朱の月

4話‐4‐

 馬と自身の休憩のために何度か短い休憩を取った。
 レオナにとっては突然の出発だったのだが、当然と言えば当然、ファイは軽装備をしてきていたようだ。差し出された水を有り難く受け取る。
 最低限だけ喉を潤していると、何やらごそごそとしているのが視界の隅に入った。横目でファイを見ると、大きめの魔道具を弄っていた。
 魔道具は、小さいものは耳飾りや腕輪などの装飾具として身に着けることができるが、その分効果は落ちるうえに、値段も張るものが多い。
 大きくて頭大のものまであるのだが、大きくなるにつれて形は単一化されている傾向がある。基本的には丸い水晶であり、全体を覆うように文様が刻まれている。高い効果を出すためには長い術印が必要になり、それを刻むために大きさが必要になってしまうからだ。
 ちなみにファーレンハイトの列車は、複雑な術印を刻んだ水晶が数多く設置されており、それが原動力となっている。その水晶を作るのにも、選び抜かれた石に時間を掛けてアドルフがひとつひとつ魔力を込めながら文様を刻んだというのだから、相当な手間だったそうだ。
 ファイが今持っているのは、まさに典型的な性能重視型の魔道具である。通常は一目見て攻撃なり防御なり効果がわかるよう水晶に色分けがなされているのだが、ファイのそれは、見たことのない水の色だった。
 水色なのではなく、少し青みがかってはいるが、透明だ。――いや、透明ではない。まるで本当の水を押し固めたかのようにゆらゆらとしていながら、透過性はない。光源がないにもかかわらず光っているようにも見える不思議な水晶に目を奪われる。
「なんだ、興味あるか?」
 盗み見ていたはずがいつの間にか凝視してしまっていたレオナは、ファイに問われてそれに気付いた。
「あ、うん。興味はある」
「素直だな」
 少し笑われた。
 レオナは修行だとか勉強だとかが嫌いではない。それに魔術師としては、それの構造やどのような性能を持っているのか、気にならないわけがないのだ。
 魔道具を作るには術を扱うのとはまた別の知識と技術が必要になるため、レオナは魔道具を作ることはできない。それでもいつか作る時のために、珍しいものは見て触って感じておきたい。
「壊すなよ」
 急に投げられたそれを、落とさないよう慌てて抱き受けた。
「いいの?」
「そう簡単に解析されないようになっているし、発動させられるのは許可を得た人間だけだからな。問題ない」
「なるほど」
 確かにそれならばレオナに渡しても構わないだろう。もしそれを持って逃げようとしても、ファイならば簡単にレオナを御せることだし。
 許可ももらったことで、遠慮なく観察を始めた。
 ずっしりとした水晶は、大きさと重さだけならば特に変わった点もない。
 異質なのは色だ。間近で見ても、透き通っていないだけでどうしても水そのものにしか見えないのだが、感触は水晶に違いない。
 観察から解析に意識を切り替え、まずは術印の解読を試みる。
 魔道具を回して様々な角度から注意深く目を通していくと、比較的容易に文頭を探し出すことができた。水晶を浅く削って刻まれているそれを指でなぞって解読しながら、魔力を通す。



「満足したか?」
 数分後、険しい顔をしたレオナが動かなくなったのを見計らい、にやにやとしてファイが聞いてきた。睨みつけるようにして、渡された時と同じように投げて返す。
「不完全燃焼ですー。本当になにもわからなかった…」
 脱力して馬に寄りかかると、嫌そうに鼻を鳴らされた。
 術印を読むことはできたのだが理解ができなかったのだ。専門用語をつらつらと並べたようなそれは、暗号になっているのだろう。
 また魔力を使って探ろうとしても、魔力を通すことができない。なにか膜が張っているのか、指で触れられはしても魔力だけ弾かれてしまった。結界ではないのだから不思議だ。
 これほどまでの技術を結集させた魔道具とは一体。
「だろうな。これはアドルフ殿に作らせた、彼の傑作だ」
 どこか自慢げに答えたファイは、ある程度の重みはあるはずの魔道具を軽々と上に放り投げている。
 その言葉を聞いて、解けなくても自身の力不足ではないのだという安堵と、そんなものを試すかのように渡してきたファイの性格の悪さを思い、息を吐く。いや、解けずとも見せてくれたことには優しさを感じるべきなのだろうか。
「専魔師が…しかもアドルフさんが作ったものなんて、かなりの時間を掛けても解けるかどうかだよ。そりゃ無理だね」
 今度は立てた人差し指の上で、器用に回している。彼の傑作だと言う魔道具にしては、扱いが雑すぎるのではないだろうか。
「で、使えないにしても、これの効果は教えて欲しいんだけど…」
 期待を込めた目で見つめる。
 アドルフにわざわざ作らせた、使用者を制限するような魔道具。教えてもらえなくて当然だが、一度くらい催促してもいいだろう。
 取り繕えないくらい、興味がある。材質は本当に水晶なのか、それ自体魔術で作っているのか、術印の構成はどうなっているのか、ここまで手が込んでいるのだから、その効果は。
 ファイは少しの逡巡のあと、教えてくれることにしたらしい。
「これはある人物を特定させるためのものだ。今いる位置とか、その距離とか、身体の状態とか」
「……………それだけ?」
 大したことのない効果に、思わず間の抜けた返答をしてしまった。
 そんな魔道具、必要あるのだろうか。位置の特定なんて、その人物と連絡を取っていればいいだろうし、距離や身体状況を知ってどうするのだ。悪用される気しかしない。
「それだけ…って充分だろ! それを特定するのがどれほど苦労か!」
 予想外に声を荒げたファイの様子に驚く。
「えぇ? そんな大変なもの? 戻ってくるまで待てば、」
 そこで気付いた。
 その特定したい人物とは、
「……それってもしかして、王子様?」
 ファイが無言で首肯する。
 それは知りたいに決まっている。
 今回のように、ヴァレリオが勝手に極少数の共を連れて城を抜け出すことは、実はよくあることらしいのだ。それに一番困るのはもちろん側近であるファイで。
 そもそも王子が城を抜け出すこと自体が危険である。しかし先手を打たれてしまったら仕方ない。早く見つけ出すことが先決だということなのだろう。
「あれ? それ使えば本当にディカルストに向かってるかもわかるんじゃないの?」
 そのためにわざわざ特注して作らせた魔道具だろうに、なぜか今まで「おそらく」だとか「確証がない」などと曖昧な答えしかしていないのだ。

 当然の疑問を口にしただけなのだが、ファイは急に荒んだ空気を纏い、真顔でハッと吐き捨てるように笑った。
 反射的に後ずさる。完全に悪い顔をしている。
「え、ええ…?」
「本当はな、本当はそういう物だったんだよ。なのにあの餓鬼、途中でこれがなにか気付きやがって、必要量の精液が採れなかったんだ」
「…んんん?」
 今、なんだか聞き逃せない単語が。
「だからアドルフ殿も無念がっていたが、残念ながら不完全品なんだよ。足りないまでも、相当手間を掛けて作ってくれたから、まぁある程度の効果は出せるようにはなったんだ」
「え、いや、うんわかったけど、なにを採………え?」
 額を押さえる。
 聞かない方がいい気がするのだが、魔術師として生成の材料は聞いておきたい。
「ある人物を特定するものだって言っただろ。血とか唾液、毛に垢、とにかくいろんなものを集めさせられて、それが大変だったんだよ。あいつに気付かれたらどんな手を使っても阻止しにくるからな」
 当時のことを思い出しているのか、盛大に顔を顰める。
 自分の行動を監視されるような魔道具なら阻止したいに決まっている。
「んで最後の精液を採るってのが当然最大の難関で。後回しにしてたら逆に気付かせたみたいで、採ってる最中に目を覚まして逃げられたんだよ。だから中途半端なんだ」
(…やっぱり、聞きたくなかったかも……)
 生々しい話にげんなりとはしたが、納得のできる生成方法だ。
 誰か人間を対象とした魔道具を作ったり術をかけようとするとき、身体の一部を媒体にすれば効果が格段に上がる。考えてみれば、当たり前すぎる答えなのだ。
 自分から聞いたのではあるが、どうにか話題を変えようと頭を回転させる。
「あ! 不完全品って言ってたけどさ、機能はしてるんでしょ?」
「そりゃしてる。ただ、ある程度まで近づかないと反応しない」
「あぁー、なるほど」
 だからディカルストに近づいてきている今、反応するかを確認していたのだ。
「反応は?」
「ない。まだだめなんだろうな」
 忌々しそうに魔道具を見てから袋に戻した。
「ビビアーナは転移ができないからな。そこまで離されてはないと思うんだが…。ったく、いつの間に俺の目を盗むのがうまくなったんだか……」
 ふと、ファイが側近だったら逃げ出したくもなるよな と思った。
 外面はいいが本性はこんなだし、主に対しても不敬が過ぎるのではないかと心配になるくらいの言いようだ。もしかしたらヴァレリオの前では猫を被っているのかもしれないが、それにしても口うるさそうだ。
 それに、自分を監視するための魔道具を勝手に作らせて勝手に色々と採取されていれば、誰だって反抗したくもなる。
(王子様もひねくれてるのかな)
 フランシスは、尊大ではあったがなんとなく愛嬌があった。末の王女は物静かで滅多に表に出てこないと聞いているし、ヴァレリオがひねくれていたら、なかなか曲者ぞろいの兄弟だ。
 この後会うことになるヴァレリオに不安と緊張を覚えていると、ファイが馬を木から離しているのに気が付いた。
 魔道具のことで話してしまって前の休憩よりも大分多めになってしまっていた。
「ま、あいつの考えていることは俺だってわかるからな。ディカルストで間違いないだろ」
 差し出された手を取って、馬に乗せてもらう。
 すると背後から あ、という声が聞こえ、すぐに言葉が続けられる。
「忘れてた。これだけ注意しろ。ディカルストの領主は元専魔師のエフライム・ロフリーク。引退するまでの数十年間、専魔師の中でも飛び抜けた戦闘力を持っていた、戦闘要員だ」
 帰りたい、ととっさに思ったことを口にしなかっただけ、上出来だろう。表情までは気が行き届かなかったが、レオナもファイも前を向いているから見えることはない。
 騒動の原因が領主であるエフライムならば、彼と戦うことになるだろう。そしてその相手は、おそらくレオナだ。
 げんなりと肩を落として、再び風を受けることになった。

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