朱の月

3話‐4‐

 クルグスには魔伎の夫婦が1組だけいるそうだ。
 大通りから一本入ったところに店を開いていて、コジュ曰く、人のいい夫婦は魔術を町のために使うことになんの抵抗もなく、とてもよくしてくれているらしい。
 しかしこの事件が起こるようになってからはほとんど姿を見せなくなってしまった。
 この犯行が可能なのは魔伎だけのはずのため、犯人であろうとなかろうと彼らの話を聞くのが一番の手掛かりになるのではないかと、ファイは早速訪ねることにした。
 今回も魔伎が関わっているということでレオナは同行を求められたが、ユーリは宿で留守番だ。
「しかし…めんどくさいことに巻き込まれたな…」
 げんなりした様子でファイがつぶやいた。
 先の盗賊の1件のように、本来ならば関わらずにさっさと王都に戻りたいのだろう。しかし近衛兵士と気付かれてしまっては無視するわけにはいかない。
 人からの評判を気にしているようだし、奇妙な殺人事件を放っておくなど、沽券に関わる問題にもなる。
「まぁまぁ、ほんとに困ってるみたいだし、このまま事件が続いたら大変でしょ」
「そうなんだが…なんでこうも足止めをくらうかな…」
 ファイは手で額を抑えながら天を仰いだ。
 いまだにしつこく、こういう事件よりも単純に賊の討伐や警護などのほうが向いているのに、とぶつぶつ言っている。
 彼の態度からすると、向いているというよりは単純で楽だから、という理由な気がする。危険はあるが、敵を排除すればいいという明確な目的が定まっているからだ。
「あ、ほらここみたいだよ」
 簡単に書いてもらった地図と見比べながら、目の前に建つ店を指差した。
 薬などを販売しているようだが、今は閉店の看板が店先に出され、カーテンも閉められていて中を窺うことはできない。
「中にはいるみたいだな」
 気配でわかるのか、ファイが同じくカーテンの閉められている2階の窓を見つめて言う。
 念のためレオナも魔力を辿ろうとしてみて、ふと思い出した。
 そういえば昨夜、強力な魔力を感じていたではないか。ほんの一瞬ではあったが、あれはもしや犯行するための術を使った際の漏れだったのでは。
 その強力な魔力を持ち、さらに隠せるほどの力量のある魔術師になるとレオナでは到底かなわない。
 不安と杞憂を伝えるべきか迷っていると、あろうことかファイは勝手に扉をこじ開けようとしている。結界とまではいかないが簡単な術が施されているため、引いたり破壊しようとしたりしても容易には開かない。
「ちょ、ちょっとなにしてんの!」
「入ろうと」
「それって不法侵入とかになるんじゃないの? まずいでしょ!」
「お前、俺を誰だと思ってる?」
 問題なんてない、という堂々としたファイの態度に、別の不安が胸に広がる。
 誰だったら不法侵入しても問題ないのだろうか。近衛兵士か。近衛兵士なんて、割合的には少なくとも人数は多い。それがみな許されてしまったら、それこそ問題ではないのか。
 側近であるがゆえならば、やはり問題だと思う。
 王族に仕えて正しい道を指し示すべき人間が、犯罪まがいのことをしていいとは思えない。
 いや、いいことだけをしているとは言えないこともあるだろうが、それはもちろん仕事として、仕方なくやらざるを得ないことだ。
 確かにこれだって仕事としてなのかもしれない。しかし確実に黒、とは言えない人の家に無理やり入るのは少し正当化にも無理があると思ってしまう。
 だめだ、やっぱり共犯者にはなりたくない、と主に保身のためにレオナが腹を括り、剣を抜いて扉の隙間に差し込もうとしているファイを扉から引き離そうと手を伸ばしたときだ。
 厳重に閉ざされていた扉が、あちら側から開いた。
 少しだけ開かれた隙間から、怯えの色を浮かべた青紫の瞳が覗く。
 そこに指を入れて今にもこじ開けそうなファイの腕を慌てて掴むと、その人物の目が丸くなり、ファイが開けるまでもなく中から人が出てきた。
「レオナじゃないかい? 覚えてるかい、私だよ!」
 現れたのはこじんまりとした女性だった。癖っ毛の短い灰色の髪は鳥の巣のように絡まっていて、ぽっちゃりとした身体は、猫背のせいで余計に小さく見える。
「…もしかして…アンヘラさん?」
「そうだよ! レオナ…大きくなったねぇ! ちょっと汚いんだけどね…中にお入り」
 力ない笑顔で中へ招いてくれる彼女は、多少の警戒をにじませて見知らぬファイを一瞥したが、レオナが共にいるので一緒に入れてくれた。



 店内を通りすぎ、コジュの家と同じように店舗とは別に生活空間になっているらしい2階へと進む。
 家のすべてのカーテンや扉は閉められており、入口と同様の術も張っているようだ。
 暗い室内を照らすのは、控え目に灯されているろうそくだ。階段の始めや扉のあるところなど、本当に必要なところにだけ置いてある。
 転ばないよう注意しながら歩き、階段を上がってすぐの部屋に通される。ここは通りからファイが見ていた窓のある部屋だ。彼の言った通り、この部屋に2人はいたらしい。
「あんた、ほら、レオナだよ」
 アンヘラが窓際にいた人物に声を掛けると、ゆっくりと振り向く。
「おぉ、本当だ。久しぶりだなぁ…!」
 聞き覚えのある懐かしい声の主は、アンヘラの夫であるマウロだ。部屋が暗くてはっきりと顔が見えないが、声は聞き違えない。
 彼がよろよろと立ちレオナに近づいてくると、アンヘラの持っていた明りでやっと顔が見えた。
「久しぶり、マウロさん! 少し痩せましたね」
「はは、母ちゃんのを分けてもらいたいくらいだな」
 マウロの軽口にアンヘラが頭をはたく。
 2人の関係も昔のままだが、やはりどこか活気がない。
「アンヘラさん、マウロさん。私、今日は町で起こってる事件について聞きに来たの」
 レオナの問いに表情を凍らせた2人は、一度顔を見合わせて俯いた。
「…そうだね、そこに椅子があるから座っておくれ」
 レオナが頷いて座ろうとすると、ファイに名を呼ばれた。振り向いてもなにも言われず、ただ窓とろうそくを交互に見やる。
 これは、明りをどうにかしろと言っているんだろうか。
 おそらく、としか言えないが、マウロに軽く断ってから一応術を使ってみる。
 まずこの部屋だけを覆う結界を張り、光が漏れたり中を覗いたりできないようにする。そして手のひらに乗るサイズの火の玉を2つ作り、集まっている中心と扉の側に置いた(念のため、火が移らないように玉にも結界を張った。さらに蛇足だが、レオナは光の術は使えない)。
 するとファイは、満足したように手近にあった椅子に腰を下ろした。
「またずいぶんと腕を上げたなぁ」
 感心したマウロの言葉が嬉しくて世間話を紡ごうとしたが、ファイに視線で止められた。
 そうだった。再会の喜びで意識が逸れがちだが、事件について話を聞かなければ。
 こういうことはレオナが話すよりファイに任せたほうがいいだろうと判断し、大人しく黙っていることにした。
 レオナが状況を理解して黙ったのを見計らい、ファイが言う。
「突然の訪問、失礼致しました。私、王宮近衛兵士のファイ・グローリーと申します。私事でこちらへは寄ったのですが、今朝の事件についてお力になれればと、協力させていただいています。そのため、町唯一の魔伎であるというおふたりのお話をお伺いしたいのですが」
 見事な笑顔だった。
 あれほど嫌そうにしていたのに、本心で自分からこの事件を解決したいのだと思わせ、話すことへの拒否は許さないという、柔らかくも強制力のある言い方。
 私事、と嘘をついたのも、レオナとの関係について言及させないためだろう。…個人的には言及してほしいが。ファイとの関係を誤解されるなんてたまったもんじゃない。
 兵士であるのに丁寧な対応をしているというのも意外だった。
 これまでレオナが出会ったことのある兵士は、一般兵や近衛兵関係なく、みな尊大で傲慢だった。特に近衛兵になれる者は貴族が多いため差別観念があったり、権力の誇示であったり、一般兵よりも格段に横柄な態度のため、国民からの評判は悪い。
 貴族にとっては憧れの近衛兵士が国民には煙たがれているなど不思議な立場になっているが、そんな近衛兵士であるファイがどうしてこうも一般的に想像される彼らと違う態度を取れるのか気になった。
 しかし今は関係のないことだからと頭の端へ追いやる。
「私は…私たち夫婦は確かに魔伎で、ある程度の魔術も使えます。だが、妻は簡単な術しか使えんし、私は精神に働きかける術は使えんのです。私たちには、あんなことは…」
「ではなんの術が?」
「空間制御です。昔からそれだけは得意で、むしろそれしか使えんのですがね」
 ファイが確認するようにこちらを見るので、小さく頷いた。
 幼いころ悪さをして、マウロに空間に閉じ込められたことがある。中の人間には何時間にも感じられるのに、実際は数分しか経っていないのだ。
 それが怖くて怖くて、彼の前ではいい子でいようと堅く誓うことになった出来事だった。
 マウロは膝の上で堅く拳を握り、辛そうに目を閉じる。
「それになによりも…私たちには町の人を殺す理由がありませんよ」

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