朱の月

5話‐2‐

 村に入ったところで馬を預け、さらに森の奥へと進む。ここに来たのはたった一ヶ月前なのに、随分と昔のことのように感じた。
 このひと月が信じられないほど怒涛に過ぎていったのだ。二ヶ月前に王宮に潜入して、一ヶ月前にランカに会ってからというもの、セラルト領へ行ってバレンシアに会い、クルグスの街でキーラと戦闘し、王宮に戻れたと思ったらディカルストへ行って。
(私、本当に兄さんに近づけてるのかなぁ…)
 こっそりと息を吐こうとしたら、ファイが息を呑んだのに気付いた。
 先頭を進んでいた彼の足も止まっている。
「なになに?」
 後ろから覗きこんで、レオナも同じように息を呑んだ。
 アドルフとランカの住んでいた小さな家が、見る影もない。すっかり更地になってしまったそこには、多くの花に囲まれるようにしてささやかな墓らしきものが寂しげに建てられているだけだったのだ。
「あ? ここか? なんもねぇじゃん」
 怪訝そうなヴァレリオの言葉はもっともだ。レオナも前に見ていなければ信じられないが、確かにここにあった家がないのだから。
 無言でファイが足早に墓に近づく。
 慌ててそれに続くと、墓石にはここにあった家の主人の名が刻まれていた。
「間違いないな。ここにアドルフ殿の家があった。そしてランカによって埋葬されて…家は壊したんだろう」
 彼の死を再確認したことでまた胸が痛む。家がなくて驚愕したのとは別の意味でも沈黙してしまったレオナの頭に、ファイが手を置いた。見上げると彼は視線を寄こすことなく、すぐに手をどかした。
 さりげない配慮に胸が温かくなる。いつもそうなのだ。甘やかすでもなく、叱咤するでもなく、ただ受け止めてくれるだけ。
 黙祷を捧げて、気持ちを切り替える。
「ランカ、どこにいるんだろう。元気……だよね?」
「知らん」
 実の祖父のようにアドルフを慕っていたランカが、どういう気持ちで家を壊したのかは分からない。レオナたちと別れるときは気丈に振る舞えていたが、やはり無理をしていたのだろう。
 彼女の背景も知らないが、家族と離れアドルフと暮らしていた彼女が早まった行動に出ていないかが心配だった。
「村には住んでないみたいだったもんね。出て行ったんだったら教えてくれるだろうし」
「どうだか。前に俺たちが来た時だって、ほとんどの奴らが顔すら出さなかったんだぞ? 覚えていなくても不思議じゃないだろ」
 それもそうかもしれない。
 彼の家はヘヴルシオンに襲撃されていたため、火の粉を避けるように村では沈黙を守っていたのだから。
「とにかく探しに行くしかないだろ。見た感じ、そう離れてるみたいでもねぇし?」
「え、なんでそう思うの? もう遠くに引っ越しちゃってるかもしれないじゃん」
 確信を持っている様子のヴァレリオに聞き返した。
 墓を建てて、家を壊してまでいるのだ。思い出したくないからとこの地を離れているというのも有力だと思うのだが。
 彼は墓石を一瞥してから周りの花々を見回す。
「放置してるにしては、墓が随分綺麗なんだよな。それにこの花。ひと月前ってことは、植えただけだろ? この花はファーレンハイトでも結構珍しい種類だし、自然に任せてるだけじゃここまで綺麗に咲き誇れないやつなんだよ。ってことは、ちょくちょく見に来てるってことだろ」
「…そ、うなんだ?」
 言われてみれば汚れなどは見当たらない。が、珍しい花だから頻繁に足を運んでいるはずだ、などとはレオナにはさっぱり分からなかった。
 王子にもなるとそういう知識も必要なのだろうか。将来、妻になる人間にでも贈って喜ばせるための知識とか? そう考えて、さすがにそれはないか と苦笑した。
 ファイがまた呆れたように笑ったのを視界に入れた途端、ヴァレリオを庇うように振り返った。
 驚いてレオナも遅れつつ振り返るのと緊張を孕んだ誰何の声が掛かるのは同時だった。
「ど、どなたですか?! ここにはなにもありませんよ!」
 両手に花を抱えて険しい表情をしていた彼女は、レオナとファイの姿を認めて紫色の目を丸くした。
「…あら? ファイ様とレオナさん?」
 久しぶりに見せる爽やかな笑顔で会釈するファイに隠れるように、ヴァレリオが小さく口笛を吹く。横目で彼を軽くねめつける。
「ほう、彼女みたいなタイプがお好きですか?」
「タイプどうのじゃなく、あれは万人受けするぜ?」
 どことなく嬉しそうなヴァレリオに、レオナはむしろ不快になる。彼女のことは嫌いではないのだが、こうも自分とは違う反応をされてしまうと釈然としないものはあるのだ。
 同性のレオナから見ても、彼女は美人であるのに可愛げがあって庇護欲をかきたてるような容姿をしているし、多少直情的な部分はあるが人に対する態度は丁寧で気持ちがいい。そして、スタイルもいいことだし。
 目が肥えていそうなヴァレリオに万人受けするとまで言われる彼女。聞いたことがなかったが、兄も彼女みたいなスタイルが良い美人のことを好きになるのだろうか。
「今、少し離れた場所に一人で住んでいるんです。そちらにご案内しますね」
 レオナはなんだか落ち着かない思いのまま、花のような笑顔のランカの先導に従ってその場を後にした。



 ファイの腕に絡んで上機嫌のランカに続いて、村とは反対側に進んでいく。彼女は始終笑顔で他愛のないことを嬉々として話しているのだが、ファイはといえば、固まりきった笑顔のままだ。
 5分も経たないうちに、小さく可愛らしい造りの家が見えてきた。
「今、私はここに住んでいます。誰も住んでなかったので、許可をもらって、自分で改装したんですよ。あそこに一人で住むには広いですし、…ちょっと辛かったので」
 そう苦笑した彼女は、自分の好きなように家具も揃えたし研究にも集中して取り組めるからこの家は気にいっているのだと明るく続けた。
 中に入ると、ランカらしい華やかな家具や置物が鎮座しているのが目に飛び込んでくる。それぞれが主張をしているのに、なぜか反発しあわずに統一感がある。
 その中でも一際目を引く水晶にふらふらと近づいた。
「これ、きれい……」
 レオナの拳ほどの大きさのそれは、濁りのない透明の水晶の中に淡い色をした貝殻のような形のものが散りばめられていた。それらは光を反射しているのかきらきらと輝いている。
「あぁ、それ自信作なんですよー! その石一つ一つに魔力を込めてあるんで、だんだん色変わってくんですけど、わかります?」
 自身の作品を褒められて嬉しかったのか破顔してされた説明の通りに、石の一つをじっと見つめる。
 レオナが目を付けた薄い紫のそれは、紫が薄まっていったかと思うとヴァレリオの瞳のような水色に、さらに待つと鮮やかな萌葱色へと変わっていった。
「すごーい! これ欲しい!」
「ふふ。気に入っていただけたのは嬉しいんですけど、材料になってる石…蒼白晶っていうんですけどね、それがものすごく希少で手に入らないんですよ」
「えぇー……そうなんだ…残念…」
「………あれのなにがいいんだ?」
「女は好きそうじゃん」
「あんななんか知らんが光って色が変わるだけの魔道具が? 希少な石を使って手を掛けて魔力を注いで、ただ飾るだけの魔道具が?」
「…お前、だから女にモテねぇんだよ」
 ランカから詳しい説明を興味深く聞いていたレオナには、男二人の至極つまらなそうな会話は耳に入らなかった。
 魔道具に関する知識がほぼないレオナにとって、戦闘に使われるような魔道具も興味はあるが、それには高い技術が必要になるため、難しすぎる。それよりは装飾品としてしか使えなくとも手間の掛かっているあれのほうが、好奇心がそそられるというものだ。
「ランカ、申し訳ありませんが、馬を急かしてきたので彼女も疲れている。座らせてやってくれませんか」
 表面的には笑顔のファイが声を掛ける。自身もヴァレリオも立っている状況からして、内心では話に花を咲かせている女二人に呆れてでもいたんだろう。
 だいいち、レオナは確かに身体に痛みは感じているものの疲労はさほど感じていないのだ。いや、正しくは吹き飛んでしまったというべきか。彼女が作ったという水晶を見た途端に、感動でそれどころではなくなったのだ。
「あ、すみません! 私ったら失礼なことを…」
「いいよー、別に疲れてないし」
「そんなわけにはいきません! 今お茶をご用意しますので、皆さんお掛けになってください」
 去り際ににっこりとファイに笑いかけてから、彼女は部屋を出て行った。
 ファイが真っ先に座るとヴァレリオも続いたため、レオナも大人しく座って待っていることにした。本当は至る所に置いてある魔道具らしいものを見て回りたいのだが、勝手に物色するのも失礼だろう。
 しかし自身の好奇心に逆らうことはできず、座りながらも周りをきょろきょろと観察していた。
「なんなの? なんでファイがそんな気に入られてんの?」
「別にそんなことないだろ」
「思ってもねぇこと言うなよ。あんな美人に媚売られてんだぜ? いい気しないなんて男じゃねぇ!」
「そこまで飛躍するなよ…。俺は彼女みたいなのは趣味じゃないんだよ」
 聞こえてきた会話が少し気になって振り向くと、ヴァレリオが大袈裟に口を大きく開けて目を丸くして驚愕の表情を浮かべていた。
「……大丈夫か?」
「心底労わるような視線を向けるな…! 人には好みってもんがあるだろうが」
「あれが趣味じゃないなんて言い切れるなんて、お前ちょっと医者に掛かった方がいいんじゃねぇか? 疲れてるとか。あぁ、俺がこき使ってるからか……悪い…。今度いい女紹介してやるよ…!」
「人の話を聞け…!」
(ほんと男って……)
 レオナは冷めた目で二人を見ていたが、盛り上がっていて気付きもしないようだ。
 微妙な不愉快感を紛らわすために立ちあがり、また部屋に置かれている魔道具を見ることにした。中にはただの置物も多いのだが、どれも趣味が良いので見ていて飽きない。少しはそのセンスをミシェルに教えてやりたいものだ。
 そうして次の魔道具に視線を移動させたところで、ランカが戻ってきた。
 盆に湯気のたつお茶と手作りらしい焼き菓子を乗せた彼女を手伝おうとすると、肩に手を置かれる。振り返るとファイが、
「いい。座ってろ」
「私が手伝うからいいよ」
「任せとけって」
 ランカの手前か紳士然とした微笑みで彼女から盆を受け取ったファイの背を困ったように見る。
 そのまま立っていてもどうしようもないので、元の席に戻ることにした。
 だからレオナは気付かなかった。無関心のファイも、にやにやとした笑みを浮かべてファイを見ていたヴァレリオも、ランカが一瞬とても傷ついた目をしていたことに。

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