朱の月

4話‐7‐

「お前…、馬鹿か!!」
 何度目になるだろう言葉と、頭に落ちてくる拳。
 何度目になっても慣れはしないそれを受けて悶えながら、ファイを見上げる。目線の先では、ファイが青筋を浮かべて口元だけ笑っている。非常に怖い。
「殴らなくったって…」
「それがビビアーナだ、ビビアーナに決まってる。そもそもなぜ連絡をしない、お前の耳に着いているこれはただの飾りか?」
 耳を引っ張られて、思い出した。ファイに通信の魔道具を借りていたことを。
 すっかり忘れていたレオナは、自身の迂闊さに乾いた笑いを漏らした。
「あはは………ごめん…。魔道具って慣れてないから…忘れてた……」
「慣れてないから、じゃねぇ!」
 また殴られそうだったので、慌てて簡易の防護を張った。
 ファイの拳が防護に当たり、防ぐことはできたのだが、凄みを増した視線はどうにもならない。
「そんなに怒ってると血管切れるよ?」
「ほう、切らせようとしているのはお前だがな! 俺を殺したいのか!」
 ファイのあまりの言いようにレオナも腹が立ってきたのだが、街で見てきたことを思い出し、気持ちを落ち着ける。ここでこれ以上口論していてもなにも止められない。
「とにかく、ビビアーナさんを逃がしたことはごめんなさい。何回でも謝るから、早くどうにかしないと大変なことになる。ファイの言う通り、本当に血が流れちゃう」
 レオナの言葉で、ファイも冷静さを取り戻した。
 街で実際に聞いてきた民の言葉は、しっかりとファイに伝えた。エフライムがなにをしたのか、なんの目的があるのかはわからないままだが、彼自身に問題があるというのならば許せない。
 故意に大きく息を吐く。
「そうだな。ビビアーナがすでに街の中にいるのなら、ヴァリーも一緒だろう。それに、俺たちももうここから逃げられないんだろう?」
 頷く。
 レオナは街中――結界内に入ってしまったが、ファイの位置はまだよくわからなかった。そして合流しようとして、やはりファイはまだ外にいたようで結界に遮られてしまった。
 それを不審がったファイが結界内に踏み込んでしまい、結界のことやら内部のことやら魔伎の女のことやらを説明して、今に至る。
 出られないということをファイに伝えても、どうせ中に入らなければならなかったのだから問題ない と軽い調子で言われてしまった。
「元はエフライムを支持して集まった民たちだ。その当人が道を踏み外したなら、自分たちで止めようという団結力もある。早いうちに動くだろうな」
「他に魔伎はいないの?」
 元専魔師が治めているにしては、魔術師の気配は感じられなかった。魔伎の人数自体少ないものではあるが、何人か集まっていてもいいようなものだと思う。
「記録の上ではいないな。エフライムだけで、魔道具を制御するのは充分なんだ。それよりも、普通の人間が住みやすい街にしたいって言ってたからな」
「そう…」
 それは幸か不幸か、始まってみなければわからない。始まらなければ、それが一番いいのだが。
「よし。行くか」
 どこに持っていたのか、随分と薄汚れた簡素な服を身に纏ったファイは、レオナの心配をもろともせず、見るからに普通だった。普段のどことなく滲み出ていた品は一体どこにいったのかと思うほどである。
 顔は割れていないからという理由で、彼は特に帽子を被りはしないようだ。
(これなら、はじめからファイが潜入してても問題なさそうだったな…)
 少し可笑しく思いながら、先を歩きだした彼の背を見て決意を固める。一度目を閉じ、拳を強く握ってからレオナも続いた。



 素早く異変に気付くことができたのは、ファイに指示されて街の様子を、魔力を使って探っていたからだ。
 領主の屋敷に向かって足を進めていると、人々の奮起する声が、明瞭ではないものの破片だけ拾えるようになってきた。
 それを小声でファイに告げると、目で意を伝えられただけで、行動に移そうという気配がない。もどかしく思ったが、今はまだ潜入中だ。
(そ、そうか。あんまり怪しい動きしないほうがいいよね…)
 会話の中で自然に異変を感じた方向を教えると、軽く手で合図してそちらへと向かい始める。
 次第に、レオナの耳にはっきりと音が形となって聞こえてくる。
――我々は! エフライムさん…エフライムを、敬い! 信じ! 支えようとこの地へと集まった! それが……どうか! やつは我々の命を己に捧げよと!! 家族のように過ごしてきた我らの命を、己に捧げよと!! これを許してなるものか!
――私は許さない! 一緒になったばかりの彼を、目の前で無残に殺されて…!
――私も息子を殺された!! ただ手の届くところにいたからという理由だけで!
(ひどい……!)
 思わず息を呑む。
 隣のファイはまだ声を拾えていないため、怪訝そうにレオナに話しかけてくるが、それに答える気にはなれなかった。
 結界を張って街から逃げられないようにして、魔道具を停止させて物資の供給を断ち、生贄を捧げるのなら助けてやると言い、しかし民の目の前で大切な人を殺すだなんて…、素直に従うはずがない。
 それが目的だったとも考えられる。
 なぜかはわからないが、ディカルストの民を使って、なにかをするつもりなのではないか。
 魔術師として思いつくのは、禁忌とされている術だ。それらは全て国で厳重に管理されているか、もう滅ぼされてしまったとされているが、いくつか残っていても不思議はないのだ。
 禁忌とされる術は、人の血肉や魂を使う。その代わりに莫大な威力を誇るのだ。攻撃にしても、精神支配にしても、時空移動にしてもそうだ。
 しかし攻撃系のエフライムがそれをするというのなら、攻撃用としての線が濃い。
 殺戮を求めているとでもいうのだろうか。
 すると、ファイも声が聞こえてきたらしい。周りに人がいないことを確認して、建物に隠れる。
「エフライムに敵わなくとも! 我々の命は我々のものだ! 最後まで足掻いてやろうじゃないか!!」
「そうだ! せめて子供たちは、生かしてやりたい…!」
「武器を取れー!! エフライムの目を覚ましてやるんだ!!」
 ガチャガチャと各自が武器を手に取る音が響く。
 すぐに移動を始めた彼らを見て、レオナは飛び出そうとした――が、ファイに腕を掴まれる。
「なんで! 今行かないとみんな!」
「今出ていってどうする。お前があんな状態のやつらを止められるのか? どうやって?」
 言葉に詰まる。
「そりゃあ…わかんないけど…! でもやってみなくちゃわからない!」
「落ち着け。声を抑えろ。…お前は、この国の王族を信じられないか? ヴァレリオ殿下がここに来ているんだ。殿下に任せた方がいい」
「本当に来てるの? 間に合うの?」
 まだ安心できないレオナが重ねて問うと、腕に力がこもった。
「安心しろ。信じろ。万が一のことになったら、俺がなんとかする」
 レオナを真っ直ぐに見つめてくる茶色の双眸は、確固たる意志と、不思議と安心感をレオナに伝えたのだった。



 怒声を上げて殺気付きながら行進を続ける彼らの前に領主のものらしき屋敷が見えてきた時、一番後ろについていたレオナたちもそれを確認することができた。
 人影が2つ。行く手を遮るように立つ彼らは、少しも武器を持った民たちに怯んでいる様子がない。
 それに気付いた先頭が戸惑いながら速度を落とし、ざわめきがどんどん伝染していく。
 エフライムには部下など、今この状況に手を貸している人物はいないとのことだったのだが、まさか裏切った者がいたのだろうか。それか、新たに手下に雇った者がいるとでもいうのか。
 民の不安や怒りが爆発するという寸前で、新たな人物が彼らを追い抜かし、対峙するように2つの人影に寄り添った。
 一瞬の戸惑い。
 その空白を見計らって、一人が声を上げる。
「ディカルストの民よ。怒りを鎮め、この場は私に任せてもらえないだろうか」
 決して大きくないその声が行列の後ろにいるレオナにまで明瞭に届いたのは、それが良く通るものだったからだ。
 人に聞かせることに慣れている声。自信に満ち溢れ、一切の迷いがない声。
 この場において異質さを感じさせる、穏やかなそれは、聞いたことのない男のものだ。
「このような無用な争いは、誰も望んでなどいない。領主の狂乱は確かに許せるものではないだろう。領主の失態は命じた王の失態。どうかここは私に全てを委ねて欲しい」
 堂々たる姿に、ざわめきが大きくなる。
 だんだんと姿が見えてくるその人影の一人は、ファイだった。それに気付いて慌てて隣を見るが、前にいるのだから当然そこに姿はない。
 いつの間に彼らのところに走ったのか。そういえば誰かが追い抜いていったが、それがファイだとは思っていなかった。
 ファイと対称的に控えているのは、ビビアーナだ。特徴的な眼鏡だけはそのままに、長い髪は銀色に、質素だった服は専魔師のそれに変わっている。
 そして二人を従わせように立つ男の服は、明らかに上質な貴族のそれ。そして身に纏う空気も、高貴で重圧感や威厳が感じられる。
 エフライムも爵位を持っているとはいえ、先天的なものではない。このような地に、なぜ貴族の男が自分に任せろなどと言いに来ているのか、状況を把握できている者はいないようだ。
 列の中から、誰何の声が上がる。
 ついに顔の仔細まで見えるようになった男は、水色の瞳を細め、薄い唇を歪めて言い放った。
「私はヴァレリオ・エット・リリィトゥス・ファーレンハイト。このファーレンハイトの第二王位継承者だ」

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