朱の月

3話‐2‐

 駅のあるクルグスという町でレオナたちは宿を取り、やっと落ち着いて休むことができた。部屋に入って息を抜いた時には、肉体的にも精神的にも激しい疲労感が全身にまとい、今すぐにでも倒れるように寝たいと思うほどだった。
 なぜこんなに疲れたのかというと、列車での窮屈さと長距離の移動のせいだけでなく、部屋を取るのにも一悶着あったからだった。




 クルグスの町中で、安めの宿を見つけて手続きをしているときのことだ。
 側近のくせに安い宿でいいなんて、普通は体裁のためにも高級な宿でないとだめ、とか言うものではないのか、やっぱりどこか庶民的だなーなどと考えながら聞こえたのは、ファイが店主に3部屋用意しろ、と言い、ユーリが2部屋でいいと抗議している声だった。
 どうやら費用すべてをファイが持ってくれているため、ユーリが気を遣っているようだ。
 あまりユーリはファイのことが好きではないというか、敵対心を持っているというか、ともかく気を遣うなんてしないと思っていたから少し意外に感じてしまった。
「ファイ、いいよ2部屋で」
 申し訳なさを感じていたのはレオナも同じため後ろから口を挟むと、ファイに不満そうな視線を向けられ、すぐに背けてしまった。まだ、あまり目を合わせたくない。
「俺はそいつと同室になるのがいやなんだ」
 こどもが嫌いなんだろうか。
 …ありえる。というか、ファイがこども好きなイメージがない。
 これまで長い時間ではないが一緒に行動してきて、気安い雰囲気のときはあれど無防備で気を許すような姿は見たことがなかった。
 誰といようがなにをしていようが、どこか必ず一線を引いていて冷静さを欠かない。客観的に物事を見ていて、常に最善を考えているし、王族に仕える者としては手本のような人物であるのだろう。
 でもそれが、壁を感じる原因にもなっていて。
 いや、ファイはもとから違う世界の人なのだから壁があって当然なのだが、共に過ごす時間が多くなってきたからか気安い態度だからか、妙に親近感を覚えてしまったのだ。
「聞いてるのか?」
「あ、ううんごめん!」
 素直に謝ったらにらまれてしまった。
 また責められてもたまらないので、なにか言われる前にユーリへ向き声を掛ける。
「私がユーリと一緒の部屋でいいよ。ね、いいよね?」
「レオナ女の子なんだから、そんな気軽に一緒の部屋で、とか言わないほうがいいんじゃないの?」
 呆れたようなユーリに、疑問が浮かぶ。
「え? 別にユーリなら気にしないけど」
「ガキがませたこと言ってんなよ」
 ファイとほぼ同時だった。
 ユーリは目を細め、わかりやすく息を吐いた。
 なにか悪いことを言っただろうか。レオナだって年頃の女であるから、男と同じ部屋で一晩過ごすというのはさすがに避ける。しかしユーリならばそこまで考えなくともよいと思うのだが。
「ねぇ、レオナっていくつ?」
「私? 19だけど」
「俺、いくつに見える?」
 冷やかな目で見られて、少し怯んだ。怒ってはいなくとも、確実に機嫌は損ねてしまっている。
 答える前に改めて慎重にユーリを観察した。
 華奢な体つきで、背はレオナの肩程度。たれ気味な目は彼を温厚そうに見せ、少年らしくあどけない顔立ちだ。紫がかっている色素の薄い髪の毛は癖っ毛なのかふわふわしていて、思わず手を伸ばして撫でたくなるほど。
 ――つまり、レオナには13歳くらいにしか見えない。
「え…と、13歳とかじゃ…」
 言った瞬間、ユーリの笑顔が凍った。表情を変えはしないが、明らかにまとっている空気が重く冷たい。
 もしかしてもしかしなくとも、もう少し上だったのだろうか。いや、これでもぎりぎりの年齢を考えて言ったのだ。見た目よりは口調や雰囲気が落ち着いているので、せめて13くらいでは、と思ったのだが。
 異様な空気にファイに助けを求めて視線を寄こすと、同じく困惑しているようで首を振られた。
「あのねぇ、俺、これでも16なの。ちょっと成長遅れてるかもしんないけど、これでもレオナの3つ下なの」
 笑顔のままで声色は非常に優しいのだが、“これでも”を言う口調は強めだ。
 申し訳なさが胸に広がるが、ここで素直に謝るのもなんだか失礼な気がして、引きつった顔でなにも言えずにいた。
 どう見ても16には見えない。すでに少年でなく青年と呼んでいいはずの年齢ではあるが、どう見ても考えても“少年”なのだ。
 彼の反応からすると、言われ慣れていることではあるようだ。それでもやはり、コンプレックスなのだろう。米神に青筋が浮かんでいるのも発見してしまった。
 いいタイミングで、とは言えないが、割と早めに年齢を知れたのはよかったかもしれないとレオナは内心で息をついた。
 今回のこともかなり失礼ではある。
 しかし、実は年の離れた弟ができたみたいだなと、レオナはかなりユーリを可愛がっており、町に着いたらお菓子やら洋服やらを買ってあげようと企み、果てにはまだぎりぎり一緒にお風呂にも入れないかな、などと考えていたのだ。
 16の青年にそれを実行していたら、失礼どころか馬鹿にしていると受け取られても仕方ないし、風呂に関してはお互いに後々まずいことになるだろう。それに比べれば、年齢を間違えたくらいなら可愛いものだ。
「み、見えねぇ! お前それは嘘だろ!」
 噴き出す音が聞こえたかと思うと、ファイが腹を抱えて笑い始めた。いつもに増して態度が軽い。
「ファ、ファイ! ちょっとそれは…!」
 止めに入ったのが火に油だったらしい。
 意地になったユーリが3部屋でなおかつファイの部屋は一番離れているところにしろと言い張り、面白がっているファイは2部屋でレオナと一緒にしてやるとからかう。
 レオナが口を挟もうとしても2人とも聞く耳を持たず、だんだんとヒートアップしていく口論になす術もなかった。
 さらに関係のないレオナにまでファイが罵声を浴びせたものだから、本来ならば冷静に抑えさせるべきレオナまで腹を立てて放置することに決める。
 店主が困って切実な視線を寄こしてくるが知ったことではない。
 終わりの見えなかったそれは、耐えかねた店主が半泣きになりながら声を張り上げたことで、なんとか治められた。



 結果的に3部屋を借りることになり(店主もファイとユーリを一緒にはできないと判断したらしい)それぞれの部屋に消えると、レオナは倒れるようにしてベッドに身を任せ、すぐに眠りについた。
 明け方に近い時間、ふと意識が覚醒してしまい身体を起こす。
 疲れていたからといってシャワーも浴びずに寝てしまったことに、自分を責める。服もそのまま、ブーツさえも脱がずに、言葉通りベッドに倒れていたようだ。
 ファイについ最近女なら身なりに気を使えなどと嫌味を言われたばかりなのに、もうだらしない行動をしているなんて。
 ちょうど目も覚めたことだし、と立ち上がった瞬間、強い魔力を感じた。
 ここからそう遠くない――が、辿ることは不可能だった。全身が粟立つほど強く、どこか禍々しささえ感じるほどの力であったが、それが伝わったのは本当に一瞬だったのだ。
 いまは魔力なんて始めからなかったかのように、微塵も感じられない。
(あんなに強い力だったら、完全に感じられないなんておかしい…)
 意識して探ってもまったく痕跡を掴めない。
 釈然としない気持ちもあるが、このまま続けても時間の無駄だと早々と見切りをつけ、レオナはもともとの目的だったシャワーを浴びるために浴室へと向かった。



 翌朝。1日経っても関係は回復しておらず、先に出ていたユーリとファイは黙ったまま互いに眉間にしわを寄せて反対を向いていた。
 呆れながら挨拶をすると、ユーリが目を輝かせて駆け寄ってきた。おはよう、と言うなり腕を絡めてきてファイから距離を取ろうとするしぐさは、やはり16には見えない。
 あからさまな態度のユーリにしわを深くしたファイが、普段よりもぶっきらぼうに視線を投げる。
「おい、さっさと行くぞ」
「はいはい」
 大人げないなーと微笑ましく思い、ファイのあとに続く。
 クルグスからなら、今日の夜には王都に着けるだろう。おそらく下町でまた宿を取り、朝早くに王宮に戻ることになる。
 この短い旅で起こった出来事を思い出すと、やはり胸にしこりが残る。
 いい出会いもあった、ジェイクが生きていることもわかった。それでも早く心を許せるミシェルのところへ戻りたいと強く思った。
 ミシェルもレオナの気持ちを知っている。さらに、両親を亡くしたとき、ジェイクが行方不明になったときも一緒にいてくれたため、レオナの一番ひどかった時期を見ているのだ。
 なにも聞かずに、ただただ甘やかしてもらいたい。
「…なんだ?」
 前を歩いていたファイが、ふいに立ち止まり怪訝そうに言う。
 その視線を辿ってみると、町人たちがみな険しい顔をしてどこかへ集まっていくところだった。

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