朱の月

序章 -0-

 静かな、夜だった。
 血のように赤い月が怪しく、妖艶に、真っ黒い空に浮かんでいた。まるでそこだけが別世界のように。
 私は一人寝つくことができず、ただただひたすら月を見ていた。
「まだ起きてたのか」
 少し低い、心に直接響いてくるような落ち着いた声。生まれてからずっと聞いている、一番安心できるそれは、振り返らなくても主を教えてくれる。
「うん…なんか月、きれいだなって」
「そうだな」
 あぁ、そうだ。彼のこの雰囲気は、月に似ているかもしれない。静かで、儚げで、いつも見守ってくれているような。
 ほら今だって、姿は見ていないけれど、彼の気配がするだけでこんなにも心が温かくて、幸せになれる。
「もう11 …になったんだったか」
「そうだよ。もう、あれから6年」
「思えば、レオナには淋しい思いばかりさせているな。父さんも母さんも、あまり覚えてないだろう?」
 ふと、彼にしては饒舌だなと思った。いつもは話を振るだけで、ほとんど自分が話しているのに。
 両親の話だって、思い出したくないとでも言うように滅多なことがないと口にはしなかったが。
「どうしたの?」
 違和感についに耐え切れなくなって振り向こうとすると、なにか見えない力で押さえつけられた。
 急に眠気が襲ってきて、視界がぼやけてくる。
「またひとりにしてごめん。でも、もう一緒にいられない」
「…な…んで……」
「――“ヘヴルシオン”に、ぼくの居場所を感じたんだ」
 身体を起こしていることができなくなり、重力に従ってゆっくりと傾き始める。
 今気を失っちゃだめ。彼が手の届かないところに…私から離れていってしまう。また、一人になってしまう。
 私の希望通りにはいかず、闇に溺れるように意識が途切れた。


 目覚めると、彼の――兄の姿はどこにもなかった。
 私に残されたのは“ヘヴルシオン”という言葉と、さっきまで感じていた優しい匂いと温もりだけだった。

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