戻ってきたランカは、先ほどとは打って変わって大人しくなった。
気分を損ねたのではないのだろう、笑顔は絶やさないし、初対面のヴァレリオとも上手く話を盛り上げている。だから、なんというか、――ファイに対しての態度が、なのだ。
彼を避けるのではなく、普通に会話をしているだけだ。
普通すぎるのが逆に普通ではない。
彼女は、ランカはファイに惚れていたはずで、積極的にアピールしていたはずなのだ。嬉々として自分から腕を組みにいって、甘い笑みを見せて。同性でもどきっとしてしまうような彼女の“女”の顔が、今や全く見られないのだ。
ヴァレリオもやはりレオナと同じ疑問を抱いたようで、さり気なく視線で会話した。
(あれ、どういうことだよ?)
(私にだってわかんないよ。なんかあった?)
(いや、気に障るようなことはなにもしてないだろ…)
互いに首を傾げたところでランカがこちらを向いた。
「ところで、こんな田舎にどうしたんです? お墓参りでもないでしょうし」
「あ」
すっかり忘れていた。舌を出す気分でファイを見ると、彼も頭になかったらしい。気まずいような表情で視線を逸らされた。
これはレオナの問題なのだから彼が忘れていようと構わないことだ。視線を合わせられない彼が面白かったのでひとつ笑ってから、彼女に首の金属を示した。
「実は、これを見て欲しくて」
「なんですか? ……綺麗な首飾りですね」
少し前傾姿勢になってレオナの首を見てくるランカに、一瞬胸元を見てしまったあと 目のやり場に困って不自然に顔を逸らしてしまった。同性だからなんの問題もないのに、それでも見てはいけない気がする。
「これ見てなにか感じない?」
「自慢ですか?」
「ち、違うよ!」
慌てて否定するレオナに笑って、ランカは再び首飾りを注視する。
「なにかあるんですか? 特に変なようには思いませんけど」
「それに触ってみてください」
ファイの言葉に怪訝そうにした彼女は、しかし言われた通りにレオナの首元に手を伸ばした。
触る前に一言断ってからついにそれに触れ、見る見る間に目を大きく見開いた。
「――っこれ! なんですか!」
「魔道具…だと思うんだけど、よくわからないし取れないの。どうにか…できないかな?」
途端に目に鋭い光を灯したランカは表情を消して席を立ち、レオナの背後に回って魔道具を弄りだした。
少しすると、突然なにも言わないまま別の部屋へと消えていき、すぐに戻ってきた。その手には一般的なものから見たこともないような工具まである。
中に切れ味の良さそうなものまで見つけて、一瞬身を引いてしまう。
「あ、動かないでください。大丈夫ですから」
愛想のいい彼女にしてはなんの笑みも感情もない、多少の威を含んだ声色だった。
動くことができなくなったレオナは、もうどうにでもなれという思いで堅く目を瞑ることにした。
しばらく闇の中にかちゃかちゃと軽い金属音が鳴り続き、比較的重い音がしたと思うと、懐かしい感覚が急に戻ってきた。
驚きに目を開けると、視界がそれまでとは変わっているように感じた。自身の周りを、温かいような優しく落ち着くようなものが纏っているようだ。
頭が妙にすっきりとしていて、身体が軽くなったようにも思う。
振り返ってランカを視界に入れると、彼女の周りにも層があるのが感じられた。
声を出せないまま手に視線を落として両手を何度か握り、手のひらに意識を集中させる。するとそこには小さい炎が生まれてすぐに消えた。
「魔力が、戻った…」
久しく失われ、忘れかけていた大切なもの。それが戻ってきたことにひどく安心し、涙が出そうにすらなる。
「ランカ、ありがとう!!」
「いえ、礼には及びません…けど、これなんなんですか? 魔力が封じられるなんて不快ですね」
元の表情を取り戻した彼女は、触っていたくなかったのだろう机に置いた首飾りを、異物でも見るように見下ろしている。
鏡越しでなくしっかりと見たのは初めてのそれは、レオナからしてみてもあまりにも異様だった。
造りは普通の魔道具や首飾りとなにも変わらない。ただなんだかわからないが、それでもどこか変だと感じるのだ。今まで自分の魔力を封じていたものだからだろうか。
「うーん…なんて説明すればいいのかな……。私たちもよくわかってなくて…」
「えー?」
「それがなんなのか、あなたに解析して欲しくて来たんですよ」
穏やかに言うファイを困ったように見て、ランカは頬に手を当てて息を吐いた。
なにを思っているのか熟考に入ってしまうと、部屋を重い沈黙が支配した。彼女の返答次第でこれから取るべき行動が変わってくる。まさか拒否することはないだろうが、こうも黙られてしまうと不安にもなってくる。
研究者肌の魔術師ならば、あの魔道具が気にならないわけがないのだ。
それでも内心どきどきしながら待っていると、不意にぽつりと呟いた。
「ただでですか?」
「ん?」
「私、専魔師でもなければそもそも大した魔術師でもないんですよね。アドルフさんと研究しているのは楽しかったですし、費用も国が保証して下さってましたし。でも今って、なんの後ろ盾もないんですよ、私」
「んん?」
ランカの言いたいことがよく伝わってこない。
思惑を咀嚼できないまま眉間にしわを寄せたレオナから順番に、ファイ、ヴァレリオと視線を合わせてから、邪気のない笑顔を見せた。
「なので、ひとつ言うこと聞いて下さいません?」
「え、えと? それはどういう…?」
引き攣った顔のまま首をゆっくりと倒す。
その原因を作った彼女は不思議そうに目を丸くする。
「その通りの意味ですよ? 私がそれの解析をします。ただし、ひとつだけ私のわがままを聞いて頂きたいってことです」
人差し指を立てて秘密事でも言うかのように唇に当てる。
仕草だけを取れば愛らしいようなそれも、なぜかランカがすることによって妙な色気があるのだから困ったものだ。赤くなる顔を隠しながら視線をヴァレリオへと逃がすと、彼の得意なにやにやとした笑みを誤魔化しながら微笑んでいた。
一応今の彼は近衛兵士、ということになっている。同じ立場のファイが礼儀正しい誠実な対応を崩さずにいるのだから、彼も好き勝手に発言することは控えているようだ。
素は置いておくとして、元は第二王子として良い外面を保っている彼なのだから今もその皮を被っていればいいと思うのだが、ファイとレオナがいるからなのか普段通りのままの態度に近い。
今回ヴァレリオがここに来たのは別行動を強く否定したファイのためだ。
本来は来る必要もなかった彼は、完全に傍観を決め込んでいるようだ。
「あまり難しいことでなければ、お聞きしますよ」
返答に困って――というかランカに呑まれて黙っていたレオナの代わりに答えたのはファイだった。
「大変なことではないので、安心してください」
「う、うん! なに?」
「レオナさんじゃないんですけどー……」
ランカはほんの一瞬言うのを躊躇う。
笑顔をファイに向けると、腕に自身のそれを絡めた。
「ファイ様とデートさせてください」
なんとなく予想がついていたが、彼女のそれまでの態度からないだろうと決め掛かっていた要求に、レオナはやはり言葉が出なかった。
資金提供しろ だとか、解析のための人員を割いてくれ だとか、報酬をはずめ だとか、もっと欲のある要求もできる(それを呑むかは別の話だが)というのに、なんと無欲なのだろう。
デートなんて駆け引きの材料にするには勿体ないのではないか、と思って、ふと納得した。
レオナも昔、兄に“なにかひとつだけ言うことを聞いてあげる”と言われたことがあった。彼がそんなことを言い出すのは珍しいので、色々考えて、考えに考え抜いた結果――一日だけ付き合って欲しい と言ったのだ。
買い物に行って、魔術を教えてもらって、一緒に料理を作って、…そんななんでもない日だったのだが、レオナにはそれで充分だった。“好きになって”なんて言えないし、聞いてもらったところでそれは所詮偽りだ。せめて慰めのようにでも共に過ごしていたかったのだ。
ランカの気持ちはよく分かる。でもこれは自分のことなのだ。ファイに迷惑を掛けるわけにはいかない。
「分かりました。私で良いのなら、喜んで」
ランカを至近距離で見詰め返してファイが言う。
「え、えええ! いやいや、私のことなんだから私がなにかするよ! ね、ランカ!」
「ファイ様がいいっておっしゃってるんですからいいじゃないですか」
「んー……なんていうか私的に! 尻拭いさせてる…ってわけじゃないけどそんな気分だもん」
自分に嵌められていた首飾りで、自分の魔力が封じられていたのだ。彼女に頼もうと考えたのも自分だし、本来は一人で来ようとしていたのだし。
レオナの言い分も分かってくれたのか少し逡巡しているランカの肩を、ファイが優しく抱き寄せた。
「俺がいいって言ってるだろ。悔しがるな」
言って傲岸に口角を上げる。
腕の中ではランカがどこか嬉しそうに頬を赤くして俯いている。
「なにに悔しがるっていうのよ」
「俺とデートできることにだろ?」
「意味が分かりません」
結局彼も綺麗な女性には弱いということか。
白い目を隠そうともせずにいると、ファイが僅かに目を細めてからランカを促して出ていく。扉を閉める直前に振り返ると、
「と、いうことで、不本意ではあるが彼女に付き合ってくるから遅くなる。お前らはお前らで仲良くやっててくれ」
と、鼻で笑っていそうな調子で言い放って行った。