朱の月

3話‐9‐

 レオナの真剣な表情に、老人は笑みを深くした。
 特に否定も肯定もせずふらりと立ち上がると、しわが深く刻まれていた肌が、曲がっていた腰が、少なくなっていた白い頭髪が、瞬く間に変貌を遂げていく。
 ふう、と息を吐いて明るい茶色の髪をかき上げた元老人は、今はない眼鏡を上げようとしてないことに気付き、自嘲の笑みを浮かべながらごまかすように手を払っておろした。
「いやぁー、よく気付きましたねー。この姿、結構自信作だったんですけど。あなたを侮っていたかもしれませんね」
 変身を遂げた姿も声も、死んだはずのコジュのものだった。
 別れる前に見た笑顔とまったく同じそれで、はっきりと自分がした犯行であると認めた。
 彼がそんなことをしていただなんて真相にたどり着いた今でも信じがたいが、目の前でありありと力を見せた彼は、もう偽ることをやめている。
「どうして僕だと?」
 威圧的な空気だった。
 自分だと当てられて焦るどころか、面白くなってきたというような挑発的な色すら窺える。
「…瞳の色。髪色が違うから魔伎だと意識してませんでしたけど、赤みがかった紫銀の瞳が、珍しくて印象的だったんです。魔力を意図的に隠してたみたいですけど、掴むことはできなくても同族として感じてた気配があるんです。それが、あなたとさっきのおじいさんと、見事に一致してました」
「あれ? 気配漏れてました? うーん、やっぱり苦手分野なんですよねー。ちなみに、コレも」
 コジュは自身の力不足が悔しいのか少し思案顔を作ると思うと、すぐにレオナに視線を戻して己を指さした。
「あなたの指摘通り、瞳の色までは変えられないんですよね。だからわざと眼鏡かけてごまかしてるんですよ。それでもばれちゃうのかー、まだまだですね」
 うんうんとひとり頷く。
 犯人だとわかって追いつめているのはレオナのはずなのに、背中を流れる嫌な汗が止まらなかった。
 理屈じゃなく本能で感じる、恐怖。
 彼はまだ魔力を隠していて戦闘態勢なんてとっていないのに、敵わないともう諦めてしまっている。
「で、あとは? なぜ僕が犯人だと思ったんです?」
 純粋に楽しがっている。
 生徒を褒めながらどういう思考で結論に至ったのか、丁寧に優しい口調で、本人に言わせて考えをまとめさせようとする教師のようだ。
 逆らえない。
「町の人たちのコジュさんへの信頼があからさますぎました。マウロさんたちのことも盲信的に信じてる中で、コジュさんはそんな様子がなかったですよね」
 ファイと話していたことでもある。おそらく町中が催眠や暗示にかけられているだろうと。そうでなくてはあの自傷したとしか思えない首の傷も、普段の平然とした態度も、マウロを微塵も疑っていないことも、説明がつかないのだ。
 町中を術にかけることができる魔術師など、この国にどれだけいるのだろうか。
 レオナの答えに満足したように再度頷き、腕を組んで視線だけ寄こす。まだあるだろうと。
 それでも口を閉ざしていると、コジュは焦れたように微かに苛立ちを漂わせた。
「まだ決定的じゃないですよね? 隠すのは得策だと思いませんよ?」
 苛立ちとともに漏れた魔力に鳥肌が立つ。
 以前もどこかで感じたことがあるような感覚。この町に来てからではない、割と最近に。
 軽く頭を振ってはっきりとしない記憶は隅に追いやり、彼の発したその魔力によって、確信は強固なものとなった。
 隠したって意味がないのは事実だ。
 彼は自らの犯行と認めているし、逃げる気もないということは、レオナと戦闘することも想定している。
「一番は、もちろん魔力です。昨晩、男性が殺害された時に強い魔力を感じたんです…今のあなたが発したのと、同じ。医者という立場を利用して遺体を家に置いたのは、普段生活している家に魔力が残っているのを紛らわすためでしょう? 催眠をかけたのも、殺害しやすさだけではなく、魔力を充満させることで大元を隠すということが大きい理由のはずです」
 正直、老人の姿のコジュを見るまでは魔力だと感じてはいなかった。ただ、どこか懐かしい、落ち着くような雰囲気の男だとだけ思っていたのだ。
 アンヘラが術を受けているときは気が動転していて結びつけることができなかったが、老人の瞳がコジュと重なった瞬間、彼女に残っている魔力の雰囲気とも一致した。
 あぁあれは魔伎だからこその安心感だったのかと。
 さらに、説明は省いたが始めからコジュは不審な点があった。ファイと初対面に関わらず、気安い雰囲気でファイの名と近衛兵士であることを大きく取り上げ、この状況から逃がさないと言っているようだった。
 コジュの死体が見つかったのも考えてみれば非常に怪しいことである。レオナが家を訪れて魔力を調べようというタイミングでコジュの行方がわからないと町人に押し掛けられ、調べられないどころか自身を被害者とすることで目を背けさせた。
 おそらく彼の死体は魔術で創り上げたものだろうが、魔術師でないファイには看破できず、冷静さを欠いたレオナでは偽物かもしれないという考えすら思い浮かばない。
「うんうん、なかなか目の付けどころがいいですね! ちょうど飽きてきてたとこなので、あなた方が来てくれてよかったかもしれないです」
 嬉しそうにぱちぱちと拍手するコジュは、やはり人を殺めるようには見えない。
 しかし、なぜ?
 魔術で操り、ひとりで噴水の前に来させ、首を傷つけさせてそこから血を抜く。
 わざわざ噴水のところで殺害する手間を掛ける理由も、町の人々を殺める理由も、さっぱりわからない。まるで誰かへの見せしめのようだ。
「本当に…コジュさんがやったんですね」
「うーん、半分正解、ですね」
 絞り出すように言うレオナの言葉に、指でこつこつと米神を叩きながら眉を寄せる。
 意味がわからない。
 その様子に、にやぁと唇を歪ませると両手を緩慢な動きで広げた。
「やったのは僕ですが…、“コジュ”は存在しないから」
 言うと、身に着けていた白衣をばさりと翻して姿を隠すと同時に、強い魔力が解放された。
 宙に放たれた白衣が地面に落ちる。



 目映いほどの金色の髪、妖艶な雰囲気を醸し出す紅い唇、体の線を強調するような露出の多い大胆な服、そしてコジュと同じ赤みがかった紫銀の瞳。
 姿を変えた彼――いや、彼女に見覚えがあった。
 確か、アドルフのところを去って大雨に足止めされていた時の――。
「あー苦しかったー! えーっと、二度目ましてぇ」
 長い髪を払い、レオナに邪気のない笑顔を向ける。
 彼女は移動しながら結界を作っていたような、力ある魔伎だ。加えて長時間の変化も行い、かつ魔力をまったく感じさせないほど制御していた。
 屈託のない笑顔に恐怖するのは、初めてだった。
「あたしのこと覚えてるっぽいねん。自己紹介してなかったよね? あたしはキーラ。お察しの通り魔伎で、この町でコジュとして過ごしてた、…殺人犯ね。ちなみに、あたしはあんたのこと知ってるよー? レオナ・フィンディーネちゃん!」
 レオナを指さして続ける。
「変わり者のジェイク・フィンディーネの、妹ちゃーん」
 その言葉に恐怖など消し飛ばされた。
「あなた、兄さんを知ってるの!?」
「うーん、いい反応ー♪ 知ってるかどうかなんて、さっき魔力感じただろうからわかってるんでしょ?」
 やはりあれはジェイクの魔力だったのか。マウロを、殺害したのが。
 彼だってマウロには会ったことがある。一緒に話して、笑って、怒られて、可愛がられたのに、そんなことは忘れてしまったのか。それとも、そんなことなど、親しくした人間のことなど、どうでもいいのだろうか。
 唯一の肉親である、レオナでさえも。
「ちょっと聞いてるー? もームカつくなぁ。あたし無視されんの一番嫌いなんだけど。こーれ、やったのあたしだっつってんのぉー!」
 どうしても脱線してしまう意識をこどものようにふて腐れる彼女に戻し、突然襲われるかもしれない術に対応できるよう気を張り詰めた。
「どうして、こんなことを?」
「ヒミツー」
「兄さんはどこ?」
「知らなーい」
「あなたもヘヴルシオンなの?」
「どうだと思う?」
 会話にならない。
 わざとこちらを挑発しているのか普段の彼女なのかわからないが、自分で構ってほしい、という空気を出しておきながらのらりくらりとはぐらかされては、対処しようがない。
 キーラが格下や同等レベルの魔術師であれば、手荒いが攻撃を仕掛けることもできる。しかし、明らかに上級の魔力を持っている彼女に対して無闇に攻撃をすれば、あっさりと反撃されて終わりだ。
 口止めが目的なのか、ジェイクにマウロを殺害させていたことを考えると、キーラ自身は殺傷能力が高く発動から殺害まで時間も掛からないような術は使えないに違いない。
 町人をわざわざ催眠にかけるという手間を惜しまず、時間を費やして多くの魔力を使い、なぜか血を抜き去る。彼女らしくない術と方法を選んでいる理由は、個人でなく組織に理由があるのだろう。
 その理由はわからないし良しとも思わないが、今だけは好機と考えられる。
 先程彼女はアンヘラに対して術を使っている。大量に魔力を消費する、その術を。殺害に至っていないことから極端に削られたわけではないようだが、うまく術を使っていけばレオナの魔力でも勝てるかもしれない。
 それでも行動に移せないのは、経験の差を大きくみているからだ。
 人を殺めることに慣れているようすのキーラは、戦うことにも慣れているだろう。その彼女と経験がほとんどないレオナでは、術の反応やとっさの判断で大きく劣ってしまう。
 せめてファイがいれば、的確な指示をしてくれて追いつめることはできるはずだったのだが。
「んん? もう質問はいいの? じゃあ…」
 キーラが手を振り上げたと思うと、鞭のようなものが当たった痛覚があり、見ると腕に決して浅くはない裂傷ができていた。
「バトル、開始ねん♪」

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