朱の月

6話‐3‐

「なんだその恰好」
 これが出会い頭の第一声だった。



 その日は、前々から聞いていた通り朝から賑やかだった。
 早い時間から通りからは人々の活気溢れた声が聞こえてきて、楽器の音も耳に届く。窓を開ければなにやら美味しそうな香りも漂ってきて、まさに“祭り”だ。
 レオナがファイと約束していることを知っていたユーリは、軽く朝食を一緒に食べた後にすぐ家を出て行った。天敵ともいえる彼と会いたくないのか、レオナの知らないところで良い仲の相手ができたのか、「楽しんでくるね」と言い残して。
 ファイは昼前には来ると言っていた。
 まだまだ時間があるならば少し寂しいが一人で祭りの雰囲気でも楽しんでこようかなーなどと考えながら、結局なぜか大掃除を始めてしまったところでファイが訪ねてきたのだった。
「え、うそもうそんな時間!?」
 ファイが来る前にはきちんと服も着替えて髪も結って動きやすいようにしておこうと思っていたのに、ほんのり汗をかいて埃をかぶってしまっているのが現状だ。
「えー! ごめんごめん! 急いで準備するからちょっと座ってて!」
 拭き途中だった部分をしっかり拭ききってから ぱたぱたと忙しなく片付けと準備を始める。
 ファイは遠慮なく腰掛け、さらに慣れた手つきで茶まで注いで飲んでいた。
「俺が少し早目に来ただけだし、そう急がなくてもいいぞ。街の祭りムードは夜遅くまで続くし」
「そういうわけにはいかないでしょ…って、あれ…?」
 シャワーを浴びて出てきたばかりのレオナは、彼をまじまじと見て首を傾げた。
「なにその恰好」
 今日はフランシス第一王子の生誕祭だ。多くの兵は王宮内や王都各所の警備についていて、それは近衛兵士も例外ではなく、もちろんファイだって警護につくのだ。そしてレオナはその手伝いをするはずで。
 なのに、彼が着ているのは近衛兵士の制服ではない。
 私服で街中を見回るのかとも考えたがそうとも違うようなのだ。帯剣していないし、動きにくくはないが動くことを想定しているような服ではない。
 なんというか、本当に、生誕祭をただ楽しもうという青年のようで。
「なにって、なにが」
「いや、その服装」
「なんで祭りにいくのに制服着てこなきゃいけないんだよ。目立つだろ」
「え、だって仕事、「俺は今日非番なんだが」
「――非番って……休み?」
「休みじゃなきゃ非番なんて言わない」
 休み? 今日、生誕祭であるこの日に、ファイが休み?
「……なんかやらかしたの?」
 思わず口を突いて出てしまった言葉に、彼はすぐ頬をつねってきた。
「いい痛い痛い!」
「失礼なことを言う口だな、ん? ここ数日の予定を切り詰めて空けさせたんだよ、無理に」
 ここ数日。
 思い出してみれば、2日前に誘われる前後であまりファイの姿を見なくなっていたような気もする。忙しいのだろうし特に用もなかったので気にしていなかったが、まさか無理して時間を空けていたとは思いもよらない。
 でも、なんでわざわざこの日を空けたのだ? まさか、可能性はないだろうと思いながらも疑惑をもっていたとおりに、レオナに好意を持っているとか?
 そんなわけない、そんなことがあるはずがないともちろん分かっているのだが…そうでなければなんだというのか。
 真意を知りたいと無意識に思っていたのか、真剣に彼を見つめていたらなぜか呆れた顔で息を吐かれた。
「なんだその顔は、不細工だな」
「はぁ!?」
「いいから早く準備しろ。俺だって普通に祭りを楽しむのは久しぶりなんだよ」
 犬でも追い払うかのように手を振られる。
 突発的な怒りが収まらないながらも、レオナも祭りが楽しみなのは同じだ。夜まで続くというが、王都は広い。王都の隅から隅まで、とはいかないがかなり広い範囲で開かれているすべてを回ろうと思ったら、今から出ても足りないくらいではないかとは思っていたのだから。
(不細工ってなに不細工って! そりゃ王宮の華やかな人たちに囲まれてる近衛兵士様には物足りないでしょうけど! じゃあなんで私のこと誘うのよ! あぁ、暇人だからね、暇人ですものねぇ、私は!)
 無性に苛立って、自室に入ってから脱ぎ捨てた服を扉に思いっきり投げつけた。



 その後なぜか3回も着替えさせられ、ファイが納得したのはレオナが普段あまり好んでは着ることのない、女性らしいひらひらとしたショートドレスだった。ドレスといっても華美な飾りがついているのではなく、むしろワンピースに近いようなものではあるが。
 一人で国内を旅していたり、なんだかんだ戦闘が多かったり、今では兵士と模擬戦までしたりして、すっかり着なくなってしまった服だ。
 初めは掃除していた時と同じような動きやすいパンツにしていたのだが、盛大に顔を顰められて「着替えろ」と言われてしまったのだ。「面倒だ」と返したら「なら脱がせてやろうか」と言われてしまい(ファイならやりかねない。女の下着姿など見ても動揺はしないだろうし)、渋々部屋に戻った。
 そうしてそれを2回繰り返してようやくこれでいいと言われたのだ。
 ファイが納得してもレオナは納得できず、不満を隠しもせずにぶつぶつと文句を言っていたら、やはり反対に満足そうに頭に手を置かれた。
「そんな顔するな。似合ってるぞ」
「似合うもなにも、私のだし。お祭りでこれじゃ動きにくいじゃん」
 裾を持って軽く持ち上げる。久しぶりのすーすーする感覚が少し落ち着かない。
「なにも走り回るわけでもなかろうに、たまには女らしくそういう服装すればいいだろ。髪も結えるんだろ?」
「できるけど…必要?」
「まぁそこまでは強要しない。これで十分だよ」
 行くか と甘い笑顔で手を差し伸べられた。
 つい見惚れて忘我したレオナは、そのまま手を重ね、優しく引いてくれるファイについて祭りに出掛けて行った。



 煌びやかな首飾りや耳飾り、木を彫って造られた精巧な置物、食べるのがもったいないような飴細工、日常品として使える比較的安価な魔道具、パンに干した肉を挟んだ食べ物、その他にも様々なものが並ぶ出店は、気分を高めるのには十分すぎるほどだった。
 普段から人が多い王都であるが、どこから来たのかいつもの倍はいるのではないかというほど見渡す限り人 人 人で、うねりをあげている熱気と活気が胸に直接響いてくるようだった。
 そんな胸躍る環境にも関わらず、所在なさげにあっちを見てこっちを見てたまに視線を落として、集中して周りを見て楽しむこともできずにいた。
 本当なら片っ端から一軒一軒店を回るのに、なぜ心ここにあらずといった状況なのかというと、――隣を歩くこの男のせいなのである。
 ちらりと伺う。
 なにを考えているのか分からない、ただどことなく楽しそうな雰囲気だけは伝わってくるファイの横顔。見られていることに気付かないのか気にしていないのか、彼の視線は店のあちこちを漂っている。
 そしてレオナはそのまま彼の喉、肩、腕と視線を下げ、彼の手で止まる。――正確には、彼と自分の手で。
 部屋を出るときに手を引かれたまま、放すタイミングもなくずっと手を繋いでいるのだ。
 気まずい。非常に気まずい。
 恋人でもないしユーリと手を繋いでいるのとは訳が違うし、早く放したいのはやまやまなのだが、ちょくちょく少し後ろを歩くレオナを気遣うように振り返って優しく手を握ってくるものだから、振り払うのが躊躇われてしまっていた。
 でも、せっかくの祭りに集中できない。
 だんだんと前に迫ってきた雑貨屋は、レオナが普段からよく通っているところだ。この日限定物も、特価品もあると言っていた。のに、あそこの店が見たいと言うことができない。
(あーあー……ど、どうしようー…)
 見たい。が、言えない。
 ついに横に並び、そのまま過ぎて行ってしまった。内心で落胆する。
「あ」
 小さい声。ファイはふとなにかを思い出したかのように踵を返し、レオナもそれに続いた。
 なんだろうという疑問はすぐに晴れた。
「ここ、お前が好きな店だったろ」
 彼が戻って足を止めたのは、正にレオナが見たいと思っていた雑貨屋の露店の前だったのだ。
「え、私が好きなの知ってたの?」
「…――寄りたいところがあるなら言え。せっかくなんだし」
 答えになってない返事だったが、そんなことよりも見ることができて嬉しい。こんなに広い王都の大規模な祭りだ。一度通り過ぎてしまったら、多分同じ道は通らないだろう。
「ありがとう…!」
 礼を言って、並べられているそれらを吟味に入る。
 すると他の客の相手をしていた店主がレオナに気付いて話し掛けてきた。
「やぁレオナちゃん、来てくれたんだね」
「もちろんです! もうすっごく楽しみにしてたんですよ!」
 熱の籠った言葉に、嬉しそうに表情を崩す。
「前から言ってたけど今日だけのものも用意してるから、よく見てってくれ」
 店主が指した先には確かに本日限定と書かれたスペースがあり、金属でできている動物の置物がいくつかあった。目の部分や模様を描くように淡い色の硝子が嵌められており、これまたなんともレオナの嗜好に合っている。
「これ可愛いですねー!」
「だろう?」
 いくつか言葉を交わし、レオナはその内から2つを選んで購入することにした。
 店主は話しながら慣れた手つきで置物を包み、レオナに手渡す時、少し離れた背後で口元を抑えて待っているファイの姿を見て、声を潜めて顔を寄せた。
「ところで、なんだい、いい男連れてるじゃない。恋人はいないとか言ってたけど嘘だったんだねぇ」
「んなっ! ち、違いますよ!」
 ひどい誤解である。
 顔を赤くして手を振って否定するが、どうやら余計に誤解させてしまったようだ。
「照れなくていいよ。いやー、なかなか誠実そうでお似合いだよ。せっかくだから…これ、特別に持ってきな」
 話を聞いてくれないまま、店主はレオナになにかを握らせた。
 開くと、シンプルな造りの小振りのピアス。リング型になっていて、これにも小さい石が嵌められている。
「え、いやいや、もらえないですよ!」
「いいんだよ! いつも来てもらってるし、今日は特別な日だ。レオナちゃんは娘みたいだからねー、恋人がいるって分かって嬉しいんだよ」
 心からの言葉に、それ以上否定を重ねることができなかった。
 レオナがその露店を後にすると、すぐにファイが寄ってきた。
「いいもん買えたか?」
「うん、ありがと」
 自然な動作でレオナの買い物袋を奪い、もう一度寄りたいところがあれば声を掛けるように念押してまた人ごみの中を歩き始めた。
(あ)
 今度は手を引かれなかった。
 手を見ると、先ほどのファイの温かい温度と優しくも力強かった手の感覚がまだ鮮明に思いだされて、それを紛らわすようにポケットに入れてあるピアスを握った。

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