朱の月

4話‐6‐

 やはり夜が明けたばかりの街は静まり返っていて人の気配が感じられない。朝の空気は冷たく、少し肌寒いくらいではあるが、息を吸う度に肺を満たすのが気持ちいい。
 大通りの真ん中を大きく伸びをしながら歩くレオナは、興味津々に街を見渡していた。
 しかし今は騒動の関係なのか街に魔力を感じることはなく、期待していたものは見られそうにない。
「せっかくのディカルストなのに……せっかくの魔術師の街なのに…」
 しばらく街を見た後、肩を落としてとぼとぼと力なく歩いていた。
 魔道具らしきものも見たのだが、エフライムが制御しているのか今は全く機能していない。馬車らしきものもあったが、あれはおそらく組み込まれている魔道具を使っているのだろう。もちろん、動きはしないが。
「つまんない、つまんないつまんないー……」
 本来の目的をすっかり忘れて落ち込んでいるレオナは、地面に転がっていた石を蹴った。人のいない街に、カラカラという音が虚しく響き渡る。
 悪用されることを忌避してエフライム以外では魔道具を発動させられないようにしているのだろうが、その制約のせいで街が荒れ、レオナも非常に面白くない思いをしている。
 昨日からの天候の悪さはいまだに続いている。雨は降っていないが、振り出すのも時間の問題だろう。
 風に当たって少しは気分も良くなっていたのだが、これでは昨日の出発の時よりも気分が落ち込んでいる。期待していた分、余計にだ。
 いつまでも後を引いていても仕方ないと、魔術による優れた統治は仕方なく諦めることにし、街の様子を探ることにした。
 まだ時間が早く、人は出てこないので、土地の造りや建物の被害状況などを確認しておけばいいだろう。



 そうして街をくまなく散策したところで、ようやく人々が活動を始めたようだ。とはいっても家の外に現れるのは大人だけで、避難しているのか子供の姿は相変わらず見えない。
 表情は暗いものの、強い意志は感じられた。しかしそれは前向きな努力に対しての意志ではなく、深い闇を堪えているように見える。
 しばらく耳を立てながらふらふらと歩きまわっていると、何人かが時間を合わせたようにひとつの店に入っていくのを見つけた。歩き回っていても大した情報は耳に届かない。エフライムに対してか子どもに対してか、むやみやたらに口にすることを恐れているようだ。
 好機をみて、溜まり場になっているらしいその居酒屋の外壁に寄りかかり、目を閉じて意識を集中させる。
 さすがに、街の中でも限られた人間しか集まらないような居酒屋には入れない。しかしファイ曰く盗聴に向いている風の力を使って中の音を運べば、決して厚くない木の壁1枚隔てているくらいならば難なく会話を拾うことができる。
 あまりに小声で話されてしまうとわからないが、中の人間は盗み聞きされているなどとは思ってもみないだろう。
――もう無理だよ。明日の分まであるかどうか…。
――わかってるさ! しかしどうすればいい!
――もう、エフライムに従うしか、
――むざむざ生贄を捧げるとでも言うのか!
――そんなことは! ……でも、犠牲者を出さないと街中がこのまま衰弱して死んでいくだけじゃないか!そうなることだってあいつの思う壺だ!
 静寂が場を支配する。
 米神を叩いて眉を寄せた。
(これって、エフライムの一方的な暴挙っぽい?)
 「犠牲者」という言葉。「明日の分まであるかどうか」。
 魔道具がことごとく止められていたのは規制のためではなく、単純に民の力を削ぐ為のものだとしたら。水の管理も魔道具で行っているようだし、そういう物資が足りないのだ。
 生贄――つまり人の命を、エフライムは求めているのだろうか。
 専魔師になるためには、厳しい審査が必要だ。それは魔術に関する技術レベルだけではなく、これまでの経歴であるとか精神異状はないかなど、間違いが起こらないようにと毎年行われるそうだ。
 それをクリアしていた人物であるはずなのに、現役中は優れた人物であったからこそ領地を任されているはずなのに、どうして急に民から生贄を出させるようなことをさせるようになってしまったのか。
 民も限界が近付いているようだ。ファイの杞憂通り、今日中には民がエフライムを排除しに動き出すかもしれない。
(でも、なんで国に助けを求めようとしないんだろう。元専魔師の狂乱なら、惜しみなく手を貸してくれると思うんだけど…)
――……だめだ。誰かを犠牲にするなんてできない。私たちはディカルストの民。領主が狂ったというのならば、皆でとめて元の街に戻そう。
――そうだ。王宮に助けも求められない今、我々で街を取り戻すんだ!
――やるしかない! 立ち上がろうみんな!
(うわ、これちょっとまずくない!?)
 中から おぉー!! などと一致団結してしまった雄叫びが直接聞こえてくる。
 剣術を学んでもないただの人間が、戦闘派の、元専属魔術師に敵うわけがない。そんなこときっと全員わかっているのだ。わかっていても、仲間の中から犠牲者を選び出して自分だけは生き延びる。それには耐えられなかったのだ。
 武器になりそうなものを集めるための時間は掛かるだろうが、この追い詰められている様子では今すぐにでもエフライムのところに攻め入りそうだ。
(ファイに、報告しないと…!)



 人通りが少ない路地を選びながら、ファイが待っている街の入り口に向かって足を速める。
 関わったこともない人々ではあるが、命を無駄にして欲しくない。エフライムは同じ魔伎なのだ。同族の悪行は見逃せない。
「なんだと!?」
 突然男の荒ぶった声が耳に届き、足を止めた。顔を出して声の方を覗くと、比較的いい身なりの――商人だろうか、男が街の人々に宥められているところだった。
「こ、声を抑えて…!」
「そんな、出られないだなんて、落ち着いていられるか! 私は定期で来ただけなんだ! こんな…こんなことが起きているなんて聞いていない!」
(出られない…?)
 男の言い分に、街の誰もが反論しない。
「それは申し訳ないけど、私たちだって同じなんだよ。この街から出られないんだから」
「私は! 私は、この街の者ではない!」
「それはエフライムに言ってくれ! あいつは、誰も逃がすつもりがない!」
 つらそうな表情に、商人の男は言葉を失ったようだ。
 ぶつけても仕方がない不安と恐怖を、口に出そうとして開き、また閉じる。それを何度も繰り返して、ついには顔を歪めて泣いた。
 その男の背を1人の女が優しくさする。
「もう、無抵抗に被害者を出すようなことはしません。武器を揃えてエフライムを殺しにいきます。もちろん、街の大人で。あなたは安全なところにいてください。…巻き込んで、すみません」



 すぐにレオナは、街の外れへと走った。
 “出られない”その言葉が指している意味は、魔術師ならばすぐに見当がつく。
 目の前に整えられていない森が見えてきた。ここが街の境界線だろう。魔力を高めながら、速度を落として境界に近づいていく。違和感を覚えたところで足を止め、手を伸ばす。
 本来ならば宙を切るはずのそれは、不自然に止まった。
「やっぱり、結界…」
 来る者は拒まず去る者は逃がさないように、強固な結界がそこにあった。レオナであっても可視はできないが、存在は感じられてよかった。これならば、解除できるかもしれない。
 結界に触れながら自身の魔力を溶け込ませていく。
 予想通り、街を覆うように施されているこれは、かなりの手間を掛けていることがすぐにわかった。
 エフライムは戦闘系の魔術師。ならば、結界は本来あまり得手ではないはずなのだが、ほんの少しの傷でさえも見つからない。暴動がいつからなのかはわからないが、もう何日も結界を維持しているだろうにブレすらもない。
 そうして30分も経っただろうか。
 おもむろに腕を振り上げ、結界を殴った。強固な結界は当然揺らぐことはなく、ただレオナの拳に痛みだけを伝える。
「なんで…っ!」
 無理だ。レオナには、全解除はもちろんのこと、一部ですら干渉ができなかった。
 専魔師だから専門外だとしてもこれほどの力を持てるというのだろうか。これほどの力を持ちながら、王に信頼されるほどの人格を持ちながら、なぜ。

――あたしたち魔術師にはその力がある。殺めるのも、守るのも、ただの人間に比べてあまりにも簡単。

 キーラの言葉が脳裏をよぎる。
 そう、簡単なのだ。逃がさないよう結界を張るのも、意志を砕けさせるほどの絶望を見せつけるのも。
 だからこそ、魔術師は自身の力を見極めて冷静に、人のために力を使うのではないのか。専魔師になっていたというのなら、尚更その考えは身に染みてわかっているはずだ。
 その力を、人を支配するために使うというのなら、許せない。
 痛む拳に構わず、もう一度結界を殴る。その腕を払って、再びレオナはファイのところへと急いだ。



「わ…」
「あ、ご、ごめんなさい!」
 急いでいたのと、瞳の色を隠そうと目深に帽子を被っていたので人とぶつかってしまい、相手に尻餅をつかせてしまった。慌てて手を差し出すと、眼鏡の奥で何度か瞬きを繰り返す。
 若い女性だった。治安が悪くなっている街に一人で出歩いているなんて危ないのではないかと心配になる。レオナも傍から見たら危なっかしいのかもしれないが、魔術師になってからはそういう危機感は薄れてしまった。
「ちょっとよそ見してて…ごめんなさい。大丈夫ですか?」
 笑顔で促してみる。
 なかなか手を取ろうとしない女に、不審がられてしまったのかと内心で焦りが生まれた。ディカルストは大きめの街ではあるが、見る者が見ればレオナが余所者だとすぐに看破するだろう。
 そうなれば、こんな状況の街に来るような者はなにかしらの理由で排除されるに違いない。
 ばれないにこしたことはないが、最悪の状況になったらすぐに魔術を使えるように構える。
「ありがとう、ございます」
 レオナと差し出された手の間を視線が泳いでいたかと思うと、女がやっと手を掴んだ。
 温かくて柔らかい手の感触。起こそうと力を込めると――
「「あれ…?」」
 声が重なる。
 違和感が触れた手から全身を伝ってくる。手がどうのこうのではなく、この感覚は。
「「あなた、魔伎――…」」
 また声が重なる。
 手から女の顔に視線を移すと、彼女も無感動には見えるが驚いているようだ。
 瞳は深い緑。髪は薄い茶。魔伎らしい特徴が窺えなかったのはやはり、魔術師の街で領主との対立が起きている今、魔伎とばれて起こり得る危険性を考えて変化させているのだろう。
 彼女もエフライムと自分以外に魔伎がいるとは思っていなかったようだ。レオナも、変化はできないものの髪を隠して誤魔化しているのだから。
(驚いた…。魔伎がいるなんて思ってなかった……って、んん?)
 ディカルストには、エフライム以外の魔伎はいない。それは街の人々も確かに言っていたことで。
 目の前の女に怪訝な視線を送ると、ふと踵を返して走り出した。
「あ、ちょっと!」
 反射的にレオナも追うが、女は意外にも足が速く、距離が縮まらない。術を使えば追いつけるだろうが、周りに他の人間がいるこの状況ではそれも難しい。
 女は一度も振り返ることなく建物の脇を急に曲がり、一瞬姿が見えなくなった。
(しまった!)
 そう思ったレオナが路地を曲がってみると、跡形もなく女の姿も魔力も消えていた。

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