朱の月>

4話‐9‐

 エフライムの屋敷前に揃った4人はだが、ここに至るまでにも問題がいくつかあった。
 まずファイがヴァレリオを屋敷に行かせようとはせず、そこで冷戦が繰り広げられたのだ。
 ヴァレリオは一見穏やかに見える笑みを崩しはしなかったが、微かに言葉に圧力を見え隠れさせていた。しぶとく食い下がりながらも結局は権力に負けたファイがビビアーナに護りをしっかりしておけと堅く告げて、話はなんとかまとまった。
 そして所持している魔道具を誰が持つか。攻撃性のあるものは戦闘担当のファイが持つとして、防御性のものはヴァレリオが持つべきだと3人が主張したのだが、彼はビビアーナがいるから不要だと一人反対した。その代わり、女性で一般人のレオナが持つようにと。結局、今はレオナとヴァレリオと、分けて持っている。
 そんな些細ではあるがファイにとっては重大な口論がいくつも繰り返され、予定よりも大分遅い到着になってしまったのだ。
「どうだ、ビビアーナ。エフライムはいるかな」
「はい、間違いなく。我々が来ると事前に知っていて待っていた様子ですね」
「ふーん。まぁ待ち構えられていても問題ないだろう。ね、ファイ」
「私が対応するんですね…」
「私は後衛担当なもので」
「私は王子だしね」
 堂々と答えた2人は息が合っている。ビビアーナにとって地位的にはファイの方が上なのだが、随分はっきりとした物言いである。
 言葉を失ったファイは、一瞬だけ苦い顔をしてすぐに頭を垂れた。
「……お任せ下さい。私とレオナで対応致しますので」
「え、私も!?」
 巻き添えをくらってしまったレオナは慌ててファイを見るが、無言の圧力を加えられてしまった。
 専魔師の前だし、なにより王子の前だしということで、なにも反論できずに頷くしかない。
(待ち構えられてたって…なにか罠とか仕掛けられてんのかな…)
 魔道具で街の統治をできるような男ならば、罠を仕掛けるのでさえも簡単なことだろう。こちらはヴァレリオを庇いながら(彼を護る役目のあるビビアーナも一応保護対象らしい)進んでいかなくてはならないというのに、なんと面倒なことだろう。
 いやいや、面倒だなんて思ってはいけない。仮にも相手はこの国の王子と専魔師と近衛兵士なのだから。
「では行きますよ」
 ファイが軽くビビアーナを振り返り、術の確認を促す。特になにか言われているのではないのだが、レオナも自身の防護を強めにかけておいた。


 重厚な扉を開けた先は、まるで別空間のようになっていた。いや、実際別空間なのだろう。
 建物の中のはずなのだが、左右は岩壁。低い天井に、真っ暗な通路。湿った生温かい空気が場を支配し、音はなにも届かない。
 背後を振り返ってみると、今入ってきたばかりの扉の先は、やはり通ってきたばかりのディカルストの町並が続いている。
「ここからすでに術か……」
 思わずため息を吐いたファイが、確認のために壁に手を伸ばす。
 同じように壁に触れ、周りを確認していたビビアーナが術の解析を終えたようだ。
「空間制御ですね。彼は使えないので魔道具を使用していますが、その魔道具自体が強固に守られています。私たちでは破壊は難しいでしょう」
「私には魔道具が置かれてる場所までは分からないんですけど、ビビアーナさんは分かるんですか?」
「いえ。魔道具を使っていることくらいしか」
 専魔師の分析にも、ヴァレリオは慌てた様子を見せない。
 呑気にも見える穏やかな笑みを浮かべたまま、壁を指で叩いた。
「このまま進んで大丈夫かな? 閉じ込められはしない?」
「その心配はありません。彼もこの空間にいるので閉じたら道連れになりますし、そもそも彼自身にも閉じられないようになっています。それに…これは、空間を歪めて洞窟本体をここに持ってきていますね」
 ヴァレリオの杞憂にも彼女は淡々と答える。この短時間でそこまで分かるとは、さすが専魔師。
 洞窟本体を持ってきている。それは、屋敷の入り口と洞窟のどこかを空間制御で繋げた状態を言っているはずだ。
 レオナたちが洞窟内部へと転移させられている…というのか。例えば、不可能だとは思うがこの岩壁を突き破って外に出たとする。そうなれば出た先は屋敷の外なのだ。屋敷の内部だけをそっくり入れ替えているような術である。
 ヴァレリオはビビアーナの返事を聞いて頷く。そのまま後ろを見ずに歩き始めた。
「なるほど。では問題ないね」
「問題なくはないような……」
 罠だらけであろう洞窟。聞いただけで入りたくもないし帰りたい状況だ。今ならまだ扉は開けたままであるし、引き返すこともできる。――が、それが許させるわけもないだろう。
 どことなく楽しそうなヴァレリオにさらに不安を抱きつつ、レオナも足をしっかりと踏み入れた。



 飛んでくる槍。落ちてくる大岩。火を吹く石像。異形の生物。幻を見せる文様の部屋。
 なんとも典型的とも言えるそれらの仕掛けに対する反応はそれぞれだった。
 ファイは魔力がないにも関わらず真っ先に気付き、ヴァレリオを確実に守るよう動く。ヴァレリオは不安を感じていないのか、楽しそうにいちいち罠を誘発させている。ビビアーナは破壊しようとはせずただ避けるのみで、レオナはと言えば、それがどのように動いているのか目を輝かせて調べていた。
「うっわぁ…! これすごい…! なるほど、人の熱に反応して発動するようになってるのか。…でも、魔伎には無反応……魔力を感じて発動しないようにしてる? …あぁ、自分回避させようとして、難しい条件を付けるには時間が足りなかったのね」
「これとか面白いですよ。映像を彼に届ける魔道具みたいです。…グローリー様が壊しましたけど」
「壊すに決まっているだろう。殿下に危害が及んだらどうする」
「それはレオナが持ち帰って構わないよ。王宮で少し手を加えれば使えるようになるだろう」
「え、いいんですか!?」
 あまりに危機感のない一行に、ファイだけが苛立っていた。レオナもここに入るまでは警戒や心配もしていたのだが、今ではこの有様だ。
 ファイは、実はレオナの真面目なところを評価していたのだが、これでは真面目を通り越している。見たことのない魔道具が目の前に山ほど出てきているのだ。胸が弾むのもわかるが、これでは猫じゃらしに釣られている猫のようだ。
 いつもは空気を読んで顔色を窺っているのに、自分のことで精一杯といった様子である。
「これはなんだろうね」
 ヴァレリオが見るからに怪しげな取っ手を掴み、示されるまま引く。
「てめヴァリ…レリオ殿下! なぜ明らかな罠に嵌まるのです!!」
 ちらりと彼の姿を確認しながら思った、
(ファイ、本性現れてるよ…)
 というレオナの心の声は届いているのかどうか。届いてなくとも、本人も感情を抑えきれなかったと自覚しているだろうが。
 それに、その気持ちは分からないでもない。
 ファイがヴァレリオを守るために立ち回っているというのに、その努力を嘲笑うかのような所業。実際になんとも嬉しそうな空気を隠していないのだ。ファイが困って、焦って、怒っているのを心底楽しんでいる。
 ヴァレリオが作動させてしまった罠のせいで降ってきた火の玉を、各々が 風で打ち消し、軽々と避け、剣で叩き落とし、見守る。こうして見てみると随分とバランスの良いチームな気もする。恰好がつかないことに、レオナは軽く叫びながらではあるのだが。
 罠が収まるまで待ってから、ヴァレリオは軽く被ってしまった砂埃を払う。
「罠だったのか、気付かなかったな」
 白々しすぎる。
 ついレオナまでそう思ってしまったのだから、ファイなど胸中でどんな罵詈雑言を吐いているのか……考えたくもないことである。
「しかし、エフライムが仕掛けたという罠の割には随分と楽だね。王宮専属魔術師の冠を返してもらいたくらいじゃないか」
「そうですね。この程度でしたら、私でも可能かと」
「……お言葉ですが、殿下。全て対処しているのは私ですので、そう挑発するようなことを言わないでいただきたいのですが」
 さっさと進みだしてしまうヴァレリオが余計なことをしないようにと、ファイがさりげなく壁から離れるよう誘導している。代わりにビビアーナがうろうろしているのが、なんとも不安の種である。
「挑発していいじゃないか。これ、どこまで行っても終わりがないかもしれないよ? ぐるぐるぐるぐる、同じところを回らされて、出られないまま白骨化……なーんてことになる前に、本人に出てきてもらった方が都合がいいだろう?」
「縁起の悪いことも言わないでいただけますか」
「ありえないことではないからね」
 どこまでも飄々としているヴァレリオだが、なにか考えがあるのだろうか。
 この洞窟に入ってからというもの、レオナには外部の魔力を全く感じられなくなった。
 屋敷前では確かにエフライムのそれ(結界と同じ魔力だったので、彼に間違いないだろう)を感じ取れていたのだが、消えたのではなく、なにかに乱されているように辿るのが不可能になっていた。隣を歩くビビアーナの魔力にしてもそうだ。今は魔力を遮蔽しているわけではないのに、魔力を通して彼女を認識することが難しい。
 つまり魔力を頼りにエフライムを見つけることは非常に難しいような状況なのだ。
 とすれば、進むしか道はないように思うのだが。
「では、聡明なヴァレリオ殿下のことです。なにかお考えでいらっしゃるのでしょう?」
 片眉を僅かに引き攣らせたファイが、やはりわざとらしく尋ねた。
 彼は彼で突破口を考えているのだろうが、ここまで好き勝手しているのだからお前が指示しろよ、とでも言いたげである。
 ヴァレリオが示した答えに納得がいかなければ、もう口出しや勝手な真似はさせないつもりだろう。それでも、その言葉や表情にはヴァレリオに寄せる信頼が見えていた。
「私だって、さすがにずっと歩くのは疲れるよ」
 言葉とは裏腹に4人の中で一番疲労の色が見えない彼は、閉じていた目を薄く開けて つ、と視線を泳がせた。
 タイミングを見計らっているような、なにかを企んでいる目。
 訝しめたのは、一瞬だった。
「私は、これを待っていたんだから」
 不敵な笑み。
 ファイが彼の思惑に気付いて腕を掴もうと手を伸ばしたが、遅かった。
 ヴァレリオはファイの立ち位置とは逆にある岩壁の仕掛けに目を付け、素早く罠を発動させたのだ。ビビアーナと示し合わせていたのか、彼女もファイに余計な手出しをさせないよう、レオナを彼に向けて強く突き飛ばした。
 当然そのようなことをされると思ってなかったレオナはいとも簡単にバランスを崩し、ファイに突っ込んでいく。視界の端でそれを認めたファイは、小さく舌打ちしながらもレオナを庇って受け止めた。
 そうしてレオナが顔を上げた時には、すでに発動していた罠によって、ヴァレリオとビビアーナの姿は目の前から消えていたのだ。

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