朱の月

2話‐2‐

 テーブルを笑いながら囲っていた。
 ファイとランカとアドルフさんとミシェルと、私で。
 机上に並ぶランカの料理は、見た目は黒く焦げていて、なにやら不思議で不快な匂いがするし、正直なんの料理なのか判断ができない。それでも驚いたことに、味は王宮の料理人が作ったんじゃないかと思うほど美味だった。
 ファイが見た目を貶して、ランカが怒る。でも目が合うと途端にいたずらをしたかのように破顔して、また料理を口に運ぶ。ミシェルはお酒が入っているのか、楽しそうにファイを煽って囃し立てている。そんな3人をアドルフさんは幸せそうに、温かく微笑んで見守っていた。
 幸せで平和な光景だった。
 私もランカに美味しいねと声を掛けようとして、気付いた。
 誰も私を見てくれていない。
 なんで? 目の前にみんないるのに。
 ねぇ、私の声、聞こえるよね? 私の姿、見えてるよね?
 声を張り上げても、誰もこっちを見てくれない。視線を遮るように手を出しても、身体をゆすっても、まったく反応がない。
 ねぇ、見えてるんでしょ? 聞こえてるんでしょ? 返事してよ! 私も仲間に入れて! ひとりに、しないでよ…!
 するとみんな会話をやめて私のほうを見る。笑みは完全に消え去り、目を見開いて。その目はひどく冷たくて、侮蔑の色が強くにじむ。
「お前がそんなに使えないとわかっていたら連れてこなかったのに」
「ご両親もさぞ悲しんでらっしゃるでしょうね。娘がこんな出来損ないの魔術師だなんて」
「ひとりにしないで…? よくそんなことが言えますね。私からアドルフさんを奪ってひとりにしたのは、あなたでしょう?」
 ランカが唇を歪ませながら言ったと思うと、アドルフさんの腹部に赤いしみ――血が浮かび上がってくる。血は止まる気配がなく、比例してどんどん血色が悪くなる。
 あぁ、だめだ、このままじゃ!
 治癒の術を使うために言葉を声に乗せる。いや、乗せられなかった。言葉を浮かべているのに、口から音が出ない。
 なんで、なんでなんでなんで! いやだ! アドルフさん、死なないで! アドルフさん!!
 私の叫びも、声にはならない。喉が痛い、頭が痛い、胸が痛い。
 いやだ! また私はアドルフさんを…! …――また?
「レオナ。また、わしを殺すのか?」






「お前はなにしてんだ」
 声とともに再び降ってきた衝撃にまたも眠りを妨げられ、意識を引き戻された。どこか靄がかかったようにはっきりしない頭で、半目で見降ろすファイをなんとか認識する。
「…ちょ、」
「ノックはしたし声も掛けた。女性に手を上げることに関しては俺も心苦しいが、今のお前に対してはなんとも思わない」
 文句を言おうとしたものの、先回りして開き直って言われてしまえば、それ以上は言及もできない。
 それでも不満を言葉にしようとしたが、彼の姿に少し引っかかった。
 ファイは先ほど出掛けたのではなかったか。服も同じだし日付は変わっていないのだろうが、こうも早く帰ってこれるほどの用事とは思えない。
「今、何時?」
「もうそろそろ日没だな」
「え、うそ!」
 ファイが出て行ったのが昼前だった。それからまた寝てしまったのだから、どれだけ寝れば気が済むのだろう。
 なにしてんだ、と言われるのも納得だ。
「ん? お前、汗すごいけど大丈夫か?」
 言われて首筋を触ると、確かにひどい汗だった。さっき起きた時にシャワーを浴びたのだがなぜだろう。
 あぁそうだ、ずっと、アドルフの夢を見ていたのだ。冷酷なファイの目を思い出して、身体が震えた。
 消し去るように軽く頭を振り、答える。
「大丈夫。ファイはもう用事が済んだ…ってわけじゃなさそうだけど」
「あぁ…ちょっとな…、やっぱりついてきてもらえるか」
「…これから?」
「これから」
「すぐに?」
「すぐに」
 嫌な予感にそろそろと布団を被ろうとすると、端を踏まれて動かせなくなる。ゆっくりと顔を上げると目を合わされ、にっこりと、知らないで見れば爽やかに思えなくもない笑顔を作る。
「あまり時間がないんだ。出発は10分後。……逃げようとか考えるなよ?」
 あぁ、やっぱり近衛兵士らしい迫力をお持ちですこと。
 なにも言い返せず、ただ首を縦に振った。


 昨日は暗かったり疲れていたりであまり景色を見ていなかったが、ここはずいぶんと穏やかな町のようだ。
 ファーレンハイトにしては珍しく風車がいくつも並び、遠くには水車も見える。中心地は家や店など建物が所狭しと並んでおり、かなり賑やかでありながら緑が多く植えられている。中心地を少し離れると農業のための畑が景色のほとんどを占めるほど、まったく違うそれがあることに驚いた。
 そして、誰もが楽しそうに、生き生きと農作業や商いなどの仕事をしており、ファイを見つけると何人も声を掛けていくのだ。近衛兵士だからではない。親しみのある表情で、言葉でだ。
「すごく、いい町なんだね」
 心の底から自然に出た言葉に、ファイはどことなく嬉しそうにあぁ、と返した。
 障害物のあまりない風景の中に大きなレンガ造りの建物の屋根が見えてきた。おそらくあれが目的地、領主の屋敷なのだろう。貴族の割にはさほど豪華さや無駄な大きさなどはなく、それでいてしっかりと存在感を示しているような佇まいだ。
 庭や外観も丁寧に手入れされてはいるようだが、不思議と人の気配を感じない。
 問おうとファイを見ると、何故だか顔色が悪い。確か師に会うと言っていたが、それにしては嬉しそうではないし、緊張とも少し違う気がする。
 しかし暑い。普段通りに着込んできてしまい、予想外の暑さに汗が滲み出てくる。こんなに暑いのならば、一言宿を出る前に教えてくれてもよかったではないか。
 八つ当たり的に文句を言いたかったが、冗談も言えない空気だったので大人しく静かにしていることにした。
 入口では、穏やかそうで背筋の伸びた男が出迎えてくれた。
「まだいるか?」
「はい。自室でくつろいでおられますよ」
 男が答えると空気が少し重くなったように感じた。彼も笑顔なのに不思議だ。
 ファイが咳払いをし、ついてくるようにと目で促される。家令であろう男はそれ以上ついては来なかった。
 室内に入ってみると、やはりここは貴族の屋敷なのだと認識させられた。
 王宮ほどではないが、手すりの縁や燭台、絵画などなど、置いてあるものすべてが上等なのだ。豪華絢爛、とは言い難いが、シンプルであるからこそその価値が光るというのか、そういった物に疎いレオナでも上質さがわかる。
 見惚れながらファイについていたら、ある扉の前で足を止めた。
「……入らないの?」
 動きを止めたまま入る気配がない。特に返答もなくファイは静かに深呼吸し、ノックしようと手を挙げた。
「いつまで待たせんだこのバカ」
 彼のノックよりも先に扉が勢いよく開いた。
 開いた扉の中では、背が高く短い髪の快活そうな女性が、眉をひそめて片足を上げていた。つまり彼女が蹴り開けた、ということなのだろうが、女性にあるまじき行動よりも驚いたことがある。
 ファイが、もろに扉に額をぶつけているのだ。
 確かにあのタイミングで突然開けられたらそうなるのも理解できるのだが、ファイは一般人ではなく、近衛兵士だ。気配を読むなり、扉を避けるなりして防げるはずではないのか。
「…師匠、その足癖の悪さ、どうにかしていただけませんか」
「あたしが悪いんじゃねぇだろ? 避けられないお前が悪い」
 あきらかに怒りを抑えながらやっとファイが口を開くが、彼女はまったく意に介していない。
 “師匠”とファイが呼んだのだから、彼女に会いに来たので間違いはなさそうだ。しかしレオナの予想では、ガジェットのような鍛え上げた鋼の肉体を持つ、どことなく老獪な雰囲気の男であろうと思っていたのだが。
 予想に反して女性であるし、容姿だけでは近衛兵士の師匠となりえるほどの人物には決して見えない。いや、態度と言葉づかいを実際目にしてしまった今、豪傑さは確かに理解した。
 彼女がレオナに気が付き、にやりと笑って一歩近づく。
「へぇー女の子じゃん、本物?」
「偽物に見えますか?」
「…まじっぽいな。ふぅーん? お前も成長したねー」
 会話の意図が見えないが、とりあえず笑顔をつくる。
 なぜだろう。最近人に会えば頭からつま先まで品定めするようにまじまじと見られてばかりだ。
 横目でファイをみやると、先ほどよりはほぐれた顔で、黙ってろと訴えられる。
「なーんだ、お守りしなくてすむかと思ってたのに、めんどくせー」
「残念でしたね。いつまでも昔の私ではありませんよ」
 だからまったく意味が分からない。
 ソファーに座った彼女に倣い、ファイも向かいに座る。堂々と近衛兵士とその師と並んで座るのは腰が引けて立っていると、すっかりくつろいでいる彼女が声を掛けてきた。
「あぁ、気にしないで座れ………あんた、」
 急に立ち上がり、迫られる。
 驚いて立ちすくんだレオナの額に冷たい手が当てられる。冷たさに反射的に目を閉じ、再度捉えた彼女は、きつく眉を寄せていた。
「ブルーノ! 大至急来い! ファイ、お前やっぱりまだ坊やだよ」
「は? どういうことですか」
「この子とずっと一緒にいて、なんにも気付かないんだろ?」
 ファイが怪訝そうにこちらを見る。
 その様子に舌打ちし、少し声を荒げた。
「すげぇ熱出してんだよ、この子! 一緒にいたお前がなぜ気付かない!」
 彼女の声に、熱なんて出していたのかと自分でも驚く。そういえば身体がだるかったのも、暑かったのも、熱のせいだと言われれば納得だ。
 熱だと自覚してしまったら、急に視界が歪んだ。目を見開いて立ち上がったファイを見ながら、意識は途切れた。

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