朱の月

2話‐5‐

「ブルーノさん、これってどこに置けばいいですか?」
「ですから、仕事はなさらないようにと申し上げたではありませんか」
「ごめんなさーい」
「それは裏手の食品庫に入れておいてくださいますか」
「はーい」
 魔術を使ってかごを浮遊させながら元気に返事をする。食品庫ってどこだったかなと考え、ひとまず屋敷の裏へまわった。
 ここセラルト伯爵邸に寝泊まりさせてもらうようになって、もう1週間がたつ。レオナは、回復してから毎日こうしてブルーノの手伝いをしていた。
 言われた通り、毎日一度は冒頭のようなやりとりはするが、遠回しにいろいろなことをさせてもらっている。町にでることも多くなり、屋敷にいるからなのか住民にも覚えられてきた。
 初日はコントロールがうまくいかずに失敗することも多く、謝ってばかりだった。しかし今では、魔力を消費しすぎることも、コントロールのミスも、一切なくなった。師から教わった、レオナが使うことのできる術をなるべくすべて使い、どの程度まで精度を上げられるかも確認した。
『へぇ? それでこうしてちょくちょく連絡取ってくるのね』
「うん、ファイにも王宮の様子はなるべくリアルタイムで知りたいって言われたし」
 たどり着いた食品庫で、かごの中身を棚に移す。
 高いところにあるものが多く、気を抜くと落としてしまいそうだ。
『こっちはとくに変わりないわ。…あぁ、しいて言うなら、レオナがいなくなっちゃって私のやる気が格段に下がっていることかしら』
「もー、ミシェル! しっかり仕事してよー?」
『じゃぁ早く帰ってきてー』
 駄々っ子のように口をとがらせて言っている姿が容易に想像できて、思わず吹き出す。
 術を使うことに慣れてきてからは、頻繁にミシェルと通信をして話していた。複数の術を使う練習にもなるし、ファイに言われたからというのもある。
『で、グローリー様はどうなの?』
「んー…相変わらず?」
 言った瞬間、裏庭から激しい音が聞こえた。今日は外に出ているらしい。音が近いということはこちらにまで飛び火がくるかもしれない、そう考え、作業のスピードを上げる。
 毎日絶えず起こる騒音にもすっかり慣れ、レオナもこれが“日常”だと思えるようになった。
 あまり関わらないようにしているレオナには、この特訓でファイがどうなっているのかわからなかったが、朝も夜も関係なく笑顔で命を狙ってくるバレンシアと“鬼ごっこ”をしていれば、確かにいろいろと鍛えられるのかもしれない。そう、いろいろと。
「でもね、そろそろ王都に戻ると思うんだ。やっぱりファイもヘヴルシオンのこととか気にしてるし」
『そうして! グロ―リー様がいないとヴァレリオ殿下がなまけるのよ……いえ、執務はされているのだけど、…なんというか…とにかく! 私がたいへ…え? 殿下がお呼び? あぁーはいはい、すぐ行くわ。じゃ、呼ばれたからいってくるわ。ごめんなさいね、レオナ』
「ううん、いってらっしゃーい」
 投げキッスでもしたのか、ちゅっという音を最後に通信が切れた。


 いつもの昼食の時間になり食堂へ向かうと、なぜかバレンシアとファイがすでに腰を下ろしていた。いままではほとんど姿を現すことがなかった。
 ブルーノは2人の分も食事を用意しているようだが、それがテーブルに並ぶことはなく、いつも1人で食事をしていたのだ。
「あれ? どうしたんですか?」
「終わったんだよ。もともと1週間で、と頼んでいたことだったから」
 ただにやりと笑っただけのバレンシアに代わり、ファイが答える。
 一度着替えたのか満身創痍だったようすは見る影もなく、以前の完璧な私服に戻っていた。疲れているように見えないのはさすがというべきか。
 それでもところどころ生傷や青い痣が見て取れる。あとで実験がてら治癒の術でもしてやろうか。
「1週間でも長かったんじゃねぇの?」
 片足を椅子に乗せ相変わらず行儀悪くファイの対面に座るバレンシアは、意味深に笑みを深める。
「…どういうことですか」
「お前、今の王都の状況、変化とか知ってんの?」
「それでしたら、彼女を通してミシェルから、」
「あの女が素直に話すと思うかっつってんの」
 目を見開いたかと思うと、レオナのほうを見てくるので、あわてて首を振る。
 ミシェルが誤って報告していたというのだろうか。王宮での事情はよくわからないが、専属魔術師長の彼女が状況を知らないとは考えられない。
 しかしそうだとするならば、なぜ?
 上官であるファイの命に逆らっていることになるし、隠すということはファイに王都に戻って欲しくない理由でもあるのだろうか。
 ファイもそう思っているはずだが、それに関して追求することなく声をかたくしてバレンシアに聞いた。
「王都に、なにかあったんですか」
「大きく分けて3つだな」
 どこで聞いたのか、この期間に起きたことをバレンシアはゆっくりと説明しだした。
 まず、王子2人の不仲が王都にまで広まっていること。
 これまで王宮内でささやかれることはあれど、外に漏れることはなかった。王族のいざこざは不信感と不安を生む。漏れないように注意を払っていたらしいのだが、ここで急に広まってしまったらしい。
 ふたつに、王の体調が優れないこと。
 病に倒れたそうだが、現在のところ原因は不明。医者や専魔師があらゆる手段を尽くしているが、症状は一向によくはならない。
 そして、隣国ベティスがこの隙にファーレンハイトへ攻撃を考えていること。
 ベティスに関してははっきりとした情報ではないものの、初めのふたつは確からしい。
 この一番の問題は、
「――国が割れますね」
「その通り。まだ王都で収まってはいるが、民はどちらに付くべきか考え始めてる。王がもしこのまま死んだら? 跡を継ぐのはどっちがいいだろうってな。単純に考えりゃ兄のフランシスだが、器量がいいのはヴァレリオだ。王の考えもまだはっきりとしてねぇが、ベティスまででてきちゃぁ、のんびりもしてられねぇからな」
 レオナが聞いている王子の不仲は、第一王子フランシスの一方的なものからだったらしい。詳しい理由はわからないが、第二王子ヴァレリオに毎回毎回つっかかっているうちに、いまではお互いが敬遠するようになってしまったと。
 ヴァレリオのほうが器量がいいと言っていたのが関係しているのかもしれない。
「思ったより動きましたね……おい、すぐに発つぞ」
 目を合わせ席を立つと、ちょうどブルーノが部屋に入ってきた。
「バレンシアさん、お話し中失礼致します。町はずれに盗賊が現れ、イワンさんが向かっているそうなのですが、」
「あぁ? じゃぁまかせとけよ。あいつも盗賊くらいやれんだろ」
「それが、かなり人数が多いようで来ていただきたいと」
 途端に顔を露骨に歪めたバレンシアは、立っているファイとレオナを見て目を細めた。
 ゆっくりと口の端を上げ、ファイを指さす。
「おいファイ坊、お前行ってこい。特訓の成果をみせるときだろ」
「お断りします。ここは師匠が守っている土地ですし、私は急いで王都に戻ります」
「師匠の頼みもきけねぇのか?」
「弟子は手下ではありませんので」
 まったく動こうとする気配がなく口論を続けるふたりに、腹が立ってきた。
 助けてくれと言われているのに、なぜくだらない押し付け合いをしているのだろう。この国の元近衛兵長と現役の近衛兵士のくせに。
 恐ろしいとか、不安だとか、そうではない。完全に面倒くさがっているだけだ。
「私がいってきます」
 割入ったレオナに、ふたりの視線が向けられる。
「なに言ってるんだ。師匠が行くべきなんだよ」
「嬢ちゃんは大人しくしてな、こいつが行くから」
 ほぼ同時だった。自分の目が据わっているのがわかる。
「もういいです。ブルーノさん、場所だけ教えてもらえますか?」
「おい、」
「私だってサポートくらいはできる…はずよ! 行かないよりまし!」
 それだけ言い放ち、ふたりに背を向ける。
 ブルーノが困ったような表情をしていたが見ないふりをした。

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