朱の月

3話‐11‐

 魔力を消費しすぎて眩暈がする。頭が痛い。体が自分のものではないように重い。それでも、気分が高揚しているためか、水の弾に貫かれた箇所の痛みは感じなくなっていたのは幸いだろう。
 すぐに後ろ向きになる心に鞭打って、今すぐ逃げ出したい思いを胸の奥に奥にしまって、レオナは必死にキーラを睨む。そうでもしていなければ、いつ心が折れるかわからなかった。
 いまだ、キーラから余裕の笑みは消えない。
 本気を出した彼女とまともに対峙することはできなかった。水・熱・光の術を混ぜたり、巧みに使い分けたりしながら、遊びながらでも、今度は確実に命を狙って攻撃してきていた。
 しかし単調になった攻撃を、結界で食い止め、ぎりぎりで避けることで致命傷となることはなかったものの、勝機のない戦いに疲弊していくばかりだった。
 せめてもう少し余裕があれば、苦し紛れでも反撃をして、ある程度は一方的な攻撃から逃げられるのだが。
「ねぇ、なんであんたこんなに弱いんだと思うー?」
 うるさい。
 言葉に出せずとも内心で吐き捨て、冷めた視線を送る。
 自分の弱さなど自分が一番わかっている。それでも引くわけにはいかないからいるのではないか。
「魔力であたしに劣ってるから? 経験が足りないから? …違うでしょー」
 芝居がかった口調でゆったりと首を振り、レオナを指さす。
「覚悟が足りないからよ」
「……覚悟?」
 覚悟など、ジェイクを追うと決めた時にした。どんな手を使っても、どんな辛い目に遭おうとも、必ず探し出してみせると。
 ヘヴルシオンに関わっていけば危険が及ぶだろうことだって承知の上だ。
 もう、レオナには自分がこの世からいなくなっても悲しんでくれる人はいない。
 ミシェルならば涙を流してくれるかもしれないが、彼女は国の専属魔術師で、さらにそれを束ねる長という立場がある。悲しみを感じたとしても、それは日々過ごしていくうちに忙殺されるに違いなかった。
 両親は他界しているし、唯一血の繋がっている存在であるジェイクは、レオナをひとり置いて去っていったのだ。その彼がレオナの身を案じてくれるとは、…身を切るようであるが、考えられないものでもあった。
 彼を追うのはレオナの自己満足だ。
 手に入らないものだとは、長い時間の中ですでに自覚している。本気で好きだと伝えたことがないまま姿を消してしまったジェイクに、無意味だろうと、気持ちをぶつけたい。
 気付いてはいるだろうから、はぐらかされるかもしれない。真面目に断られるかもしれない。いつまでも諦めないことに、明確な拒絶をされるかもしれない。
 それでもいいから、どうしても伝えたかったのだ。そうしないと、この気持ちに終わりなんてこない。
 伝えることができたら、もう孤独なこの世に未練なんてないから。
「そーぉ、か・く・ご。なんの覚悟だと思う?」
 人を馬鹿にしたような、楽しそうな表情を崩さないキーラに、恐怖も忘れ苛立ってきた。
 どうやら彼女の中で怒りの感情は持続しないらしく、再び遊ばれていることに、胸中で腹立たしさと悔しさ、安堵感が入り乱れる。
 個人的な感情は、今はいい。殺されない間に早くファイが戻ってきてくれさえすれば。
 感情を隠さずにいるとキーラは一瞬不満を瞳に滲ませ、すぐに目を閉じてそれを消す。
 呆れた表情を浮かべ、片眉を上げた。
「つっまんない女ー。ま、あたし優しいから教えてあげる。人を殺す覚悟よ」
「…は?」
「あんたさー、専魔師だった両親とあんなに力の強い兄を持って、自分だけ魔力が弱いとか思ってんの?」
 それは素直に言えば思っていない。
 レオナは魔伎としての身体的特徴が顕著に表れるほど、純粋で強い魔力を持っていると自覚している。ただ、それが両親や兄に劣ることも。
 扱える術の幅は一般的な魔伎に比べれば広いが、それでもジェイクのようになんでもは扱えないし、両親のように幅広い中に特化した系統があるわけでもない。かろうじて風は得意だと自負しているが、特化していると言えるほどではないのだ。
 だからレオナは、魔力が弱くはないが優秀な魔術師ではない、と自分の位置を定めていた。
 少し軌道が逸れてしまったような問いかけにも、眉を顰めるだけに留める。
「無自覚? 妹ちゃんがまったく敵わないこのあたし、魔力量的には変わんないわけ。先入観なんだか苦手意識なんだかあたしは知らないけど、意識的に負けてんの。妹ちゃんの意識が変われば、ジェイクともほぼ対等に戦うことだってできるでしょうね」

 ジェイクは、人伝に聞いたことでしかないが、物心つく前から己の身に宿る魔力を持て余していたらしい。それは両親が専魔師を辞めるきっかけになり、特例的な早さで魔力の制御、術を学んだ彼は、ミシェルに何度も王宮に仕えないかと誘われていた。
 あの日のせいで、両親から技術の全てを受け継ぐことはできなかったが、それでも十分すぎるほどだったのだ。
 レオナは、そんな兄とは違う。
 クルグスに入ってから何度か、そして今では浴びるようにキーラの魔力を感じているが、どうしても自分と同等とは思えなかった。
 確かに、魔術師における戦闘能力の高低は一概に魔力の強弱で表わされるとは言えない。
 例えば、ミシェルは魔力が強く、特化している系統では非常に高い評価を得るような優秀な魔術師であるが、純粋に戦えと言われれば彼女の2/3程度の魔力しか持たない相手にだって負けるだろう。それは、彼女の術が戦闘にはまったく向かないものだからだ。
 希少性の高い系統ほど重宝されるが、それは使い手が少ないからという理由だけでなく、国にとって有益になる術でもあるからだ。
 特に王宮専属魔術師になる者にもなれば、純粋な戦闘能力の高さはそれほど重要ではなく、能力の希少性や国の発展に貢献できるであろう研究をしていることなどが重視される。中には戦闘要員として仕えている者もいるが、割合としては非常に低い。
 レオナは自然系統の術を得意としており、これまでの様子からキーラも同じ。最も戦闘に向いていて応用の効く系統だ。
 転移を使えないという以外には、自身の能力について不満を持ったことなどない。専魔師になろうと思っているわけではないし、なりたくもない。
 そんなレオナには、最低限身を守ることのできる術が使えれば不自由がなかった。――今までは。
 今となっては、同じ系統でも色の違う術をレオナよりも巧みに使っているキーラを前に、もっと磨きあげておけばよかったという後悔が少なからずあった。
 いまだレオナにはわからないが、魔力量が同等というのならば、彼女にだって勝つことはできるはずなのだから。
「まだわかんなーい? 教えてあげよっか?」
 口を閉ざしたまま考え込んでいるレオナの様子に、キーラは目を三日月にして、笑いを堪えきれないように口を押える。
「別に、」
「そこまで言うんならしっかたないなー! 教えてあげようじゃない」
 反射的に半目になったレオナにもまったく意に介さず、ほんと優しいんだからなーあたしってば、などと頬を押さえながら呟いている。
 隙だらけに見える彼女に今のうちに反撃した方がいいのだろうかと考え、すぐに消した。
 だめだ、攻撃しても気配を読まれて確実に防がれてしまう。
「えーっとねぇ、例えばぁ、相手が大技出そうとして詠唱したとするじゃん?
1.罠かもしれないけど、詠唱が終わる前に攻撃する。
2.攻撃に備えて結界張るなり、守りに入る。妹ちゃんはどっち? 2でしょー」
 答える前に当てられる。
「まぁ格下のやつだったら突っ込むかもしんないけどー、あたしとの戦闘態勢からして絶ーっ対そう。結界なんて完璧じゃないのに、本体叩けば攻撃すらこないのに、逃げてんの。んーだからつまり、後ろ向きにしか敵と向かえなくてー、あぁそう、後ろ向きになっちゃうのは、殺す覚悟がないからってこと!」
 あちこちを行ったり来たりしていたキーラの思考が落ち着いたらしい。
 ひらめいた、と言うように指を一本上げ、自身の言葉に納得したように頷いた。
「人を殺す覚悟が必要だとは思わない」
「いるに決まってるでしょ!」
「私は人の命を奪うために術を学んだわけじゃない」
 頑ななレオナの態度にもキーラの感情は揺れない。
 むしろ意見が合わないことを楽しんでいるようだ。
「あたしだって、そのために魔術を身につけたんじゃないわよ。でも、あたしたち魔術師にはその力がある。殺めるのも、守るのも、ただの人間に比べてあまりにも簡単。それは妹ちゃんだってわかってると思うけど?」
「私は、守るために力を使いたい」
 魔伎の力によって国が発展し、専魔師によって平和が保たれるようになったと、昔父が言っていたことがある。しかし、人を超えうる力を使って悪質で残虐な犯罪を行っていた同族もいるのだと。
 強大な魔術に対抗するには、犠牲を覚悟で多数で攻めるか、魔術で対抗するしかない。
 だから自分は守るために術を学んだのだ。
 自分を、家族を、大切な人を。
 ただ、もう守りたかった人はレオナの前にはいない。
「守るためにだって、殺す覚悟は必要だってば。だって、相手を殺さない限り、守りたい人を殺す術が発動しちゃうんだけど、妹ちゃんには術を破壊することはできない。…とかって状況になったら、妹ちゃんはどうするの?」
「……そんなの、」
「ないとは言い切れないよねぇ。妹ちゃんは殺す覚悟がないから、勝つことができない。負けないかもしれないけどね、それじゃ守れないよーん?」
 負けないのは勝つことと同義ではないのか。
 偉そうな彼女の態度と、勝ち目のない自分。いい加減理解できない話を延々聞かされることに、苛立ちや焦燥感にだんだんと冷静さが消えていくのを自覚してはいたが、レオナにそれを抑える術は思いつかなかった。
「ちゃんと理解した?」
「する必要なんてないわ」
 丁寧に説明したのに理解できないのではなく、しようとしないレオナに腹が立ったのか、舌打ちして腕を組む。
 こめかみを数回指で叩くと、荒い手つきで髪を掻きあげた。
「あー、もういいや。面白いかなと思ってたのに、あんたつまんない。今度こそ、…死んで?」
 言い終わると同時に身体にいいようのない違和感を覚えた。痛みがあるのではなく、なにか失ってしまったかのような虚脱感。
 キーラが腕を上げるのを見て、結界を張ろうとして理解した。

 ――自分の魔力を感じない。
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