朱の月

2話‐7‐

 苛立ちを隠さず、頭をかきながらバレンシアが戻ってきた。すぐにファイが彼女のそばに寄り、小声で報告をする。
 息を留めている者は誰一人いないだろう。とても強力で、邪悪な術だった。30人ほどの盗賊全員を殺せるほどの術と、扱えるだけの魔力。
――どうして、気がつかなかったんだろう。
 呆然としているレオナをよそに、土地を守る魔術師としての義務を思い出したイワンが盗賊の身体を調べている。1人の男の腕を持ち上げ、バレンシアを呼ぶ。
「なんだこりゃ…刺青か?」
「いえ…これは術印です。詳しく調べないとわかりませんけど、術印を刻んだやつを殺せるとか操れるとか、そういったものじゃないですかね…」
 バレンシアはイワンの言葉に考え込む。
「こいつの最期の口ぶりから考えるなら、口封じ…だろうな」
「お前はわからないのか? ……おい?」
「…え? あ、ごめん、呼んだ?」
 答えるが、ファイはただレオナを見ているだけだった。その視線は鋭い。
「お前、なにか気付いてるだろ」
「…別に、」
「隠し事は許さないと、私は初めに伝えていたはずだが?」
 強い口調。
 動揺に目ざとく気付いて、近衛兵士である彼との誓いを迷わず口にする。彼の圧力には逆らえなかった。
 言いたくないことだってある。まだ自分の中で整理がついていないのに口にしたくない。
 信じられないのに。
「術に関してはまったくわからりません…けど、術師は、わかります。……私の、兄さんです」
「…本当か?」
「嘘で兄さんを犯人になんて言いません。私だって意味が分からない…なんで兄さんが、人殺しなんか…!」
 目頭が熱くなる。声が震える。
 なんで、どうして? あんなに穏やかだった彼がヘヴルシオンの一員かもしれないって聞いて、信じられなくて、信じたくなくて。でも…私が兄さんの魔力を間違えるはずない。それにさっきの姿。はっきりは見えなかったけど、この距離でも目が合った。大好きだった、綺麗な紫銀の瞳と…。
 レオナが黙ると、そばにユーリが来てくれた。灰色の深い瞳がまっすぐに覗き込んでくる。
「…大丈夫?」
「うん…ごめんね、ありがとう」
「嬢ちゃんさぁ、あんたの兄ちゃん、なにもんなの」
 口調は軽くとも、バレンシアの視線は冷たくて鋭かった。“近衛兵士”として対峙していたときのファイと同じそれ。
 手を握り締める。
「……優しい人ですよ。専魔師だった両親の血をしっかりと引いて、昔から強い魔力とすごい才能を持ってました。あまり口数は多くないですけど、真面目で、穏やかで、優しい、」
「そんなやつがなんで組織に。結局嬢ちゃんを捨ててったんだろ?」
「――っ捨てたなんて言わないでください! 兄は、きっと…考えがあったんですよ。なにが目的かなんてわかりません、なんで組織にいるのかなんて知りません! でも、兄と私は、お互いが必要だった…!」
 思いをぶつけ息が荒くなった。
 “捨てられた”なんて、彼がいなくなった日はそう思い込んで死にたくなった。自分には彼がどうしようもなく必要だったのに、彼はそう思ってくれてはいなかったのだと。
 それでも今はその可能性を無理やり消しているのに、他人に軽々しく言われたくなんてない。
 息を整えようとしていると、ユーリが背をさすってくれた。
「…取り乱して、すみません。私はそれが知りたいからファイと一緒に行動してるんです」
 バレンシアは瞳に憐れみを浮かべているように見えたが、すぐにその色を消し、レオナに背を向けた。



 イワンに後始末をまかせ、レオナたちは再びセラルト伯爵邸に戻ってきた。急に飛び出したレオナの出発準備が整っていないためだ。
 ひとり、静かな部屋で思考を巡らせる。
 今まで半信半疑だったが、今日はっきりと兄の姿――正しくは魔力を感じてしまった。本当に、ジェイクはヘヴルシオンの一員として人を殺めているのだと痛感する。
 なぜ、自分になにも言わず去ってしまったのだろう。追うことくらい、彼に予想できないはずがない。
 それとも…必要としていたのは、本当にレオナだけだったということなのか。
「だぁー、もううっせぇなぁ!」
「わ! な、なに!?」
 下から聞こえたバレンシアの叫ぶ声に驚いた。またファイと口論でもしているのだろうが、ユーリを思い出して心配になる。少し荷物を取りに行くだけだからと置いてきてしまった。
 急いで降りると、立って机に手をついているファイとうざったそうに椅子の背に体重を預けて座っているバレンシア、そして関わらないようによそを向いているユーリが、重苦しい空気をまとっていた。
「うるさいじゃありませんよ、聞いてるんですか?」
「聞いてる聞いてるー」
「ですから、」
 ファイの小言が続く中、こそこそとユーリのそばに寄り口に手を添える。
「あれ、なにごと?」
「みすみす盗賊たちは殺されて黒幕も繋がりもつかめなかったのは、師匠が初めから行かなかったからだー、って延々と」
 なるほど、バレンシアが声を荒げるのにも納得だ。レオナがここを離れる前からその話を切り出していたから、相当にしつこい。
 しかしファイはバレンシアが苦手だったのではないのだろうか。説教している姿が、どことなく嬉しそうに見えるのだが。
「イワンももっと使えるやつかと思ってたんだけどなー。あいつ、あっさり捕まりやがって」
「またそうやって人のせいに、」
「あぁーっ!」
 思っていた以上に大きかった声に、慌てて口を押える。それでも当然声は発せられており、3人の視線がレオナに集まった。
 気恥ずかしいのと申し訳なさで身体が縮こまる。
「あのー…じつは、イワンさんが捕まってしまったのには訳があるそうで…」
「どういうことだ?」
 ファイとバレンシアが眉根を寄せて身を乗り出すものだから少し気圧されながらも、彼から聞き、レオナ自身も感じた魔力の異常について話した。
「魔術師も、あの場面では私とイワンさん、そして兄くらいしかいなかったと思います。兄がなにか魔力を抑えられるような術でも使ったのかもしれませんが…、そんな術があるなんて聞いたことはありません」
「それはあたしも知らねぇなぁ。あいつの采配が悪かったんじゃねぇのか?」
「でも確かにその後、魔力は復活していたんです」
 なにか考えているのか口を閉ざす。
 魔力を抑えられるような術。そんなものが実際にあるのなら、この国にとってかなりの脅威になるのではないだろうか。いまや魔術師が領土をまかされていることも珍しくなく、そういった土地はほとんどを魔術によって管理している。
 そしてほとんどの魔術師は、術に頼りすぎて純粋な戦闘は不得手な者が多い。魔術が使えなければ、一般人となんら変わりがないのだ。
「術にしろ偶然にしろ、やつらの裏に組織が関わっているのは間違いないでしょう。今回のように組織が裏を引いている事件が多くならないとも限りませんし」
「おぉ、お前らはさっさと帰れ。こっちはまぁあたしがいるから問題ねぇよ」
 バレンシアがしっしっと手を払い、ファイはため息をついた。軽い返答のためレオナも少し心配だったが、ファイが言及することはなかった。
 彼としても、バレンシアがいれば安心とは思っているのだろう。
「では私たちはこれで。なにか術についてなどわかったことがありましたら連絡してください」
 話が終わったのをみて、ファイが再び扉に向かおうとするが、バレンシアに止められた。
「お前ら、そいつ連れてくのか?」
 バレンシアが指さしているのはユーリ。彼はちょうどレオナに手を引かれて立ったところだ。
「なにを言っているんですか。師匠が里親でも見つけてください」
「こ、この子は私が連れてく!」
 とっさに言った言葉に大きく反応したのはファイだった。
「お前…ばかか! 連れて行けるわけないだろ!」
「このままバレンシアさんにまかせるのが得策だとは思わないもの! こども嫌いなんでしょ? だったら王都に連れて行ってミシェルにお金の面は工面してもらって私と生活する!」
「兄を捜したいんだろお前は! 世話する余裕なんてないだろうが!」
「どうにかする!」
「…あのなぁ!」
「お姉さん、俺いいよ、大丈夫だから」
「なに言ってるの! 今はヘヴ…えと…怪しい人たちが多くて危険なの! 私にまかせて!」
 胸を叩いて強く言うと、ユーリは口を出さない方がいいと諦めたようだ。
 再度ファイと向き合う。
 すると、彼の後ろでバレンシアが腹を抱えて笑っていた。苦しそうにひーひー言いながら立ち上がり、まだ堅い表情をしているファイの肩を叩く。
「ファイ坊、諦めとけよ。この子頑固だなー、昔のお前みてぇだよ」
「「一緒にしないでくださ…!」」
 図らずも被ってしまい、バレンシアの笑いが大きくなる。
 レオナとファイは互いに気まずそうに目線を外し、もう一度目を合わせたところで同時に笑った。
「俺はそいつに構わないからな。守るなら自分で守れ」
「わかってる。王都までだけど、よろしくね、ユーリ」
 レオナが笑いかけると、そこで初めてユーリも笑った。



 部屋を出ると、ブルーノがファイの荷物を持って待っていた。
「ありがとう。すまないな」
「いえ、いつでもお待ちしておりますので」
 ファイに優しく微笑みながら荷物を渡す。次にレオナを見て、同じように笑ってくれた。
「レオナさんも、またいらしてくださいね」
 レオナは実は、ブルーノにまた会いたいが他人である自分が伯爵邸に来てもいいのか、ずっと答えが出ずにもやもやしていたのだ。ブルーノはそれもわかっていたんだろう。
 彼はいつも、真っ先に欲しい言葉をくれた。
「ありがとうございます。本当に、お世話になりました」
 温かい人だった。温かい町だった。どうしたらこんな町をつくれるんだろう。
 セラルト伯爵もきっと素敵な人なのだろうが、やはり安心感を与えているのはバレンシアなのだろう。元近衛兵長という肩書だけでもひるむ賊は多いに違いない。
 これが国全体だったらいいのに。ユーリや自分のように、親を亡くしてどうすればいいかわからない子どもだっているのだ。
 今のその原因は、ヘヴルシオン。
 なぜそんな組織に兄がいるのか、どうしても知りたい。もう一度話したい。親を亡くす悲しみは知っているはずだから。


――待っててね、兄さん。

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