ファイは、レオナが目を閉じていた数秒の間に殴りかかった男のみならず、家に押しかけてきた数人さえも見事に昏倒させていた。
面倒くささに耐えられなくなったのか単にレオナを救ってくれたのかはわからないが、ここでもファイの実力を垣間見てしまった。普段は彼の立場など気にせず気軽に付き合っているが、あまり機嫌を損ねるとふとした瞬間に斬られるかもしれない。
うん、気を付けよう。
とレオナがひとり決意を固めていると、気絶している人々を壁に寄りかからせていたファイがそれを終え、視線で「外に出る」と訴えてきた。
ついていくと、盛大に溜息をつく。
「また厄介なことに…」
「コジュさん、行方不明なの?」
「あぁ、往診に行くって言ってた家に来なかったそうだ。んで町中をざっと探しても見つからないし、家に来たらしい。そこによそ者の俺らがいれば、まー疑うのもわかるが…あれは異常だろ」
一方的に責めたてていた彼らからしっかりと情報は聞きだしていたファイに感心しながら、頷いた。
もしかして操られているのだろうか……町人全員が。
そうだとすればよほど強力な魔力の持ち主でなければ不可能だし、それほどの魔伎がいればすぐに気付くはずだ。さらに、なんのために暗示にかけているというのだろう。
考えれば考えるほど意味が分からない。
魔力については、手がかりを掴めそうなところで町人に乱入されてしまい結局辿れていないし。
「俺がいるのにまた被害者がでてもまずいからな。あの医者捜すぞ」
動機が不純だ。
コジュを捜すことには同感だったので、特にその発言は気にしないことにする。
ひとまず中心部に行き、目撃情報はないか尋ねることになったのだが、あっさりと彼の居場所がわかることになった。
コジュは、中心部の噴水の前にいた。
今朝彼がみていた奇妙な死を遂げた男のように、血がすべて抜き取られた、見るも無残な姿で。
「コジュさん…!」
レオナが息を呑んで名を呼ぶが、彼が動くことはない。
すぐにファイが駆け寄り、コジュの身体を確認する。彼のすぐそばに血のついた包丁が転がっているのに目を奪われた。周りの様子も、彼の姿さえも、包丁以外にはなにも目に映らない。
「ぼーっとするな!」
ファイの鋭い声に肩が跳ねあがった。
そうか、まだ間に合うかもしれないから治癒の術を施せと、そういうことなのだろう。頷いて急いで寄り、彼の側に膝をつく。
その姿を間近で見て、わかっていたことなのに心臓を掴まれたように苦しくなった。
本当に、コジュだ。
姿は個人の判別が難しいほど変わってしまっているのに、脇に落ちているレンズの分厚い眼鏡も、くしゃくしゃの茶色い髪も、しわの残る よれている白衣も、すべてがコジュであることを強く訴える。
人の良さそうな笑顔を思い出して、目に熱いものがこみ上げてくる。
手をコジュの身体にかざして目を閉じ、意識を集中させた。内に眠る魔力を呼び起こし、術式を思い描く。不思議と自信が満ちていた。
するとファイに腕を強く掴まれた。
驚いて彼を見ると、強い瞳で否定される。
「違う。魔力を辿れ」
「え、だってコジュさん、まだ、」
「もう手遅れだ…!」
また、救えない。
力なく呆然とコジュとファイの間で視線を泳がせていると、レオナを掴んでいる手に力がこめられ、催促される。彼の死を悼むことも許されないのか。
ファイが悪いわけではない。彼は兵士として、頼まれたことを解決に導くために冷静に判断して行動しているだけだ。
しかし、レオナはそんなに感情を捨てきれない。
いや、捨てなければいけないのだろう。ファイに付き添ってヘヴルシオンを追う限り、いちいち感情に左右されていてはこちらが危ない。彼らは危険分子なのだから。
自身で結論付けたものの、少し胸が痛んだ。
何度も考え、決して答えのでない問いが浮かんでくる。――なぜ、兄はヘヴルシオンに。
開いたままだった彼の瞼を閉じ、軽く頭を振って無理やり意識を切り替えた。乱雑に入り乱れていた思考をひとつに留める。
術を受けてからあまり時間が経っていないほうが魔力は強く残っている。今なら犯人の追跡は容易いはずだ。
今度は違う種類の魔力を呼び起こすと、甲高い悲鳴が聞こえるとともに頬に鋭い痛みを感じた。
「先生!」
「先生から離れろ、人殺し!!」
人が、いつの間にか噴水の周りに集まってきていた。
彼らの歪んだ顔を見ながら頬を触ると、手に粘り気のあるものがつく。見ると、血だった。
なぜだろうと顔を上げて、理解した。遠巻きにレオナたちを囲んでいる人々が罵倒しながら石を投げてきていたためだ。
ファイが彼らをなだめるよう声を張り上げながらレオナを庇っていてくれたが、間を抜けて少し大きい石が頭に当たってしまい、一瞬意識が遠のく。
痛い。
――痛い。
(いいよ、私のことはなんと罵ってもいいから、コジュさんを静かに眠らせてあげようよ)
声にすることはできず、庇ってくれているファイに甘えて彼の裾を握りしめた。
コジュを救えなくて悔しいのは自分だって同じだ。簡単に人の命を奪っていく殺人者が憎いのだって。
殺されてしまった人を蘇らせることはできないから、せめて早く解決してあげたいと思っているのに、どうして伝わらないんだろう。
本当なら、冷静にかっこよく結界を張れればいいのだろう。ファイにだってそんな自分が求められているのは理解しているが、そんな強くはなれない。
人の死を間近で感じて、多くの人に罵倒されて、心細いのに頼れる人は誰もいない。
無条件で自分のことを愛して、信じて、守ってくれる人は、もう誰もそばにいない。
(ひとりって…つらいよ…兄さん……)
急にきつく抱きしめられた。
ファイが上着でレオナを包みこんでくれていたのだが、胸に頭を押し付けられるように手を添えられ、少し呼吸が苦しい。
「ここから離れるぞ」
耳元で短く囁くと、レオナを抱き上げ、人を抱えているとは思えない速さで人ごみを抜けていく。
抱き上げられていることに恥ずかしさを感じる暇さえなく、人気のない路地裏に入ったところで降ろされた。
「お前、今からあの魔伎夫婦のとこに行けるか? 俺はあのガキが少し気掛かりだからそっちに行ってくる。荷物も取りたいものがある」
「私だけで?」
「俺もなるべくすぐに向かう。あの夫婦が犯人だとは思えないが…、もし犯人だった場合や犯人が現れた場合、闘うな。自分の身を守ることだけ考えろ」
犯人と遭遇する可能性があると言われているのか。
いやだ。
レオナより魔力が強く、人を殺めることに慣れている人間となんて対峙したくない。怖い。
コジュのように殺されてしまうかもしれない。そうしたら、もうジェイクに二度と会えない。そんなの、死ぬよりつらい。
わかったと返事することもなく、ファイと目も合わさず、ただ俯いた。
「…わかった。お前が宿に戻ってあのガキ連れてさっさとこの町を出ろ。それで、もう俺の前には二度と姿を見せるな」
突然空気が変わり突き放すようなことを言われて顔を上げると、初めて会ったときのような冷徹で厳しい茶色の瞳があり、慄然とした。
なにか言おうと口を開くが言葉は出てこない。
「言っていたはずだが? 私とお前は利害関係が一致しているにすぎないと。この程度のことで怖気づくような使えない人間はいらない」
あぁ、見限られたのだ。
彼が困惑と苛立ちを感じたのがわかっていたのに、先ほどまでの彼の優しさに甘えてしまった。ファイは嫌な顔をしながらもレオナのことを気遣ってくれるから、結局は守ってくれるだろうと、思ってしまったのだ。
確かにある程度気にしてくれているが、レオナはファイの護衛対象ではない。無条件で守ってくれると思っていたなんて、ひどく自分本位だ。
そのずうずうしさがファイにも伝わったのだろう。一線引かれてしまった。
彼に評価されたいと思っていたわけではない。
それでも、軽蔑はしてほしくない。使えない人間だなんて、価値がないなんて、思われたくない。
なにをしに王宮まで潜入したのだ。ジェイクに近づくためだろう? 彼にもう一度会いたいから、会えるならなんでもしようと決めたではないか。そのためには危険に飛び込むことになっても構わないと、覚悟をしたではないか。
「待って!!」
背を向けていた彼を呼び止めた。
まだ振り返る優しさは持っていてくれたらしいファイが、しかし凍るような目で見返す。その迫力に少し怯んでしまうが、負けじとにらみ返す。
「…ごめんなさい。自分の立場を考えませんでした。でも、行きます。私がマウロさんのところに行きます」
「足手まといはいらないと言ったんだが?」
「足手まといにはなりません。もう、なりません」
どうだか、と肩をすくめられる。
ここで彼を引きとめられなければ、本当に捨てられる。しかし、どう行動するのが正しいのかがわからない。
わからないが、やるしかない。
「わ、私が行くから! ユーリのとこに行ってくださいね!」
言うなりファイの脇を走り抜けた。
顔を見たくなかったのと、これ以上否定の言葉を重ねて欲しくなかったからだ。
少し走ったあと背後でファイが笑ったのが聞こえたのは腹立たしくもあったが、機嫌が少し直ってこのままレオナに任せようと思ってくれたのだろうと、前向きに考えることにした。