朱の月

6話‐2‐

 ランカの元を訪ねてから、そろそろひと月になる。彼女からの連絡がないまま、レオナは王都に部屋を借りて過ごしていた。
 王宮にまた部屋を用意するとファイもヴァレリオも言ってくれたのだが、王宮は居心地のいい場所とは言えない。居ても役に立つこともないのだし、だったらせめて城下には出ていたいと言ったのだ。
 ファイは気がかりそうな表情をしていたが、主が快く許可してくれたことに反論はしなかった。
 そしてついていくと言ったユーリを連れて2人での生活は、なかなか充実しているように思う。ヴァレリオに念のため単独行動は避けて王都からは出ないようにと言われてしまっているので、そこに不自由はある。しかしそれ以外には特に制限もされず、断ったものの生活費の援助までしてくれているのだ。
 兄を捜しに行きたい気持ちはある。
 ただ、ランカが調べてくれているヘヴルシオンの術のことを考えると、無茶はできないとも思った。
 レオナは2回も術にはまっているのだ。術中の無力さは嫌なほど理解しているし、術ならば解く方法があれど魔道具になってしまったら自力では不可能だと身に染みて分かっているのだから。
 それに、ヴァレリオの手伝いをしてやりたいとも思うようになった。彼が国を支えようという、その力に自分もなれないだろうか。
 そんなことができる人間ではない。もちろん分かってはいるのだが、彼自身に否定されないうちは側にいさせてもらおうと決めている。正直に言ってしまえば、ヴァレリオの側にいればヘヴルシオンの情報も入ってきやすいだろうし。



「あさって? 特に用もないけど」
「あの餓鬼とかミシェルと約束してないのか?」
「なんの」
 額の汗を拭きながら、周りの温度を少し下げた。全身をひやりとした感覚が纏うが、それでも流れ出る汗は収まりそうになかった。手でひらひらと顔を仰ぐ。
 今日はきっちりと近衛兵士の制服を着込んでいるファイは、思案するように腕を組んだ。
 レオナとファイがいるのは王宮の修練場の一角だ。
 数日前、ヴァレリオに模擬戦をしてほしいと頼まれた。ヘヴルシオンは核を魔伎で構成している。魔術師との戦闘経験がない兵士たちに、実戦形式で経験を積ませたいのだと。王宮にも魔術師はいるが、それは専属魔術師だけで、その彼らは一様に多忙である。
 なので、専魔師でなく、経験を積ませられそうな魔術師を考えたときにレオナが適任でないかとなったそうだ。報酬は出すし、今後接触がまたあるであろうレオナにとっても無駄にはならないはずだと言われ、それから毎日足を運んでいる。
 今も鍛錬を終えたレオナがいつものように汗を引かせながら涼んでいた最中だ。
 兵士でも新米の彼らが主に訓練に使っているここに申し訳程度に置かれている椅子は半ば腐りかけており、座る場所を誤ればあっけなく壊れるだろう。
 そんな椅子に、本来ならばいるはずのない、兵士の中でも花形である近衛兵士で、さらにヴァレリオの側近をしているファイ・グローリーその人が座っているものだから、彼らの周りでは話が聞こえないほどには距離を保ちつつも、若い兵士たちがきょろきょろと様子を伺っているのが視界に入る。
 話に聞くと、どうやらファイは女中のみならず若い兵士たちからも羨望の眼差しを向けられることが多いようなのだ。自分にも他人にも厳しく、剣の腕は伝説(と言われているらしい)の女傑、バレンシア・オルスティー直伝でまさに一流。剣だけでなく内務もそつなくこなすことができ、部下への配慮も欠かさない。そんな彼が憧れの対象にならないはずがないのだと、よく顔を合わせるようになった兵士の一人が熱弁していた。
 その滅多に近くで見ることもないファイが修練場に来て今にも壊れてしまいそうな椅子に座っているのだから、いろいろな感情が混じった熱い視線を送られているのも まぁ理解できるというものだ。
「ならいい。あさって、一日空けておけ。昼前くらいに部屋を訪ねるから」
「? はーい。あ、なにか話でもあるの? 手間だろうし今日聞くよ」
「………は? 話なんかない。…というかお前、あさって なんだか知らないのか?」
 なんだか?
 なにかあるのだろうか。
 特に思いつくものもなく首を傾げたら、立ち上がりざまに肩に手を置かれた。
「まぁ知らなくても問題ないけどな、恥ずかしいから他の奴の前で言わないほうがいいぞ」
「なにそれ、どういう意味?」
「言葉通りだ」
 追求しようにもすでに彼はレオナに背を向けていて、すぐに兵士たちに取り囲まれてしまった。
 彼が忙しいのは知っている。本来なら話すらできないような人間なのだとも。
 書類を渡されて、話を聞かされて、ひとつひとつ指示を出している彼の姿を見てしまったら、これ以上レオナが話しかけることなどできなかったのだ。



 汗も引いて大分落ち着いたレオナは、長居していても仕方ないと修練場を後にすることにした。
 修練場は西門を入ってすぐにあるため、王宮内に足を運んでいるといっても門番や訓練を共にする兵士くらいしか会うことがない。
 初日はヴァレリオ自ら顔を見せに来てくれたのだが、すぐにビビアーナに声を掛けられて仕事に戻ってしまった。ファイは依頼している立場ということもあるのか、短い時間ではあるがちょくちょく顔を出しに来てくれている。それで今日も来てくれたのだろう。
 ただ、敷地内でも正反対と言っていい位置にある研究室にいるであろうミシェルには、偶然でも会うことなどなかった。
 本当はたまには彼女にも会いたい。
 せっかく近くに住むようになって、彼女の職場にこうして来ることもできるのだから。
「なーんか、会いたい人ほど会えないものなのかなー…」
 その代表格の兄の顔を思い出して、少し胸が痛んだ。



 真っ直ぐ帰る気分ではなかったので街をぶらぶらと歩いていると、いつもと様子が違うことに気が付いた。悪い意味でなく、いつも以上に活気に溢れていて多くの人が外にでていて。
 通り沿いに屋台のようなものを建てている人も何人か見かけて、首を傾げた。
 祭りだろうか。なにか催し物でもあっただろうか。
(あ、ファイが言ってたのってこれ?)
 祭りがあるとは知らなかった。一緒に暮らしているユーリも王都出身ではないし、こういった行事には疎いのだ。
 そういえば、今まで祭りというものに行ったことがなかった。ひっそりと暮らしていたり、転々としていたり、偶然祭りの現場に居合わせたこともないので正直どういうものかわからない。
 賑やかで楽しいものだとは聞いていたし、この雰囲気でよく分かる。
「レーオナっ! 今終わり?」
「ユーリ。そうそう、ちょっとぶらーっとしてたんだけど、お祭りみたいだねー」
 ふと声を掛けてきたのはユーリだ。両手に荷物を持っているところを見ると、買い物に行ってきてくれたんだろう。一つ持ってやって、並んで歩く。
「…え? ……もしかして、レオナ、知らないの?」
 思いもよらない反応に、少し口元がひきつった。
 ユーリはこれがなんのために開かれるものなのか分かっているという口ぶりだ。レオナと同じ王都出身者ではないのに、暮らすようになって過ごしている時間も同じなのに。
 レオナの正直な表情を見て、ユーリは笑って補足してくれた。
「まぁ忙しそうだったから仕方ないかもしれないけど、フランシス第一王子の生誕祭なの、これ」
「せ、生誕祭!?」
 なるほど活気みなぎっているはずだ。
 ファイが“他の奴の前で言わないほうがいい”と言っていた意味が分かった。王都に住んでいながら自国の王子の誕生日を知らないなんて、確かに白い眼を向けられるのも納得だ。
「なんかねー、結構賑やかみたいよ? 中央通りはこんな感じでズラーっとお店並んで、ほんとにお祭り騒ぎ。その時の状況によるらしいんだけど、その時の主役が通りを馬に乗ってぐるーって回ることもあるし、それができなければ、ほらあそこ。あそこから国民に向かって挨拶するんだって」
「へぇー」
 彼が言いながら指さした先は、王都内ならば恐らくどこからでも見える(顔をはっきりと見るのは難しいが、姿は確認できる)位置に付けられている、大きい出窓だった。
 ここ数十年平和なファーレンハイトでは、王族が民衆の前に姿を現すということはよくあるらしい。よく、と言っても今回のような生誕祭であるとか新年、即位式の後のお披露目など決まった時だけではあるが、権威だけを振りかざして国民の前には一度も姿を現さないような王族もいると聞いたことがあるし、それに比べたら随分と多いのだろう。
 その分兵士や専魔師は大変だろうなー とつい苦笑した。
 ヴァレリオの側近であれど、ファイは近衛兵士だ。当日はもちろんフランシスの護衛にも就くのだろう。
 大衆の前に晒されるというのは危険がその分増すということだ。数人の護衛で済むはずもないし、ましてや今はヘヴルシオンのこともある。今回は窓からの挨拶に留まるのだろうが、それだって危険なことには変わりない。
(ん? あ、れ…?)
 少し引っ掛かりを覚えて眉を寄せた。
 ファイは当日警護につくだろう。それはそうだ。だって彼は近衛兵士で、王族を守るのが仕事なのだから。
 だからあさって空けておけと言っていたのは別の日を指しているわけで、きっと生誕祭自体は明日とかもうちょっと先とか、きっとそうなのだ。
 しかし、ユーリやミシェルと約束していないのかと言っていた。
 “約束”。
 今まで予定があるかなど聞かれたことはなかった。もしなにかあればレオナのほうから告げて日にちや時間を変えてもらっていたのだ。
 それをわざわざ聞いてくるということは……。
「ね、フランシス様のお誕生日っていつ?」
「えー? それも知らないの?」
「す、すみません…」
 やはり一般常識だったか。王都生まれでないユーリにまで言われてしまって、途端に恥ずかしい気持ちになってきた。
 しかしユーリは誰かのように馬鹿にすることはせず、優しく笑って続けてくれた。
「あさってだよ、あさって。朝から賑やかだよー」
「あ、あさって……」
 予想通りだったその答え。
 いったいどういうつもりなのだろうか。生誕祭であるその日に、一日空けておけと言われて。
 まさか、レオナのことを…? そういえば最近なんだかよく会いに来るし、前よりも優しく…というか笑い掛けられるようになった気もする。
 いやいや、そんなのは自惚れだ。ファイの好みとは違うし、好意を持ってもらえるようなことをした記憶はないし、そもそも彼はレオナがジェイクの――兄のことが好きだと知っているのだから。
 そうだ。勘違いに違いない。ファイだってレオナにこんな勘違いされたら心外だろう。ファイは女慣れしているとヴァレリオも言っていたし、きっとなんとも思っていないのだ。そもそも あさって空けておけ というのも、警備の付き添いとか手伝いとかそういうことに決まっている。専魔師は少ないしフランシスの護衛にだけつけばいいというものでもない。となれば彼が自由に動かせてある程度信用できる都合のいい魔術師がここにいるではないか。
 うん、勘違いだ。
「あーびっくりした」
「? なにが?」
「いや、こっちの話ー」
 自己完結したらだいぶ気持ちが楽になった。
 まったく、慣れないことを考えるものではない。
(警備かー。街を見回るくらいだろうけど、その時お祭りも楽しめるかな…)
 大きい祭りは初めてなのだ。それも王都で、王子の生誕祭というほどの大きなものなど、街がどれほどの盛り上がりを見せるのか、楽しみで仕方なかった。

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