街の半分を回れただろうか。
物珍しい食べ物をいくつか食べ(いいと言うのにファイがほとんど奢ってくれた)、使うこともないだろうと分かっていながらも奇妙なお面を買ったりして、のんびりと進んでいた。
歩き始めたばかりの妙な緊張感や距離感はどこへやら、すっかり祭り自体を楽しむことができるようになったレオナは、少し歩いては立ち止まり、少し歩いては立ち止まりを繰り返し、進むペースが半分以下にまで落ちていた。
ファイは楽しそうなレオナを咎めることもなく、たまに口を出しつつも大人しくついてきてくれている。
彼もちょくちょく気になる店があるようなのだが、レオナが気付いて近づくとすぐに離れてしまってなにを見ていたのか分からないままなのだ。
自分だけが楽しんでしまっているような状況に申し訳なさがないわけではないのだが、どうにも胸が弾んでしまってそこまで気を遣う気になれない。
そうしてレオナが今度は小さい宝石のような菓子に気を取られていると、ファイが話し掛けてきた。
「そろそろ時間だが、どうする?」
「? なんの、」
「お、もうそんな時間か! 嬢ちゃん生誕祭は初めてだって言ってたよな? いい場所案内してもらえ! ほら、これはやるよ」
「あ、ありがとうございます」
透明の袋いっぱいに詰められたそれを反射的に受けとったものの、彼らの話す内容を把握できていない。
店主は「早く行きな」と急かしてくるが、それなのに 昔はどうだった、今も店がなければどうの、なにやら独白なのか話し掛けてるのか分からないような言い方で遠くを見ながら話している。
対応に困ってファイを見上げると、顎で先を促してきた。
「ありがとうございました。せっかくなのでいい場所を見つけたいと思います」
ファイは“近衛兵士”と同じような丁寧な対応をして、笑顔を振りまいて歩き出す。
一礼してレオナも彼に続きながら疑問を口にした。
「ねぇ、なんの時間? なにが始まるって?」
「今日はなんの日だ?」
一瞬の間ののち、軽く口角を上げてファイが聞いてくる。
その間はなんだと問い詰めたい気持ちもあったが、どうせそんなことも分からないのかと呆れた声が返ってくるに違いないからやめておいた。
「今日? フランシス殿下の生誕祭」
「その生誕祭のメインは?」
「――あ、お目見え!」
「正解」
そこまで言われてやっと分かったレオナが手を叩くと、ファイが前を指さした。
人ごみの隙間から覗くと先には王宮の一角が見えており、レオナからは確認できないがフランシスが姿を現すのだろう出窓があるはずだ。
「そういえばユーリと場所確認してたんだよ」
「お前は背低いから今見えないだろ」
「うーん、そうだねー」
この言いぶりだと、彼からは見えているようだ。どうにか見えないかとつま先で歩いていると、急に腕を引かれてバランスを崩し、ファイに抱き付く形になった。
「前もちゃんと見ろ。危ないだろ」
「あ…ありがと」
脇を、急いでいるのか息を荒くした男性が乱暴に通り過ぎて行った。
庇ってくれたファイはすぐに解放してくれたが、レオナのことをまったく見ることのない様子はなんだか突き放されたようにも感じた。
少しの間呆然として足を止めてしまっていたら、ファイの姿は人ごみに紛れて見えなくなる。
(やば、追わなきゃ)
我に戻ったのもすでに遅く、どれだけ人をかき分けて進んでも、背が高くて目につきやすいはずの彼をすっかり見失ってしまっていた。
一度はぐれてしまえば、ここは広い王都で今日は生誕祭だ。もう合流することはできないかもしれない。
ひとまず落ち着いて一度家に戻ってみるか、そう思った時だった。
急に腕を強く引かれる。
身構えつつ振り返ると、今まで探していた人物がそこにいた。
「だから、なんでお前は はぐれる!」
「なんだファイか」
「なんだってなんだ、なんだって。人が多いのは分かってるだろ、いくつだ いったい」
「ごめんごめん」
心の籠っていない謝罪に、今度こそ大げさにため息を吐いた。そのまま手を握り直される。
「せっかく一緒にいるんだから離れるな」
聞こえるか聞こえないかの声でぼそりと言った彼は、ちらりとレオナを見てからすぐに前を見て歩き出してしまった。
いよいよ人が多すぎて動くのも大変になってきた。
ファイが案内してくれた広場の一角は、レオナくらいの身長でもなんとか人に隠されることなく見える位置で、やはり同じようにフランシスの姿を一目見ようという人で溢れかえっていた。
時間的にはそろそろである。周りには警備らしい兵も増えてきており(ファイがなんとなく彼らに顔を見られないように位置取っているのが少し可笑しかった)、人々は頻繁に時計と出窓を見ている。
レオナも期待に胸がどきどきして落ち着かなくなってきて、なんとなく隣のファイを見上げた。
彼はなんの感情もないような目で先を見ている。
考えてみれば、ファイにとってフランシスの姿はなにも珍しいものでもないのだ。王族の側で働いている彼に、こんな人で埋め尽くされているところに連れてきてもらって、自分だけわくわくしていていいのだろうか。
同僚に顔を見られたくないみたいだし、祭りを楽しんでいるようにも見えないし、迷子になって迷惑をかけているし。申し訳なさが急にこみ上げてきた。
レオナが見ているとすぐにファイは気付いて、なんだ と顔を寄せてきた。
謝ろうと口を開いて言葉を声に乗せたものの、それが彼に届くことはなかった。悲鳴にも似た歓声が街中に響き渡ったからだ。
フランシスが登場したのだ。
慌てて目線をそちらに戻すと、隣から強く押されてちょうど見えなくなってしまった。前の人も興奮していて大きく飛び跳ねているし、押し返すのも無理そうだし。
意気消沈していたら肩を抱かれた。耳に口を寄せられて、
「ここなら見えるだろ」
と囁かれる。少なからず動揺しながらも出窓に視線をやると、確かにちょうど見えた。視力のいいレオナならばかろうじて表情が読めるくらいに、一度だけ会ったことのあるフランシス第一王子が。
彼は長い赤みがかった金髪を緩く編み込んで胸へ垂らし、頭には王冠ではないのだろうがなにか輝きを放つものを乗せている。触り心地の良さそうな純白の毛皮を纏っている姿は、まさしく“王族”だった。
穏やかでも自信に満ち溢れた笑顔で優雅に手を振っている彼の後ろには、彼付きのノーバットとミシェル、そして兵士らしい男が目に付くだけでも3人控えている。
(すごい……本当に世界の違う人なんだなぁ………)
一度会ったことがあるというのが夢のようだ。現実だったとはどうにも思えなくて、控えているミシェルだって昔から見慣れている顔のはずなのに、別人みたいだ。
ファイやヴァレリオだってレオナに良くしてくれているが、近衛兵士と王族だ。本来ならばこうして隣に立っていることだって叶わない相手だ。
こうしていられるのも、ヘヴルシオンのことが解決すればなくなる。レオナだって、またジェイクとの穏やかな生活を取り戻したくて彼を追っているのだ。そうすれば王都からは離れるだろうし、もう彼らとは二度と会わないに違いない。
短いフランシスのスピーチは、まったく耳に残らなかった。
「なんだ、つまらなかったか?」
フランシスのお目見えも終わり、人が溢れかえっていた広場も随分と落ち着きを取り戻した。人が引くまで大人しく待っていたレオナに、ファイが少し心配そうに声を掛けた。
「ううん、そうじゃないよ! ただ……世界が違う人なんだなーって思って」
度々感じる壁。これが消えることは一生ないのだろう。
「ばーか」
額に与えられる衝撃。指で弾かれたらしく、軽く睨む。
「世界なんか違わないだろ。同じ世界の同じ国の同じ場所にいる、同じ人間だ」
が、彼がすごく優しい顔をして言うから、怒る気も消えた。
「………うん、そうだね。…ありがと」
呆然とする反面、彼の言葉を素直に嬉しいと思っている自分もいた。
今レオナの側にいてくれるのは王宮の人間かユーリしかいないのだ。兄は、いない。
それでは、またいつ独りになるか分からないではないか。そう、分からないのだ。いつ用済みだと言われて、いつ二度と会えなくなるか。
もう独りにはなりたくない。
人に囲まれて幸せな日々が独りを余計に寂しくさせるというのなら、親しい人間なんていらない。初めから独りで良い。自分にはジェイクだけいてくれればいいのだから。
――そう思っていたはずなのに、今は孤独が怖い。
ユーリに怒られながら、笑顔の絶えない生活をしていたい。ファイやヴァレリオと、なんの隔たりもなくただの友人として会いたい。
ジェイクを見つけ出して気持ちを伝えて 穏やかに2人だけで過ごしていけたらいいと、それが自分の一番の幸せの形だと思っていたのだが、いつの間にかそれに彼らが入り込んでいた。
「さっきからなに黙ってんだ? いくぞ」
すでに辺りは人を押しのけて歩かなければならないほどではない。
それでもファイが自然に手を握ってくるから、レオナも兄に引かれるような気持ちで(幼い頃の、ただ兄としてしか思っていなかった時である。決して恋愛感情を同視しているのではない)それを受け入れた。
彼と会ってからほぼ歩き通しだが、体を軽くするような術をかけているからそこまで疲れていない。ファイはそもそもレオナとは身体の鍛え方が違うので、やはり疲労は感じていないようだった。
歩き通しと言っても、まだ半分回れたかというくらいなのだ。せっかくの大規模な祭りを全部回らずに終わりたくはない。
(あ、そういえばヴァリーって誕生日いつなんだろ。その時、また来たいなー…)
これは王族の生誕祭だ。ファーレンハイトの王族は、現王、王妃、そして2王子と末の姫がいる。
今回のように大規模な祭りは王と第一王子の時くらいらしいが、それでも生誕祭が行われるのには変わりないという。
「ヴァリーの、」
「あれ、ファイさんじゃないっすか」
「…女の子、ですか?」
レオナの言葉を遮って前から現れたのは見知らぬ男の2人組だった。一歩前にいた男はファイと同じくらいの歳で、明るい茶髪に緑の瞳、幼い頃はやんちゃだったのだろう面影がなんとなく見て取れるような快活さがある。対して、もう1人は黒い髪と黒い切れ長の目、少し近寄りがたいような固い雰囲気のある、さらに若い男だった。
ファイが彼らからレオナを隠すように前に立ちふさがる。
「なんでもいいだろ」
感情の読めない声で返す。
一瞬見えた彼らは、揃いの深緑の服を着ていた。ということは、ファイと親しそうな口ぶりにしても彼らも近衛兵士で今日は街中の警備についているのだろう。
随分と若いようだが、そういえば一般兵とは違い、近衛兵は実力があることはもちろん、ある程度までの年齢制限というものが設けられているらしい(下働きとして王宮にいたときに小耳に挟んだだけの情報だが、兵士たちの様子を見ていて事実ではないかと思っている)ことを思い出した。
「なんで隠すんすかー。ファイさんが鬼の形相で仕事詰めてるっていうから なにかと思ってたんすよ? そしたら…」
初めの男がファイの脇からひょこっと顔を覗かせ、人懐っこそうな笑みを向けてきた。反射的に笑顔を返すと、今度はにやりとした笑いに変える。
「可愛い女の子とデートとか、ずっりぃー」
「アベル、お前うるさい」
「そういえば最近夜遊びも「ちょっとお前こっち来い…!!」
一向に黙る気配のないアベルと呼ばれた男を、ファイが端に引っ張っていく。それに黒髪の男も黙って続く。
レオナもついていったほうがいいだろうか。でも彼となにか話があるようだし、それに割入るのは失礼な気もする。足を止めて逡巡しているとファイが振り返り、
「そこで待ってろ」
「え」
「はぐれられたら困る。絶対俺が行くから、待ってろ」
「待ってろ、だってよ、ふぅー」
楽しそうなアベルの声がすると、その頭にファイの拳が落ちた。
すぐに人に隠れて姿は見えなくなる。
一度はぐれそうになったこともあるし、そう話も長くはならないだろう。彼に言われた通り大人しく待っていることにした。
楽しそうに通り過ぎていく人々。
これだけを見ていたら、隣国との諍いも内部での反乱も、なにもかもが嘘のように思える。
「あれ、レオナ?」
声の先には、朝別れたままのユーリが手の平ほどの大きい飴を持っていた。
「ユーリ! 偶然だねー! …あれ、1人?」
確か女の子と一緒に回ると言っていたと思うが、彼の背後や周りを見ても連れらしい姿は見えない。しかしそう感じたのはレオナだけではないようで、ユーリも一緒にいるであろうファイの姿を捜している。
その姿がないことを確認してやっと笑みを見せる。
「そっちこそ。喧嘩でもした?」
「いやいや、それよりむしろ――…」
ファイの今日の言動を話そうとして、やはり躊躇われた。彼の表情や手の温度を思い出したらなんだか気恥ずかしくなってしまったのだ。
顔を赤くしてしまったレオナの様子にユーリが首を傾げる。
なにか言われる前に先手を打つ。
「ゆ、ユーリはなんで1人なの?」
「え? 俺は……あ、」
連れを見つけたのだろう、視線をレオナの背後に向けてユーリが手を振った。
どんな女の子だろう。花屋のふわふわした雰囲気のミミと仲が良いと聞いたことがあるし、パン屋の姉御肌、ソフィアに可愛がられているとも聞く。それともまったく別の子だろうか。
わくわくしながら振り返り――表情を凍らせた。
絹のような漆黒の髪に赤紫の瞳、愛嬌のある強気な笑みを浮かべている彼女は、レオナのまったく予想もしていなかった、よく知る人物だった。
「キーラ……?」
「はぁい、妹ちゃん」
髪色が違っていても間違えようがない。
なぜ彼女がユーリと? なにかを企んでいるのか。今日は専魔師たちの魔力が王都中に満ちていて、こんな王宮の側にまで彼女が来ているとは感じられなかった。
「ユーリ、下がって!」
彼を背に庇いながら、すぐに対応できるよう魔力を研ぎ澄ませる。
が、急に目の前が暗くなって意識が遠ざかる。
「――な、に……」
意識がなくなる直前に聞こえたのは、心の籠っていない甘い声だった。
「――ごめんね」