が崩壊しちゃうじゃない!」
「あれ、話聞こえてなかった? 自我はいらないんだって」
 悪寒が走った。そんな酷いこと、なんで楽しそうに言うんだろう。
「そんな高度な術、できるわけない!」
「やだな、俺嘘言ったことある? できるから言ってるの。思い出してよ」
 思い出すってなにを。
 そう眉を顰めたとき、頭をよぎった人物がいた。レオナがよく知っていて、精神に作用する高度な術が使えて、この場にいてもおかしくない者。
「――、」
「ほら、早くおいでよ――ミシェル」
 レオナたちの背後、入って来た扉に立っていたのはなんの感情も見せない、想像していた人物――ミシェルだった。
 久しぶりに会う彼女。レオナが捕らえられていたこの場所を探し当ててファイたちを連れてきたのは彼女で、王宮内の事情に詳しくて、王宮専属魔術師長を務め上げるほどの血の濃い魔術師で。
 でも、幼い頃からずっとそばにいてくれた人だ。
「……ミシェル?」
 レオナの声掛けに僅かに口角を上げた。
「ごめんなさい。そういうことなの」
「そういうことって……なに。ミシェル、なにやってるの」
「私は私のやることをやってるわ」
「やることってなに。なんでそっちなの、なんで!」
「おい、落ち着け」
 ファイが今にも掴みかかりそうなレオナの腕を取り、引き寄せる。感情が荒ぶっているレオナを落ち着かせようと、耳元で優しく声を掛ける。
 それで冷静を取り戻せるはずがない。ミシェルはレオナが一番信頼している人物なのだ。彼女がした選択なら内容を聞かずとも安心して任せられた。
 大好きな兄も信頼できるミシェルもヘヴルシオンを選んでいるという事実があるのなら、間違っているのはレオナの方なのではないか? ヘヴルシオンがしていることが正しいとは思えない。罪のない魔伎や人々を殺したことは許せないが、彼らが集まった動機を考えると…。ミシェルの話は聞いたことがないが、あんなに両親を慕っていた彼女なのだから容易に想像ができる。
 でもレオナが間違ってるということは国側がおかしいのだと認めることになる。
 ヴァレリオやファイが全てを知っているのかは分からないが、もし知ってるのなら?
「落ち着けるわけないじゃん!!」
 どうしていいか分からないんだから。
 胸に風穴が開いているようで、思考がそこから流れ出していってしまうのだ。胸に残るのは負の感情だけ。
 彼女と過ごしてきた日々を思い出す。両親の代わりに側にいて、一緒に笑って泣いて、時には怒ってくれて、いつも微笑んで優しく温かく抱きしめてくれたのに。
 それは、全部嘘だったということなのか。
 ファイを強く睨む。彼は臆することなく見つめ返してきて、なにも言わずに抱き締められた。
「いやぁだぁー! やるやるぅー!」
「ほんとジェイクいなくてよかったね。俺らまで吹き飛ばされそう」
 キーラとユーリの声は、耳に入っても理解できない。オーバーヒートしている頭では、ファイの取っている行動の意味すら分からない。
「分かった。ゆっくり話は聞くから、今は下手に動かないでくれ……守るから」
 そんなレオナにも届く穏やかで強い声だった。
 抵抗する気が失せて、言われた通りに部屋の隅にへたり込んだ。
 すぐランカが側に寄って来て腕を手に取る。
「レオナさん、お気を確かに…! 大丈夫、私とファイ様もいます。大丈夫です!」
 彼女の手は温かい。それだけが現実のようで、感情を無意識に切り離しながらもそれに縋っていた。


 目の前でファイとキーラ、ミシェルの戦闘が始まる。ガジェットとユーリは見ているだけだ。
 いくらファイでも2対1で、手練れの魔術師との戦闘はどう見ても不利だ。ランカは戦闘には向かない。だったらレオナが助けてやらなくてはいけないのに、身体は動いてはくれない。
 ランカがレオナの代わりに気を張りながらも声を掛けてくれているが、それに返事することもできなかった。
 キーラが放った鞭のような水をファイが躱し、一足飛びにキーラに斬りかかる。彼の刃はミシェルの造った防護で防がれた。すぐにまたキーラが攻撃を仕掛けてファイが避けて、ミシェルが援護して。
 勝らないまでもまったく引けを取らないファイを見て、ガジェットが喉を鳴らして笑っている。
「なぁ、だからあいつも入れようぜー。こっちとあっちの戦力、がたっと差がつくぜ?」
「絶対やだ」
「なんでだ?」
「俺嫌いなの。知ってんでしょ」
「お得意の精神操作でもしてやりゃいいじゃねぇか。剣が鈍るから勧めねぇけど」
「それでも顔変えてもなにしても嫌なの! 俺は、あいつが、き ら い!!」
 露骨に表情に出したユーリの様子に、今度は声を上げて笑う。
「おーおー、随分嫌ってるなぁ」
 手元でカチャッと音がする。
「外れました! 一個一個構造がちょっと違うみたいで時間かかっちゃって…すみません」
 軽くなった腕を上げる。魔力が久しぶりに戻ってくるのを感じるが、その感覚が懐かしすぎて上手く操れない。
 呆然としながら手を握って開いて、魔力を手に乗せる。
 上手く制御しきれていないそれは、どこか戸惑うようにゆらゆらと揺れた。
 ランカが疲労を隠して笑って見せる。
「ファイ様の手助けしてあげてください」
 手助け? 誰が、誰の? ファイを助けるって、ミシェルと戦えってこと?
 氷のような冷たい目で、知らない人みたいな表情してる、ミシェルと?
「無理だよ……私はミシェルとなんて戦えない……」
「レオナさん…!」
「ちょっとぉ、余計なことしないでくれるー?」
「危ない!!」
 声に反応して振り返ると、目前に迫っている氷の塊。防がないといけないのになにも浮かばない。魔術を使わないといけないのに魔力が湧き上がってこない。
 もう、このままでもいいかな。
 目を閉じた。
「レオナさん!!」
 予想していた衝撃はなかった。しかし空気を裂くような高い音と頬に鈍い痛みが走って目を開けると、泣きそうなランカがいた。
「なにしてるんですか! 私の話聞いてました!?」
「……ランカ」
「私じゃもう防げないんです! 死にたいんですか! 死にたいなんて言っても許しませんからね!! ………お願いですから、しっかりしてください…」
「ご、めんなさい…」
 手を強く握られた。少し震えているその手からは彼女が怯えていることが伝わってきたが、謝罪を口にすると力なく笑ってくれた。
「だぁからぁ、妹ちゃんはだめぇー」
 強大な魔力を感じると、光の刃が宙に浮いているのに気付いた。
 数が多いうえに、光になると氷よりも速度も殺傷力も格段に上がる。制御も消費魔力もかなり高度な術の危険性を肌で感じたのか、ファイがキーラに迫る。
「――っだめ!」
「いらっしゃーい」
 キーラの唇が歪む。
 罠だ。ファイに隙を生ませるための。
 身体が自然と動いていた。魔術を使うなんて、しばらく魔力がなかった自分には思いつかなくて、なんとか彼を守りたいという気持ちだけしかなかった。
 彼の前に立ちふさがると、逆に庇われるように抱き締められる。
「ファ、「俺が守るって言ったろ…!」
 だめだ。これじゃファイが。
 キーラの放った刃がゆっくりと迫ってくる。身体もゆっくりと傾き始めて、思考はぐるぐると頭の中を駆け巡ってるのに指先すら動かない。
 その時、眼前に灰色の髪が舞った。
「ランカ?」
 両手を前に出してありったけの魔力を放つランカの背中。でも彼女の魔力じゃどう足掻いても防ぎきれるものではない。
(そうだ、魔力、術!)
 彼女の姿を見てとっさにレオナも体内の魔力を呼び起こす。
――間に合わない!!
「ランカ!!」
 光がランカの身体を突き抜けた。少し逸れた刃が彼女の長い艶のある髪を無造作に切って、灰色と鮮明な赤いものが宙を舞う。
 頬に当たる生暖かいもの。
 身体を逸らして崩れるランカ。
「……う、そだ……」
 真っ白な頭では制御することもできない、行き場を失った魔力が溢れて身体の周りで渦を巻く。
「レオナ! 落ち着け!!」
「うそだ、うそだランカ…ランカ!!」
 彼女の身体が床に叩き付けられた瞬間、レオナの身が裂けるような悲鳴と共に膨大な魔力が爆発した。

inserted by FC2 system