朱の月

3話‐1‐

 ファーレンハイトでの主な移動手段は、馬である。騎馬であったり馬車であったり、貴族から平民まで馬がいないと長距離移動は難しい。さらに、個人で自由に使える馬などはある程度の身分がないと持てないような貴重なものである。そのため騎馬のできる平民は極端に少ない。
 しかしそれも数年前までのこと。魔伎により生活が豊かに便利になってきているファーレンハイトでは、列車が作られたのだ。
 機械国ベティスではずいぶんと前に開発され使われていたようだが、交流を持たないファーレンハイトにはその技術は伝わってこない。そこで当時、魔道具の権威と言われていた王宮専属魔術師のアドルフを筆頭に、魔術で動く列車の研究が進められた。
 国民の生活が楽になるようにと、数年かけて作られたそれは、その思惑通り国民の生活を大きく変えた。
 商人の馬車は盗賊に襲われることが多かったが、列車によって被害は大幅に減った。乗るためには料金も掛かるが、馬車に乗り合わせたり馬の世話にかかる費用よりは格段に安く、また時間も大幅に短縮できる。
 個人で気軽に、安全に旅のできる手段として重宝され、この一件により国王の支持はより堅固なものとなったのだ。
 その線路はまだ国中に張り巡らされているわけではなく、王都を中心とした主要地にいくつかの停留所があり、短い区間を往復している形をとっている。
 いまだに連結していない駅もあり、その間の移動にはまだ馬が使われることが一般的で、その駅近辺では旅人を受け入れるために整えられた町が多くできた。そして現在も周辺を中心に発展中である。

 レオナたちはその列車に乗り、王都に向かっていた。
 セラルト領から王都までは、列車を乗り継いでも3日ほどかかる。
 1日目、ある区間まで進み、休息を取るためにと町に入った。しかし、すでに夜が迫ってきているというのに宿を取ろうとしないファイにレオナは尋ねた。今晩はどうするのかと。
 すると当然のようにこのまま先を急ぐのだと返された。このままとは、宿を取らずに次の駅まで歩くということ。
 ファイは当然馬に乗れるのだが、レオナとユーリはできない。1人だけならファイと相乗りしていくこともできたのだが、さすがに2人は難しい。また夜間は滅多なことがない限り馬車を出すことはできず、仕方なく徒歩で進むことになったのだ。
 王都に早く戻らなければならないのだから仕方ない、そう言い聞かせながらほとんど寝ずに2日目。
 疲労の色をまったく見せないファイに、レオナは再び尋ねた。今晩はどうするのかと。
 すると当然のようにこのまま先を急ぐのだと返された。
「あのね、悪いけどファイみたいな人と一緒にしないでよ!」
 ついに、レオナの我慢の限界に達した。
「昨日お風呂にも入れてないし、私とユーリは疲れてるし、今日くらい宿取ろうよ!」
「あのなぁ、俺は急いでるって言ったよな? 第一馬に乗れないお前たちが悪い」
「普通の人が馬に乗れるほうが珍しいんだから無茶言わないで」
「ならお前が転移の術でも使えればよかっただろ」
「私は空間とか精神とか、そういう系統は苦手なんですー!」
 すっかり夜も更け最終の列車もなくなった駅で口論を始めた2人をよそ目に、ユーリは気付かれないよう息を吐いた。
 レオナの言うとおり疲れはたまっているし、王都に早く帰ろうが時間が掛かろうが、ユーリには関係のないことだ。休みたいとは思うが、人の意見を聞かなさそうなファイが素直に認めるだろうか。
 いや、認めないからこそこうして口論をしているわけなのだが。
 それよりも、ユーリにはどうしても気になっていることがひとつだけあった。
 目の前の2人を見ているとますます疑問は強くなり、このままでは休むことも進むこともできなさそうだという考えが色濃くなったころ、口を挟むことに決めた。
「ねぇ、2人は恋人なんじゃないの?」
 決して大きい声でもよく通る声でもなかったが、2人は瞬間的にユーリを見た。
「「恋人じゃない!!」」
 またも言葉が被ってしまい、互いににらみつける。
 そのタイミングまでそろえたように同じで、ユーリは肩を震わせながら言う。
「ほら、仲良いんじゃん。それにファイっていつも偉ぶってるけど、レオナの前だけは素だよね」
「偉ぶってないだろ。こいつに嫌われようが困らないと思ってるだけだ」
 その言い方にレオナはムッとした。
 そう思っているだろうとは考えていたし、実際自分だって同じ気持ちではあるのだが、面と向かって口にされるとなんだかバカにされている気分になる。
「第一、俺の好みは落ち着いた大人な女性だ。かすってもないだろ」
 鼻で笑われ続けられた言葉に、耐えることはできなかった。なぜ勝手に品定めされて、さらに勝手に振られなければならないのだ。
 確かにレオナはファイよりも若い。これまでに落ち着いた態度だって、まったく見せてはいない。
 というかここでタイプだと言われても困るし、そもそもレオナにだって好みはあるのだ。
「あのねぇ、私だってファイなんか好みじゃありません! 私が好きなのは、優しくて穏やかで笑顔が柔らかくてでも儚げで真面目な人!」
「ほう? 俺だって惜しいとこいってるじゃないか」
「ファイと兄さんを一緒にしないで!」
 バッと両手で口を押えた。しまった、いらないことを言ってしまった。
 顔に血が上るのがわかる。
 ファイとユーリは瞠目してこちらを見ている。まさか、聞き逃していたなんて都合のいいことが起きてはくれまいか。
「…今の、聞いた?」
 2人ともなにも言わない――ということは肯定か。
 あぁ、ずっと、気を付けていたのに。身体から力が抜ける。腹の底が急激に冷えたようだ。
「…あは、笑うなら笑ってよ。罵倒するなら罵倒してよ。…もう、慣れてるから」
 嘲笑をもらして目をそらし、近くのベンチに腰を落とした。
 2人はなにも言わない。この沈黙が怖かった。
 ふと、長い間かたく蓋をしていた記憶が蘇ってきた。
 当時仲の良かった友人と、好きな人を互いに言い合おうなんてこどもらしい話題になったとき。彼が好きだと口に出したことはなくて、緊張と照れと喜びを感じながら告げた。その瞬間、あんなに仲が良かったのに理解しがたいものを見る目で、一言、“兄妹のくせに気持ち悪い”と言った彼女。
 自分の気持ちは理解してもらえるものでも、褒められ、誇れるものでもないと思い知ったあの日。
「…気持ち悪いとか思ってるんでしょ? それならそう言ってくれて構わないってば」
 内心で侮辱されるなら、いっそ堂々と言ってほしい。
 わかっている。この気持ちが本当はいけないものだってことくらい。
 でも消せなかった。
 一番身近にいた人だから、勘違いしてるんじゃないかとも思った。ただの家族の親愛で、恋愛ではないんじゃないかって。しかしやめようとするほど、考えないようにするほど、ジェイクの存在を強く求める自分がいた。
 ジェイクが姿を消したとき、気が狂うかと思った。バレンシアに言われた通り、捨てられたのだと思った。ジェイクもレオナと同じ気持ちでないのなら、この気持ちになんの意味があるのだろう。
 世間的には認められない想い。
 彼も同じように想ってくれるなら、世間にどう思われようと構わなかった。
 結局、レオナの気持ちに気付いていながら、まったく相手にしてはくれなかった。レオナを見る目は優しく、愛がこもってはいたが、所詮“家族愛”だ。
「…はっ」
 ぶっきらぼうに吐き捨てられた声に、心臓を掴まれたように苦しくなった。覚悟はしていたけれど、実際に聞くとつらい。
 だめだ、無理にでも笑わないと泣いてしまう。
 泣くな、今だけでいいから、強がれ。
「…そうだよね、」
「俺はやつらを追っている、それだけだ。お前が兄のことを好きだろうと、邪魔をしなければ問題ない。お前の気持ちはお前だけのものだろ。気持ち悪いなんて言うな」
 真面目な、声だった。
 慰めやその場しのぎで言ったのとは違う、心のこもった、真面目な声。
 その答えが思いもよらなかったもので、不安を抱きつつも顔を上げる。するとファイがレオナに初めて向けるような穏やかな微笑を浮かべており、戸惑ってしまった。
「――、」
「ほら、突っ立ってんな、行くぞ」
「どこ行くの?」
「宿、取るんだろうが」
「えー、意外ー。ファイ優しいじゃん」
「おい、お前が俺を呼び捨てるな」
 言葉を続けることを許されず、わざと明るい口調で話をそらして背を向けられた。ユーリもレオナに特に視線を向けることなく、なにもなかったようにファイに続く。
 宿なんて取らないって言ったのに。なんで、こういうときは優しいんだろう。
 急いで目元を拭ってから、レオナも2人を追った。

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