朱の月

1話‐5‐

「はっはっはっは! いやーファイの坊やか! 大きくなったもんだのう、わからんかったわ!」
「アドルフ殿もずいぶんと老けましたね。見違えましたよ」
 大口を開けて笑う男――アドルフと、爽やかに見えなくもない、貼り付けただけのような笑顔で対面するファイを見て、レオナは苦笑をもらした。
 なるほど、確かに“にぎやかなじいさん”だ。
 アドルフはファイを可愛がっているようだが、ファイにしてみれば面倒くさい人物なのだろう。彼が王宮に勤めていたときからこのような間柄なのだろうことが、安易に想像できる。
「嫌味っぽいところは相変わらずか」
 嬉しそうに目を伏せると、短い沈黙が訪れる。
「…しかし、早急な対応、感謝する。次に攻めてこられたら、おそらくもたんかったじゃろう」
 笑みを消した彼の顔からは、疲れの色が窺えた。服からのぞいている肌には生傷が多くあり、頭にも包帯を巻いているのが急に目についた。
 アドルフは魔術の分析に長けている魔術師で、特に魔道具に関しては歴代の専属魔術師の中でも群を抜いていた。在位中に多くの魔道具を造り現在でも王都を中心に使われているが、数年前に腰を痛めたことを理由に引退したそうだ。
 今は弟子を1人とり、2人で魔道具の研究を重ねていると。
 2日前突然現れた訪問者は、自らをヘヴルシオンだと名乗り彼を勧誘。断ると問答無用に襲ってきた。
 数でも力でも差は歴然で防戦一方だったが、やつらが一定の距離に離れたのを見計らってなんとか結界を張り、魔力が尽きるまではこうして身体を休めているそうだ。
 魔力が尽き、結界が消えれば、またやつらはやってくるだろう。
「なんじゃ、突然襲ってきてヘヴ … なんとかとか言いおって」
「簡単に言えば、反国組織、ですね。…やつら、なんて言ってアドルフ殿を誘われたんですか?」
「ただその力で国を変えてみたくはないか、とだけ問うてきたわ」
「では、なぜアドルフ殿を誘ったか、は口にしなかったのですね」
「あぁ。わしも分からん」
 ファイが再び黙り込む。
 ヘヴルシオンと接触し、仲間になる以外で生き延びている魔術師はいないらしい。次に狙われる可能性のある者の予測をしたかったのだろうが、アドルフからは有益な情報は得られなかったと言っていい。
 2人して口を閉ざしたので、控えめに質問を投げかけてみる。
「あのー…この結界はどなたが?」
 すると一転、目を輝かせ、でれっとした表情になった。
「わしの弟子じゃよ」
「女か…」
 あきれたファイに同感する。なかなかタフそうなじいさんではないか。
「アドルフさんは、どのくらいの期間王宮にいらっしゃったんですか?」
「いつからじゃったかのー。在籍期間はかなり長い方らしいな。まぁ危険のない研究室に閉じこもっとったから、当然かもしれんがな」
 再び声を上げて笑ったかと思うと、突然レオナに顔を近づけてきた。
「お嬢さん、名はなんと?」
「レオナ・フィンディーネ…ですけど」
「フィンディーネ…フィンディーネか! もしや、ご両親は元専魔師では?」
 久しぶりに両親のことについて触れられ、心臓が跳ねる。それが聞きたかったのに、いざ気付かれてしまうと話を聞くのが怖い。
 平静を装って首を縦に振ると、アドルフは嬉しそうに破顔した。
「そうかそうか、いやー、母にそっくりじゃ」
「私、両親のことあまり覚えていないんです。それで、ご存じだったらお話を聞けないかなと」
 ファイが怪訝そうな顔をしているのが目に入る。思い返してみれば、彼に両親のことはなにも言っていなかったかもしれない。
「わしもあまり親しい仲ではなかったんじゃが、専魔師でご両親を知らん奴はおらんよ」
 どこか誇らしそうな瞳で見つめられ、記憶に薄くとも自分の親が誇るべき存在だと思われているのは、レオナにとって非常に嬉しいことだった。
 扉を叩く音が二回聞こえ、女がお盆を手に入ってきた。
 黒に近い灰色の髪は一部編み込みをし、腰まで伸ばしている。瞳は正面から見ていないからわからないが、おそらく濃い紫。弟子なのであろう彼女は、力の強い魔伎ではないようだ。
 女がレオナの前に持ってきた飲み物を置く。魔伎としての外見的特徴もだが、それよりも別の部分がどうしても目を引いた。
 ふと視線を感じてファイを見ると、嫌な予感のする薄い笑いを浮かべている。
「…なに?」
「いや、アドルフ殿の女好きは有名で、それにしてはお前には反応が薄いなと思っていたんだが、」
 わざわざ言葉を区切り、レオナと彼女を見比べる。
 視線は、顔よりも少し下。
「確かにそんな貧相な身体じゃあ、アドルフ殿のお眼鏡にはかなわないかもなー」
 予想はしていた言葉だったが、実際に言われてみると非常に腹が立った。
 レオナの背は女性の標準で細身だ。グラマラスというよりはスレンダーという言葉があてはまる、自分でも色気のない身体だとは自覚している。
 今現れた彼女は、レオナとは対照的だった。
 女性独特の柔らかそうで丸みのある、それでいて無駄のないライン。指先にまで気を配っているのだろう、研究者にしては肌荒れが一切ない。赤い唇は女性らしい色気を醸し出している。
 そしてなによりも、同性の自分でも思わず目を奪われる、豊満で美しい胸。
「女性に対しての礼儀がなってないんじゃない?」
 にらみつけるが、ファイは聞こえていないように自分の前に飲み物を差し出した彼女に、優しく礼を言っていた。
 彼女は笑顔を向け、ファイを見ると目を見開いたまま固まった。
 だんだんと頬が赤く染まり、瞳に艶の色が光る。
 ゆっくりと唇が開き、
「……好きです」
 あぁ意外とはっきりとした声をしているんだなと、真っ白になった頭にそのことだけが浮かんだ。
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