朱の月

4話‐3‐

「騒ぐな」
 茶色の双眸は、冷静に保とうとしながらも隠しようのない焦燥を映していた。
 同じように焦りで早くなっている声は、非常に冷たい。
「この庭を誰か通らなかったか」
 答えようにも口を塞がれていてそれも叶わない。レオナがただ驚きの冷めないまま目を丸くしていると、そこで前の2人が気付いた。
「グ、グローリー様、どうなさったのですか」
「ファイ、レオナ離して」
「見てないのか」
 ミシェルやユーリの言葉に耳も貸さず一方的に詰問してくるファイは、レオナが叫ばないと判断してからやっと手を離した。
 人を委縮させるような切迫した様子で、再び問う。
「見てないんだな」
 ミシェルとユーリは、状況を咀嚼できないまま首を振った。
 目に見えて落胆と焦燥の空気を身に纏った彼は、唾棄したそうに顔を背けた。
「え、と、私、奥の扉から人が出てくの見たけど」
 やはりレオナだけが見ていたらしい彼らのことを、そろそろと手を挙げ、言っていいのか迷いながらも口にした。もしお忍びとかだったら彼らに申し訳ない気がしたのだ。
 王宮なんて、制約は多いし仕事も多いし、なにより自由がない。下働きとして仕えていた短い期間でも、朝は早くから掃除や裁縫、仕入れの手伝いや掃除、そして掃除と、夜遅くまで続くのだ。遊ぶような時間はないし、そもそもそんな余裕もない。
 ミシェルは執務が忙しすぎるようだし、王宮を訪れているだけの貴族令嬢ならば時間はあるだろうが、さっき通って行った人物は女官のように見えた。
 ファイが目を瞠る。
「どんな奴だった」
「か、顔は見えなかったけど、男女だったよ。――あれ、もしかして女の人は魔伎かな」
 後ろ姿しか見てないのだが、確かに見えた女性の髪は銀色だったと思う。王宮にいる魔伎と言ったら専魔師なのだろうが、彼らに逢瀬をするような時間はないと思うのだが。
 額を叩いて記憶を呼び起こしていると、ファイが舌打ちをした。それも二度も。
 舌打ちをされる覚えはない。
 文句を言おうとしたら視線を逸らされた。
「ミシェル、私も出てくる。殿下とビビアーナも一緒だ」
 名を呼ばれたミシェルは、目を瞬いてからすぐにお辞儀した。
「――かしこまりました。申し訳御座いません」
「仕方ない、殿下が連れられたのだろうからな」
 どういうことなのか、把握したらしいミシェルに問おうとして、腕を掴まれた。
 頭から足先まで確認しながら、肩や腰などを軽く叩かれる。最後に瞳を覗かれて、満足そうに頷く。
「よし、怪我は治ってるな」
「え、うん、治してもらったけど、」
「あぁ、ユーリ。お前はミシェルについていろ」
「いや、あの、」
「お気を付けて」
「あぁ」
 レオナとユーリを置いて進んでいく会話。嫌な予感しかしない。
 助けを求めてミシェルに視線を寄こすと、一瞬バツが悪そうにした後、苦笑された。
「ちょ、ちょっと…!」
 反論も許されず、ファイに引き摺られるように中庭を通る。
 ミシェルが不憫そうに、ユーリが頭上にいくつも疑問詞を浮かべてこちらを見ている。腕を掴んだままのファイは不機嫌そうで声を掛けられない。
 そうして為す術のないまま、先程の男女がくぐっていった扉を、状況が全く異なる男女が追っていったのであった。



 騎乗しながら話すというのは中々に容易ではなかったが、乗っているうちに馬のタイミングというのか、リズムを身体が覚えてくれたらしく、必死に口を閉じていなくとも舌を噛まないようになっていた。
 そうなってしまえば、余計な力の入らない乗馬は馬車とは全く違う風を切る感覚が新鮮で、流れていく景色を見ているのも飽きがこないものだった。規則的に聞こえる馬蹄の音と振動が、だんだんと心地いいものにすらなってくる。
 自身が手綱を持っているわけではないからこその感想なのかもしれないが、無理やり連れてこられているのだ。少しくらい呑気な感想を持ったって許されるだろう。
 ファイは人目につかないよう大通りは避けるようにして道を選び、度々背後や日の昇り具合を確認していた。生憎の天気のため、レオナに日は見えなかったのだが、それでもなにか意味があるらしい。
 風を感じながら、背後からレオナを抱くようにして手綱を握っているファイを見上げた。
「それで、いい加減説明してもらえるかな?」
「なんだ、理解してなかったのか」
 どこに理解できる要素があったのだと逆に問いたい。
 中庭を出てからは一言も発することなく、厩舎から馬を手早く選んだかと思うと、有無を言わさずに乗せられたのだ。
 ミシェルは平然と受け答えしていたが、ビビアーナというのが誰を指しているのか知らないし、どこに行くのか予想もできない。平時から王宮に仕えている者同士ならわかることもなるのかもしれないが、それをレオナにも当てはめて考えないでもらいたい。
「どこに向かっているかは、正直おそらく、としか言えないんだが……お前、ディカルストって街は知ってるだろ?」
 聞き覚えのあるようなないような名に、首を傾げる。
「おい…ファーレンハイトでもかなり有名な土地だぞ……」
 呆れきったファイの言葉を受け、悔しいやら恥ずかしいやらで記憶を必死に呼び起こした。
 ファーレンハイトで有名な街というと、大体が駅のある街である。しかしこうして馬を走らせているとうことは、列車では行き難い土地なのだろう。
 あとは公爵が治めている地か、観光の名所、それに魔術師が治めている――
「あ! そこか!」
 思い出した。ディカルストは、元専魔師が治めているというファーレンハイト唯一の土地である。
「多分そうだ。実は、ディカルストは今騒動が起きているらしいんだ」
「え!?」
「確証はないんだが、ビビアーナを連れてることも考えると、そこに向かっている可能性が一番高い」
 説明されているにもかかわらず、相変わらず話についていけていない。
 さらりと言ってのけていたが、まず騒動が起きているということ自体大問題だ。
 ディカルストは王都に近く便利で、治めている魔術師もかなりの技術を持っているらしく、多少の規則はあるのだが、安定した生活が送れると聞いたことがある。レオナも同じ魔伎として、魔術をどのように活用しているのか、土地を任せられるほどの魔伎はどういった人物なのか、見たいと思っていた場所だ。
 比較的新しく造られた街ではあるが、元専魔師だという男の知識は膨大で政にも関わっていたらしく、なかなかに斬新な政策をしていると評判もいい。領民はその魔術師に感銘を受けているとか感謝しているとか、そういう人々が集まっている。
 その土地で問題が起きれば領主が真っ先に鎮圧にいくだろうに、王宮にまで不確定だとしても報告が上がってきてしまうとは、一体彼は何をしていたというのだろうか。
 そして、度々出てきているビビアーナとは誰で、誰がビビアーナを連れてそこに向かっているのだろう。
「あの、だから誰が?」
「本当に話を聞いてないな。殿下だよ」
「えぇぇえ!!」
 思わず出してしまった大声に、頭を殴られる。
「お前……こんな至近距離で叫ぶな」
「いや、ご、ごめん…」
「もう少し冷静に物事を捉えた方がいいぞ。些細な会話とか痕跡から糸口が見つかることなんてよくあることなんだからな」
 説教に少し落ち込むが、すぐに声を上げてしまった理由を思い出す。
 デンカとは、だから、“殿下”なのだろう。ファイが動くのならば、第二王子ヴァレリオの方の。
 確かにミシェルとの会話の中にちらりと紛れ込んでいたような気もするが、まさか王子を追っているとは夢にも思わない。普通は。
 彼が連れていったというビビアーナという女性は、レオナが思った通り魔伎なのだ。王宮に仕える、専属魔術師。だからこそ、話を聞いたミシェルはファイに謝罪したのだ。己の部下である魔術師が、王子の行動を止められなかったことに。
「あの…その王子様が、なんでそんな危険な街に?」
 途端、空気が重々しくなったように感じた。
 振り向いてファイの顔を見ることができない。
「………止めに行ったんだよ、それを」
「王子様が、自分で?」
 沈黙が場を支配した。
 重苦しい空気がなんとも耐え難い。かといって、やはり振り向くことはできないのだ。
 空気を破ったのは、ファイの嘆息だった。
「そういう奴なんだよ」
「王子様のことそんな風に言っていいの?」
「というより、“王子様”ってなんだ」
「だって王子様でしょ? 私にとってなんか…現実味ない、別世界の存在だからさ、“殿下”って呼ぶ感じじゃないんだもん。だから“王子様”」
 レオナの言いように釈然としないようで背後からなにやらぶつぶつと聞こえたが、それには構わないでおいた。

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