朱の月

4話‐5‐

 ほぼ1日馬を走らせた結果、予定よりも大分早くディカルストに着くことができた。
 正確には、街には入っていない。騒動が起きているという話の通り、明け方の街は静まり返ってはいるものの、どこか殺伐とした空気が充満していた。日頃は整えられているのであろう広い街道には、今は紙屑などが散乱し、崩れかけている建物も見える。
 ファイの朝になる前に動いても仕方ないという言葉を受け、脇の森で結界を張って待機していた。
「身体が痛い…」
 やはり日常的に馬に乗っていないレオナには、騎乗自体には慣れたとしても、身体がついていかなかったようだ。あまり使わない筋肉を使っていたようで、あちこちが筋肉痛だ。
 少し動くだけで呻いているレオナを冷ややかな目で見ているファイは、当然と言えば当然なのだが、例の魔道具を片手に平然と街を観察している。
 散々逡巡した末(己への治癒は、他人にかけるよりも格段に効果が出ない。さらにレオナは治癒には向かないため、必要以上の魔力を消費してしまう)、自身に治癒をかけながらファイに再び質問を投げかけた。
「王子様、もう街中にいるんじゃないの?」
「それはないな。ビビアーナは完全に補佐型の魔術師だ。あいつなら、日が出て街中の意識を集められるという場所とタイミングを見計らって表にでてくるはずだ。今はなにもしないさ」
 確かに今街に入っても、気が荒くなっている人々の格好の餌食になってしまうだろう。
 いくら王子とはいえ、フランシスもヴァレリオも王都ならまだしも、一般的にはあまり顔を知られていないのだ。
 身なりと品の良さは見れば貴族だとわかるだろうが、まさか王族が自ら来ているとは思わないはずだ。そうなれば貴族だからと、逆に暴行を加えられるかもしれない。
「それ、反応した?」
 ファイが手にしたままの魔道具には、レオナから見て特に変化は感じられない。
「してるんだが、駄目だな」
「駄目なの?」
 反応しているのなら、なにが駄目なのだろう。
 舌打ちしたそうにしてから、再び魔道具をしまった。
「反応はしてる。やはりディカルストに来てるんで間違いない。だが、正確な位置が掴めないんだよ」
「ある程度まで近づいたら捕捉できるんじゃないの?」
「妨害されてるな。ビビアーナに」
 ファイは入口を睨みつけながら、だからビビアーナなのか とか あの餓鬼、他の所に神経使えよ などとぶつぶつと文句を言っている。
 ビビアーナという魔伎は、戦闘力や転移などでは他の専魔師に劣るものの、後衛専門として防御や情報収集には長けているらしい。そして特記すべき点は、魔力の遮蔽だ。自身の魔力だけでなく、他人のかけた術の痕跡や発動している術の存在も悟らせなくできてしまう。
 それは魔道具に対しても効果は同じで、その力のせいでヴァレリオの捕捉ができなくなっていたのだ。しかし魔道具の権威、アドルフが丹精込めて作った魔道具である。完全に消しきることはできず、ディカルストにいるということだけは漏れてしまった。
「す、すごい人なんだねぇ…」
 専属魔術師になるほどの人物だ。飛び抜けた才があるとは思っていたが、まさか遮蔽の技術を持っているとは。
 感心するレオナをよそにファイはまた見張りについてしまったので、せっかくだから今まで気になっていたことを聞いてみることにした。
「……ファイってさ、王子様の側近なんだよね?」
「なんだ今更」
「幼馴染とかじゃないよね?」
「そうだぞ」
「えぇ!?」
 まさかありえないと思いながら冗談半分で口にした言葉を肯定されて、術が解けてしまうほど吃驚した。
 王族だというのにファイの態度が不敬というか気軽すぎるというか、ただの主従という関係ではないのでは と思ってはいたが、幼馴染とまでは予想していなかった。
(あぁー、だからあんなに不遜な態度なのか。納得……していいのかな)
 一瞬出かけた結論に疑問を感じて首を傾げた。
 ファイはレオナを見て怪訝そうな顔をしている。
「まぁ、知らないのも無理ないがな。俺はあまり王宮で過ごしていないし、歳が近いのはフランシス殿下だが、仕えているのはヴァリーのほうだ。それに、その関係を周知させたいとも思っていない」
 王子を愛称で呼んでいることに更なる驚きを重ねつつ、これまでずっと疑問に思っていたことを聞くことにした。
「ねぇ、ファイって貴族…」
「黙れ」
 急に口を塞がれる。
 ファイが強い警戒を向けている方を見ると、明かりを持った人々が次々と家から出てきているところだった。
「……なんだ? 少し近づくぞ」
「うん」
 自分たちを囲っている結界を解き、ファイの後に続く前に、念のために馬の周りに結界を張っておいた。迷彩効果と、盗難防止だ。なにかあっては面倒だろう。



 家から出てきた民は、男が大半を占めているが女もちらほらと混じっているようだった。しかしその全てが大人である。
 彼らの死角になるよう建物に隠れたファイは、彼らそのものよりも周りに気を張っている。彼らに動きがあったのなら、ヴァレリオたちもなにかしらの行動を起こすかもしれない。
 レオナも念のため、さりげなく魔力を探ってはみたが、近くに魔力は感じ取れない。
 彼らは警戒が薄いようで、話している声は小さいものの、見られているとは微塵も頭にない様子だ。
 風に魔力を与え、言葉を拾う。
「やっぱり、まだ王子様は姿を現してないみたい。今から領主の屋敷に抗議しに行くか相談中」
 ファイが見開いた目をレオナに向けた。
「お前、聞こえるのか?」
「魔術でちょちょっと」
「盗聴に向いてるな」
「…………それ、褒めてる?」
 白い目のレオナはさらりと流され、顎に手を当てて考え込んだ。
「なにについての抗議か分かるか」
「――――わからない。ただ、やっぱり魔伎の力に畏れは抱いてるね。反対する人の方が多いかも」
 どれほど現状に不満があるのか、怒りが溜まっているのかは伝わってくるが、その“原因”は拾えない。
 エフライムの統治に関して急に不満が爆発したようで、領主を庇おうという者は現れないようだ。ただ戦闘に特化していたという彼の力は思い知っているらしく、無駄死にを食い止めようとする者はいる。
 なにが彼らを動かしているのだろうか。ディカルストといえば、元専魔師の力もあり、調理や洗濯などの日常的なものから祭事や整備まで、ほとんどを魔道具の力で賄っている便利な土地のはずなのに。
 結局、彼らをまとめているらしい年長の男が現れ、散り散りに去って行った。
「そろそろまずいな」
 ファイが眉根を寄せて独白した。
「どういうこと?」
「…本格的に民が反抗するというのなら、エフライムも堂々と力を使ってくるだろう。血が、流れるな」
 息を呑む。
 反抗するような民ならば、いらないとでも言うのだろうか。
「どうするの?」
「止めるさ。止めるが…今は出られない。ヴァリーがどこにいるのかわからない以上、今俺が出て捕まるわけにはいかない」
 そうか。近衛兵士と言って出ていけば、民の行動を抑えることはできるだろう。しかしクルグスの時と同じように、過剰に期待されてエフライムを倒してこいとまで言われそうだ。


「…私、見てこようか?」
「は?」
「ファイだとさ、貴族っぽい感じがほらわかっちゃうかもしれないけど、私だったら関係ないし。なにもしないけど、なんでこうなってるのかとか、今の状況とか、見てきたほうがいいでしょう?」
 レオナの申し出に、随分と考え込んでいるようだ。
 魔伎だとバレるのはまずいかもしれないので、髪は上げて帽子にでもしまって隠してしまうつもりだ。鍛え上げているファイと違い、レオナは魔力を感じられなければただの華奢な女だ。あまり不審がられることもないだろう。
「中の様子を知りたいのは事実だが、危険だぞ? 皆気が立っている」
「わかってる。最悪なにかされそうになったら魔術使って逃げるよ」
「それはそれで状況の悪化を促しそうで嫌だがな…」
 意外にもなかなか首を縦に振らないファイの瞳を強く覗きこむ。
「私だってまだ死にたくないし死ねないから、無茶はしないよ。ね」
 ファイは目を閉じて、ふっと笑った。
「いつの間に逞しくなったんだ。あんなに戦うのは怖いって怯えてたくせに」
「戦うのは嫌だよ。でも様子を見に行くくらいなら」
 正直に告げると、やっと決心したらしい。わかった と言って、荷をごそごそと探り出す。
 すぐに取り出されたのは、ルビーのような小振りの石が付いた耳飾りだ。見るからに高価なそれに一瞬気が引けたが、すぐに魔道具だということに気付いた。
 高価ではあるのだが、貴族の令嬢などが着けるような華美さはない。むしろあまり目立たないように作られているように見える。
「これ着けてろ」
 投げられたのは、片方だけだ。
「これは?」
「通信の魔道具だ。俺は魔術が使えないからな。対を着けていれば、魔力がなくとも通信できる」
 そう言いながら、レオナに渡したものと同じ、もう片方のそれを自身の耳に着ける。
 なるほど、便利なものがあるものだ。感心してレオナも着ける。
(んん? でもこれって、会話とか行動とか、結構筒抜けってこと?)
 これこそ監視するための魔道具ではないのかと首を傾げたら、ファイが付け足した。
「ちなみに、これは道具を触っていないと送信ができないようになってるから安心しろ。受信はいつでもできるから、気が付かないということもない」
 杞憂をすぐに拭われて安堵した。全て駄々漏れだとしたら、レオナもこれを着けたくはない。
 しっかりと着いたことを確認し、一度練習として少し距離を取ってからお互いに短く喋ってみると、問題なく通信できるようだ。
「んじゃ、なにかあったらちゃんと連絡するね。日も出てきたし、私は街に行ってくる」
「あまり寝てないだろ。休んでいけばいいんじゃないか?」
「ううん、大丈夫。元気元気!」
 腕を回してアピールしたら、ファイに訝しい目で見られてしまった。笑顔が引きつる。
「お前、そんなに気張ってなんかあるのか」
「ううん、なんにも!」
 冷たい目が突き刺さって心が痛い。
「あぁわかった。ここ、魔術師の街だもんなぁ。魔術をどうやって街の整備とかに利用してるのか見たいんだろ」
 ぎくっと素直な反応をしてしまう。冷や汗が額を流れる。
 そう、ここはファーレンハイトでも唯一の魔術師が治める街。珍しい魔道具や斬新な魔術で街を動かしている、魔術師にとっては非常に面白いところだと聞いていたのだ。一生の内に必ず行っておきたかったディカルスト。そこに来れているのだから、どうしても街をゆっくりと見たかった。
 本当はまだ筋肉痛が残っているのだが、その程度いくらでも我慢できる。
「い、いいや、そんなことは…」
「なら俺が身分を隠して行って、」「そうです見たかったんです利用してすみません」
 白状すると、意地の悪い笑みを向けられた。
「始めから素直にそう言えばいいだろう」
「……下心があったらまずいかなと…」
 気まずい表情で頬を掻くと、なぜか声を上げて笑われた。
「お前、気にするとこそこか?」
「だ、だって王子様の行方がどうのこうの言ってる時にそれはねぇ…」
 癖なのか、またしても頭をポンポンと叩かれた。
「別にいいさ。あいつのことはお前には関係ないしな。ま、無茶するなよ」

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