朱の月

2話‐6‐

 ブルーノに教えられた町はずれに向かう途中、何人かから声を掛けられた。“バレンシア様やファイ様は?”と。
 そんなのこちらが聞きたい。
 レオナはそう思いながらも笑顔を浮かべ、私でもやれるんですよ、なんて強がってみせる。本当は戦うことへの恐怖はあるし、実践という形で魔術を使うのに不安もある。
 でも、自分には魔術があるのだ。町の人たちのように抗う術がないわけではない。
 だからこそバレンシアやファイの押し付け合う様子を思いだして腹が立つ。
 助けを求める人がいて、助けられる力があって、どうしていかないのだろう。
 ファイだって、最近は株が上がっていたのにいまや大暴落だ。あんな男だとは思わなかった。国に仕える近衛兵士ならば、国民が困っていたらどこへでも駆けつけるべきではないのか。
 そうできない理由があることもわかってはいるが、どうにも納得することができなかった。
 盗賊たちが陣取っているらしい場所は、大きい岩が壁のように立っていると言っていた。それが視界に入ってくると、笑い、騒いでいる声が聞こえてきた。
 岩の側の木に何頭かの馬が繋がれ、その前に円を描くように男たちが酒瓶を手に座っている。
 確かに数が多い。目視できるだけでも30人ほどはいそうだ。また、先に向かっていると言っていたイワンらしき姿が見えない。
 確認するため目を凝らすと、奥に台車があるのが目に入り、それには縄で縛られた人が2人乗せられていた。1人は魔伎らしい灰色の髪の男と、もう1人はこどもだろうか。
 おそらくイワンはあの魔伎の男。やはり人数の多さにかなわなかったのだろう。
 レオナに盗賊が気付いた。
「あ? なんだ?」
「…あなたたちを、捕まえに来ました」
 途端に笑い声が上がる。女が丸腰で現れたのだから、冗談とでも思っているのだろう。明らかになめられているが、油断してくれているのはありがたい。
「んだよ、せっかく邪魔者捕まえたばっかなのによー」
「いや、この女なら高く売れそうだぜ?」
「そうだな…珍しい瞳の色してるしな」
 彼らの中でレオナは商品として認定されたらしい。傷つけないためか、刃物ではない獲物を手にした男たちが一歩前に出る。
 その目が猟奇的で少しひるむが、イワンの援護をしにきたのだ。彼が捕まっている今、自分がどうにかしなければ。彼らが油断している間にかたをつける。
 先に動いたのはレオナだった。
 小さく短い詠唱を唱えると、盗賊たちは相手が魔術師であると気がついたようだ。
 焦って襲いかかってきた男たちの攻撃は見えない壁に当たって弾かれる。
「な、なんだこれ…!」
 打撃が効かないとわかると剣や矢、銃を持ち出しレオナに向かって各々攻撃するが、結果は同じだった。
 一通り攻撃すると、諦めたのか1人がふいに笑った。彼につられるように他の者も笑い始め、戦闘態勢を解く。
「なかなかやるみてぇだが、残念だったな。俺たちにはきかねぇぞ」
 突然の余裕に疑問が浮かぶが、これはチャンスととらえていいのだろうか。
 レオナは口元にそっとなにかをすくい上げるかのように手を構えると、そこに息を吹きかける。
 風となり、手の中で円を描いてだんだんと勢いが増していくそれは、小さな竜巻のようだった。もう一度息を強く吹きかけると、弾かれるようにレオナの手から離れ、大きさを増しながら男たちのほうへ向かっていく。
 その様子を見ていた彼らはだんだんと顔色が悪くなり、ついに焦って壁を叩き始めた。
「なんでだよ! おい!」
「に、逃げられねぇぞ!」
 見えない壁に四方を囲まれた盗賊たちは、成す術もなく向かってくる竜巻に呑みこまれた。





 結界の中で竜巻が収まり静かになるのを十分に待ってから、レオナは大きく息を吐いた。
「よかった…成功?」
 結界と別の術を同時に使うなどとは、いままではコントロールが難しくてできなかった。
 考えていたのよりも大きい竜巻になってしまったからまだ完璧とは言い難いが、それでも魔力の使い方にはだいぶ慣れたようだ。
 魔術師が敵にいなかったのも幸いだった。あんな急ごしらえで、さらに竜巻を中に入れられるような作りの結界では、魔術師が攻撃なり解除なりしようとすればいとも簡単に崩されただろう。
 動く者がいないのを確認してから、縄のようにした風で盗賊たちを拘束する。
 あとはイワンに任せればいいだろう。
 台車に近づくと、イワンは意識がはっきりとしているようだった。彼はレオナの姿を目に留めると一瞬恐怖の色をにじませたが、魔伎――同族であると理解すると途端に警戒を解いた。
 風の刃で縄を切ってやる。
 きょろきょろと状況を確認してから、イワンはやっと口を開いた。
「ありがとうございます。…あなたは…」
「伯爵様の屋敷でお世話になっている者です。バレンシアさんの代わりに来ました」
 そうですか、とつぶやき、もう一度礼を言いながら頭を下げる。
 続いて気を失っている少年の縄も切っていると、イワンが小さい声で話し出した。レオナに語りかけているというよりは、独白に近い。
「術が使えなかったんです…。急に、本当に突然魔力を感じなくなって、なにをしても術が使えなくなったんです…こんなの、初めてで……」
「術が? 魔力が尽きたとかってことは…」
「違います。今はほら」
 言うと人差し指を立て、先に光を灯した。
 彼の言うとおり今は問題なく魔術を使えているし、確かに魔力を感じる。しかし魔力が尽きたのではなくて術を使えないなど聞いたことがない。
 レオナたち魔伎は、魔術を使うのに特に媒体を必要としない。ただ内在している力をコントロールできさえすればいいのだ。まあ、そのコントロールが非常に難しく、魔力が強かろうと扱えない者もいるほどではあるが。
 自分の魔力の限界を見誤れば、ランカのように術が解け、無理に力を使うとレオナのように体調を崩す。さらに使い続けて命を落とすことだってある。
 つまり、反動を覚悟していれば魔力が尽きても術は使えるはずなのだ。
 それができなくなり、なぜか急に回復したとはいったい…。
「わっ! う…あ、あ…!」
 腕の中で、目を覚ました少年が声を上げた。怯えきっている様子で、なんとかレオナの手から逃れようともがく。
「起きた? 大丈夫、私は助けに来たから」
 無理に捕まえようとせず、ただ笑顔を向ける。
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
 きっと彼も売られようとしていたんだろう。警戒心を与えないように、できる限りの優しい笑顔と声を意識する。
 少年は震えながら辺りを見回し、盗賊たちが捕らえられているのを見てやっと安心したように弱く抱きついてきた。
「なんだ、もう終わってたのか」
「だぁから言ったろ? 必要ねぇって」
 レオナも彼の体温を感じて安心していると、屋敷に残っていたはずのバレンシアとファイが獲物を手に現れた。
「遅いです! なんとかなりましたけど、これほんとはバレンシアさんが真っ先に行くべきでしょう!」
 彼女を責めると、少しバツが悪そうに頭をかいた。弁解も謝罪もなにも言わなかったが、それが彼女なりの謝罪なのかなと思う。
 伏せていた目を再びこちらへ向けたかと思うと、少年に目を留め、眉を寄せる。
「おい、そいつなんだ」
「この子は盗賊に捕まってて…」
「ふうん…?」
 少年の背に合わせて腰を屈め、半ばにらみつけるように見る。
「お前、名は?」
「…ユーリ」
「親は?」
「…殺された」
 しばらくにらんだままだったが、しばらくして軽く首を傾げると頭を掻きながら離れた。
 その様子を見てから、ファイが始末をするためイワンと盗賊たちに近づく。
「こ、こんなの聞いてねぇぞ! 邪魔者もなく町を襲えるっていうから…!」
 一番手前にいたリーダーらしき男が、捕まることに現実味を感じたのだろう。どうにか逃れられないかとわめき、暴れ始めた。
「は? お前なにを」
「おい…! おい! 話が違う! なんとか言え…」
 男がなにかを探すように視線を彷徨わせて叫んでいると、突然硬直した。
「…? おい、どう」
「あぁああぁぁああああ!」
「こ、これは…!」
 ファイは次々と盗賊たちが断末魔を上げているのを食い止めようと、しかしなにもできずにいた。
 目の前で起こった光景に、レオナは胸に抱いたユーリの耳を塞ぐようにして強く抱きしめた。自分が怯えちゃいけない、ユーリに恐怖が伝わって不安にしてしまう。
 そうしている間にも、だんだんと声が減っていく。
 代わりに聞こえるのは、どさっとなにかが地面に落ちる音。
「おい嬢ちゃん! 魔力を辿れ!」
「え、」
「これは術だろうっつってんだよ! 術者が近くにいるはずだ!」
「は、はい!」
 バレンシアに叱咤され我に返ると、すでにイワンが目を閉じて探ろうとしている。
 確かにこれは魔術としか考えられない。どういうものかはわからないが、相手を直接死に至らせる呪いのような術はかなり強力で難しいはず。難しいほど、術師は近くにいる。
 動かなくなった身体をあまり見ないよう、すぐに瞳を閉じて盗賊の身に纏う魔力を感じる。
「…――え?」
「辿りました!」
 イワンが叫びながら指差したのは岩の上。その魔術師は頭からすっぽりと全身を覆う黒の外套を着ており、顔はおろか体型や性別さえもわからない。
 すぐにバレンシアが駆けるが、距離がだいぶあるし、相手は魔術師だ。捕らえることはできないだろう。
 岩の上の魔術師は向かってくるバレンシアを見ても慌てることなく、ずっと一点を見ているように動かなかった。そして今にも届くかというところで身を風に包み、姿を消した。
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