朱の月

1話‐1‐

  ―― ねえ聞いた? また南の町で騒ぎがあったって。
 聞いた聞いた。最近多いわよねー。
 うわさでは死者もでてるとか!
 怖いわー…。同一のグループの可能性もあるんですって?
 そうみたいだけれど、犯人、捕まえられないからわからないんですって。
 でも、実は上層部の方々は知っていらっしゃって、混乱を防ぐために隠しているとか…。
 上層部といえば! 私昨日グローリー様にお会いして …――


 レオナはほうきを動かしながらさりげなく耳を傾けていたが、相変わらずの内容に気落ちした。
 ここ王都、さらには王宮にまでくれば望んでいる情報を得られると思っていたのだが、どうやらその考えは甘すぎたらしい。
 この1週間で流れてきた情報はどれも同じうわさ。盗賊が現れただの、殺人がおきただの、行方不明者がでただの、第一王子と第二王子の不仲がどうのこうのだの、その程度のものだ。
 確かにこのファーレンハイト国は平和で、流れてくるうわさのような事件が起こることは滅多になかったから珍しいことではある。さらに具体的な内容や犯人がなにひとつわからず、王子同士の不仲まで囁かれては、不安に拍車が掛かって広まるのも仕方ないだろう。
 レオナが求めているのは、そんな事件のことではない。
 ただ、兄が残した言葉について知りたいだけなのに。
「ねえ、レオナはどなたか気になる方はいないの?」
「え? あ、私はまだ新人で、あまり存じていないので…」
「確かにそうね。王宮は華やかよー! 兵や貴族の方は見目が良い方が多いから、目の保養になるわよ」
 突然名を呼ばれ、少し反応が遅れる。
 下働き仲間である彼女は全く意に介してないようで、姿を思い描いているのか、頬に手を当てて息を漏らした。
 愛想笑いを浮かべ、適当に相槌を打つ。
 王都ではうわさされるような事件はまだ起きていないようだし、若い娘には形の見えないうわさよりも、身近な男の話のほうが興味の対象のようだ。
(下働きとして情報を得ようとしても無駄か。やっぱり蔵書庫とか、上層部に当たらないと…でも……)
 彼女たちに気が付かれないよう、こっそりとため息をもらした。


 ファーレンハイトは、中央大陸の南部に位置する大国だ。
 中央大陸の1/3を占めていて、広い土地を利用して様々な作物が育てられており、面している海では海産物も豊富に獲れるので、国は豊かで平和というのが他国でも有名だった。
 数百年前までは数ある小国の1つにすぎなかったファーレンハイトが急激に成長を遂げた影にいたのは、魔伎という少数民族。
 魔伎は他の者にはない不思議な力を持っていた。風と会話し、炎を操り、時空を飛び、幻を見せ、未来を見る。そんな彼らの力はいつしか魔術と名付けられ、力を操れる者は魔術師と呼ばれた。
 王宮にいる専属魔術師はその中でも優れている者にしか与えられない称号であり、生涯不自由のない生活を約束される。公爵と同等の地位を得、国の内政に深く関わることとなるため、滅多なことでは会うことはできない。
 レオナは王宮内のその居住区に侵入し、ある人物を捜していた。
 いくら城で働いている身とはいえ、ただの下働き。勝手に自分の区域以外に足を踏み入れれば、厳罰を受けることはもちろん、いやもしかしたらすぐに処刑されてしまう可能性もある。
 下働きとして潜入した1週間、専属魔術師のことについても耳を立てていた。
 しかし大した情報は流れてこず、彼らの居住区の位置程度しか聞き出すこともできなかった。一か八か気を張りながら侵入してはみたものの、目的の人物に会える補償は全くない。
 静かに息を吐き、気持ちを整える。
 まだなにもしていない。自分はやるべきことがあるのだ、始まってもいないのに臆病になってどうする。
 ふと、人の気配を感じ近くの柱に身を隠す。
 以前から知っている落ち着いた気配と魔力のにおい。間違いない、彼女だ。
 緩やかに波を描く灰色の髪、魔伎の民族服に少し手を加えたような華やかな専属魔術師の衣装に身を包む姿に、思わず目を奪われる。
「なにしてるの、こんなところで」
 声は背後からした。目視すると、そこには先ほどまで目に移していた姿と同じそれ。
「あいかわらず、人の後ろに立つのが好きだね」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかしら。兵、呼んじゃうわよ?」
 面白そうに言うその口調が懐かしくて、小さく笑ってやっと身体ごと振り返る。
「久しぶり、ミシェル。その服、よく似合ってる」
「あら、ありがとう。レオナもどこからどう見ても下働きの娘ね」
「…これには訳があるのよ」
 汚れている自分と華々しい彼女。素材から彼女のほうが華美であるのに身にまとうものすらもこう違うと、普段あまり外見など気にしないレオナもさすがに気が引けた。
 すると彼女は頬を赤く染め、
「いやだ、着こなしてるってことよ。レオナにはどんな服だって似合うわ。こうして下働きの服なんか着てると、なんだかいじめたくなっちゃうわね…」
「ミシェル、ストップ…! ほんとに変わらないね…」
「いいじゃない。4年もレオナに会えなくて、寂しかったのよ?」
 怪しい空気を纏って近づいてくるミシェルを制すと、本当に泣きそうな顔で見てくる。
 女の自分でも色っぽいと思ってしまう表情であっても、4年前までは毎日見ていたのだ。今更動揺はしない。
「よくない。久しぶりに会えて嬉しいのは私もだけど、ここへは聞きたいことがあって来たの」
 真剣な表情で言い、彼女を見つめた。
 すぐになんのことか思い当たったようで、近づきながら声を潜める。
「確かに、私はここへ来てあの言葉を聞いたけど…相手がレオナでも、話せないわ」
「なんで? 私がどれほど調べたか、どれほど必死か、知ってるでしょう!?」
 声を荒げたレオナに、落ち着くようにとミシェルが促す。
 頭では、専属魔術師の立場もあるし、昔のようになんでも話してもらえる訳はないとわかっていた。あれだけ調べても聞いてもわからなかったことだ。
 専属魔術師ほどの上層部にならないと知りえない話。レオナの思いを知っていても話せない――話してしまったら危険があるというのだろう。彼女の言い方には警告も含まれていた。
 それでも、やっと見えた手掛かりなのだ。自分に危険があろうとも関係ない。
 ただ、知りたいのに。
「もう、充分すぎるほど覚悟したよ! 私はどうなってもいい。教えて! “へヴル」「レオナ!」
 ミシェルに口をふさがれ、身体も拘束されて、初めて気が付いた。
 自分の後ろに別の人間の気配がする。
「興味深い話をしているな」
 聞き覚えのない声。目の前のミシェルを見ると、顔を盛大にしかめている。
――見つかった。
 退避しようと身体に力を入れたが彼女は離そうとせず、動くなと暗に伝えられる。
 ゆっくり拘束が解かれ、レオナをかばうようにミシェルが前に出た。後ろの人物に向き合った彼女は、見事にきれいな笑みで顔を覆っていた。
 本当に、彼女の心は全く読めない。
 一瞬前までは厄介だという気持ちを前面に表していたのに、今ではそんな様子は欠片も見えないのだ。付き合いはかなり長いが、そんな自分もミシェルの本当の部分を知っているかと言われると自信はない。
「まぁ、グローリー様。珍しいところにおいでですわね」


 王宮まで潜入してみると、よく聞く名というのがある。
 いくつかある中でも群を抜いているのが、“ファイ・グローリー”だ。
 なんでも、まだ若いというのに近衛兵士になり、さらには第二王子の側近という立場でもあるらしい。思惑があって王宮に来たレオナには全く関係も興味もないことだったが、それでも覚えてしまうくらいに耳にしない日はなかった。
 初めて見るその彼は、歳は20代中ごろくらいだろうか。背が高く、がっちりしているわけではないが鍛えられていることがわかる体つきをしている。短い黒髪は無造作でも不思議と品を感じさせた。
 なるほど、整いすぎていない、どこか庶民的なところがまた女たちの人気を集めるのだろう。
 少しかさついている唇がゆっくりと開く。
「下働きの女が1人消えたと報告があったからな。一応こっちまで来てみたんだが…ビンゴだな」
「申し訳ありません。私が彼女をここまで呼んだのですわ」
「こそこそと2人きりで会うためにか? 疑うなと言うほうが王宮では難しいということ、お前ならわかるだろう」
 有無を言わせない口調だった。
 下手に口出しをするよりはミシェルに任せておこうと思っていたが、このままでは彼女にも迷惑がかかってしまうかもしれない。
「それに、今、なんと言った?」
 初めて茶色の瞳と目が合う。見定められるように上から下まで眺められ、言葉がのどに詰まる。
 久しぶりに見る、真っ直ぐな瞳。
 彼は自分の信念に忠実に、恥じない生き方をしているのだろう。国の兵士でありながら、汚れや闇が一切見えなかった。
 答えるのも忘れ吸い込まれそうになっていると、そこに微かに驚き、疑惑の色が浮かび、すぐに消された。
 呑まれないようににらみ返す。
「勝手に入ってきてすみませんでした。私は、…知りたいんです。国中で求めても、わからなかったから」
 横でミシェルが止めようとしている。
 しかし相手は近衛兵士。こんな大物、逃がすわけにはいかない。
「なにについて知りたいと?」
「――“ヘヴルシオン”」
 自分にたった一つだけ残された手掛かり。
 聞きなれない言葉ではあったが、忘れたことなんて一度もない。
「…その言葉をどこで耳にした」
「答える必要がありますか?」
「そうだな、答えなくともかまわん。ただし、そうなればお前の行先は牢屋になるぞ」
「グローリー様! 彼女はやつらに関係などしておりません!」
 焦ったように、再びミシェルが立ちはだかった。
「“やつら”……“ヘヴルシオン”って、組織なんだね」
 はっとミシェルが息をのんだ。口を開き、固まった後そのまま閉じる。
「私はどうなってもかまいません。とっくに覚悟もしています」
 ファイはしばらくなにも言わず、ただレオナを見ていた。なにか判断しているのだろう、負けじと視線を合わせた。
 墓穴を掘ってしまったミシェルが、落ち着かないように二人を交互に見ているのが視界の端に映る。
「お前、名は?」
「…レオナ。レオナ・フィンディーネ」
「レオナ・フィンディーネ、お前の王宮での生活を許可しよう」

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