朱の月

1話‐4‐

 納得できない。
 規則正しく揺れている列車の中、レオナは半目で向かいに座る男を見ていた。
 その相手はというと、
「話は道中にする。とりあえずついてこい」
 とだけ言って列車に乗り込んだまま、不機嫌そうに目を閉じて未だ一言も話していない。
 勝手に引き連れておきながら説明もなしだ。
 王宮を出るときに貴族らしい男に声を掛けられていたが、それが原因なのだろうか。いずれにせよ空気が悪くて困るのはこちらなのだ。
「…あのー、グローリー…様?」
「ファイでいい。王宮を出てまで固っ苦しいのはごめんだ」
「…ファイ…様?」
「ファイ、でいい。あと敬語も別にいらない」
「は、はぁ……じゃぁ、ファイ? そろそろ、どこに行くかとか目的とか教えてほしいんだけど…」
 ぎこちなく言うと、あ、とやっと気がついたように目を開け、こちらを見た。
 軽く苦笑し、片足をシートに立てる。
「悪い、忘れてた。俺たちが向かっているのは、レスタリア国との国境にある小さな村だ」
 ヘヴルシオンは王都でこそ出没はしないものの、それ以外の町や村には頻繁に現れているらしい。
 狙われているのは魔伎――さらに言うならば、ある程度の力を持った魔術師だ。
 最近魔術師の行方不明、死亡が多く報告されているが、行方不明の者はヘヴルシオンに加入、死亡した者はこちらの力を削ぐためにも殺されたのだろうと王宮では考えている。
 そして今向かっているそこには、数年前まで専属魔術師だった男がいるらしい。昨日、彼から襲撃を受けたとの連絡が入り、ファイが派遣されたと。
「ただのにぎやかなじいさんなんだけどな。攻撃性の力もないし、探知とかでもなし。なんで狙われてるのかもわかんないんだが、元専魔師となっちゃ、黙ってるわけにはいかないからな」
 ファイの口から次々と出てくる情報に、表情に出さないまでも驚愕した。
 つい昨日までへヴルシオンがなんなのかすら知らなかったというのに、やはり無茶して忍び込んだかいがあったというものだ。 
 まさかヘヴルシオンが魔伎を集めているとは。だから兄はヘヴルシオンのもとへ行ったのだろうか。
 そのことでも驚きなのだが、一番はこの男だ。
 口調も砕けており、態度もなんというか、近衛兵士だというのを疑ってしまうほど、そこらへんにいる男となんら変わりない。
(なにこの変わりよう…)
 話し掛けやすい雰囲気になったことにはなったのだが、今までの嫌悪感はすぐには消えない。
「で、お前を連れて行くのはあっちからの接触を期待して。あとは、血は濃いみたいだがどのくらいの魔術師なのかを見たいから、だな」
「え…と、期待してもらってるとこ悪いんだけど、私実戦経験ってほとんどないよ?」
「んー大丈夫だろ。きついこと言うが、使えなかったら見捨てるさ」
 本気か冗談なのか、にやりと口元が笑ったが、不思議と昨日のような嫌味はなかった。


 1日列車を乗り継ぎ、さらに終着駅から一時間近く掛けて辿り着いたその村は、山と山の間にひっそりと存在していた。とても小さく、家屋は十軒ほどしか見つけることができない。
 様々な種類の作物が植えられている畑は至るところにあり、家畜も放して飼っているようだ。
 のどか、という言葉がまさに当てはまる、絵に描いたような田舎の村だった。
「…静かだな」
 そうつぶやいた彼の声色も表情も険しい。
 村に充満する静けさは、穏やかなものではなかった。家畜はそこら中を歩き回っているが、村人が1人も見えないのだ。
 今は昼間。いくら人口が少ないといえ、明らかに異常だった。
 レオナに向かって軽く顎をあげるとすぐに歩き始める。
 村の集落を少し離れ林の間を抜けると、小さい家が一軒建っていた。それ自体はよくある光景なのだが、目ではわからないものがそこにはあった。
 先を歩いていたファイが、家の十数メートル手前で突然足を止めた。
「…どうしたの?」
「いや…直感だが…」
 言っておもむろに手を伸ばす。 腕は伸びきることなく、壁に当たったかのように不自然に宙に止まった。
「結界か。ま、当然だろうな」
 軽く肩をすくめる。
「お前、気が付いてただろ」
「これでも魔術師ですから」
 彼の口調が全く責めていなかったので、素直に答えることにした。
 気を張らないと結界を見ることはできないが、魔術の気配はごく当たり前に感じられる。
「そのくらい言ってくれてもいいんだが?」
「ファイが私を試すように、私だってあなたを初めから無条件で信じるわけにはいかないし。この程度は気が付くと思ってたけどね」
「それもそうだな」
 あまりにも軽い言葉にどうしても拍子抜けしてしまう。責められるよりはいいが。
「それで、入れるの?」
「無理だ」
「…はい?」
「俺は魔術に関してはなんの知識もないからな。そのためにお前を連れてきたっていうのも一理ある」
 あっけらかんと言うものだから、笑ってしまった。
 プライドも高いのだろうと思っていたが、それも違うらしい。
「言っておくけど、結界の解除って魔術師だったら誰でもできるってほど簡単じゃないからね」
 少し離れるように促し、結界に触れるか触れないかくらいの位置に立つ。
 魔術師にも、己が得意とする系統がある。自然の力を利用したもの。生き物の身体に働きかけるもの。精神に作用するもの。時を操るもの。
 血や性格などでも能力は変化すると言われており、似たようなものはあれど、同じ術を使える者は2人と存在しない。
 結界はもっとも個性が出る術だ。なにを防ぎたいのか、どこを中心に魔力を込めているのか、術の流れは、など、すべてを読み取ることができなければ、いくら力の強い魔術師でも解除することはできないのだ。
 瞳を閉じ、意識を目の前の結界に向ける。
 結界の解除なんていつぶりだろう。自信はないが、やれなければ兄から遠ざかるのだ。やるしかない。
 ゆっくりとした魔力の流れを感じ取ると、今度はそれに自身の魔力を同調させる。同じ系統で、力で、速さで。
 レオナの魔力が完全に結界と同調するのに、大した時間はかからなかった。
「…来て。ここ、1人分だけ通れるように開けたから」
 目を開かず意識を集中させたまま、最低限の声量でファイに呼びかける。
 大したもんだなとつぶやく声が聞こえると、音を立てずにレオナの前を通り抜けた。レオナの言うとおり、確かにその部分だけ結界は解けているようだった。
 ファイが中に入ったのを見計らい、ゆっくりと瞳を開ける。ぼんやりとした視界の中に、家を囲むように張ってある結界が見える。
 自身が開けた穴は、意識が少し散乱していることで、ゆっくりと狭くなっていた。
 ぶつからないように通り抜け、ひとつ息を吐く。
「これ、ずっと開いてるのか?」
「ううん、もう閉まってる。やつらが来ても、もう入口は跡形もないはずだよ」
「誰だ!」
 声とともに銃声が鳴り響く。弾は2人の間を抜けた。
 そこには、顔を青くした初老の男性が、厳しい顔つきで立っていた。

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