朱の月

4話‐1‐

 列車を降りたところで簡単な(これはファイがいたから簡単で済んだらしい。本来は倍以上の時間と手間が掛かる)手続きだけを済ませ、再び王都に足を踏み入れた。
 予想通り日が沈んでおり、一定以上の階級の者しか乗ることのできない、王宮の側まで伸びている列車も、すでに最終が出てしまっている。
「じゃあ、私とユーリはどこかで宿を取って休むね。明日、報告も兼ねて正式に王宮を訪ねるから」
「あぁ、そうしてくれ。費用はこちらで出す。お前のことは警備の者に伝えておくから、そう手間にはならないようにしておく」
 ファイは他にもいくつかレオナに伝えると、馬を借りるのだろう、すぐにレオナたちの元を去って行った。
 無理に動かしたせいで、全身が悲鳴を上げている。痛みを誤魔化すために飲んだ薬の効果もすでに切れ、じくじくという痛みと熱を含んでいる。
「行こうか、ユーリ」
 笑顔を作って彼に言うと、隣に並んでレオナの腕を己の肩に回させた。
「無理しないでいいからね。支えることくらいできる」
 自分よりも小さい彼の言葉は、等身大の彼そのもののようだった。
 小さく礼を言ってからその気持ちに甘えて支えてもらい、一番近かった宿に入った。



 翌日は、どんよりとした重たい雲が空一面を覆っていた。身体が不自由な上に天候まで悪いとは、もうこのまま倦怠感に身を任せ、一日部屋に籠っていたいという気持ちにすらなる。
 それでも王宮にはいかなければならないし、レオナ個人としても王宮に行けばミシェルに会うことができる、という思いもあった。
 何度も心配そうに連絡してきた彼女。しかしキーラとの戦闘後は通信できるほど魔力が安定せず、一度も話せていない。ファイが昨晩帰還したことは知っているだろう。おそらくレオナのことも聞いているはずだ。
 心配を深めてしまったのか、安心させたのか、怒らせたのか、それはわからない。
 ただ、ファイに食って掛かってそうだなぁと思うと同時に、堪えきれずに失笑した。
「なに笑ってんの?」
 突然笑い出したレオナに容赦なく不審な目を向けるユーリは、それでも優しく丁寧な手つきでレオナを座席に座らせてくれた。
 一般市民が通常では乗ることのできない特殊な列車は、座面がこれまでとは全く異なってふかふかと柔らかい。防御用の魔道具も惜しみなく使われている。
「ちょっとね、思い出し笑い…じゃないのかな。想像したら可笑しくて」
 当然意味の理解できないユーリは首を傾げた。
 ミシェルを知らない彼には説明してもわからないだろう。収まらない笑いをそのままに、意味もなく謝っておいた。
 そうだ、ユーリのこともミシェルに頼まなくては。レオナでは金銭面的にユーリを養って一緒に生活していくことは難しい。レオナはもちろんのこと、ユーリが働いたとしても、しばらくは生活がままならないに違いない。
 彼は悲しい境遇からか充分なほど自立しているし、賢さに愛嬌もある。レオナがヘヴルシオンを――兄を追っている間は、ひとりでも過ごしていけるだろう。
 独りはつらい。それはきっとユーリも同じだ。
 だからどういう結末になろうと、目的を果たした後は彼と過ごしていこうと決めた。
 自分の存在が必要でなくなるまで。共に生きる相手が見つかるまで。
 保護しているのだといいながら、本当は自分こそが彼の存在に救われることになるのだろうが、そんな些細な違いはレオナにとってどちらでもいいことなのだ。



「レーオナ!」
 いつの間にか寝てしまっていたらしいレオナは、王宮に最も近い駅に着いたことでユーリに起こされた。
 ここまでは大した距離もなく時間も掛からない。そんな間にまさか寝てしまうとは、自分に驚いた。
「ご、ごめん」
「いいよ。怪我してるから、その分やっぱり疲れちゃうんでしょ」
「そうなのかなぁ…」
 どこでも寝るような図太い性格だと思われたら嫌だなと思いながら、頬を掻いた。
 列車を降りてからも、王宮まではある程度の距離がある。貴族であるなら馬車を使うのが通常なのだが、駅で借りられるのではない。事前に手配しておいて、各々の屋敷の遣いが迎えにくるのだ。
 ちなみにレオナとファイが王都を発つ時の逆の道のりは、彼が用意しておいてくれた馬車で駅まで向かった。
 そんな身分ではない2人は、当然ながら王宮まで歩く。
 1時間あれば着く程の距離は、今のレオナにはかなり遠く感じられた。
 ファイが手配してくれていることを期待しながら、それはさすがに不可能だろうと冷静に考えている自分もいた。そしてその期待は、全く別の方向から裏切られることとなったのである。



「レオナーっ!!」
 声の主を視認するよりも早く、背後からきつく抱きしめられた。
 その衝撃に全身が軋んだが、おそらく当人は全く気付いていないのだろう。頭をぐりぐりと当てられ、力は強まるばかりだ。
 離してもらおうにも、息が苦しいのとあまりの激痛に声が出ない。
「あの、怪我、してるから、離してあげて欲しいんだけど…」
 知らない人間だからなのかいつもより控えめだが、ユーリの言葉に心から感謝した。
「あぁっ! ご、ごめんなさい…!」
 やはりファイから怪我のことは聞いていたらしい。慌てて離れたミシェルは、それでもレオナの肩は掴んだままで全身を見回した。
「やだ……本当にひどい怪我じゃない…! ちょっと、相手のこと教えなさい」
「え、ミシェル、なにするつもり?」
「敵討ちに決まってるわ! レオナを傷物にした代償は重いんだから…!」
 瞳に燃えるような熱を浮かべるミシェルは、それを本気でしそうで怖い。
 レオナのことで怒ってくれるのは嬉しいが、極端な思考はどうにかならないものだろうか。
「ていうか、傷物って言わないでくれるかな…」
 なんとなく心に傷を負ったレオナの述懐は、彼女には届かなかったようだ。
 彼女の意識を引くよう一度咳払いをして顔を両手で挟む。無理やりこちらを向かせて、目を強く見つめる。銀の双眸が大きく開かれてレオナを映したのを確認してから、額をつけた。
「ミシェル、私は大丈夫だから。心配してくれてありがとう。迎えに来てくれたのも、ありがとう」
 優しく微笑むと、なぜかミシェルの頬が赤くなった。
 さらに、瞳がとろんと甘く変化し、蠱惑的な雰囲気まで感じ取れる。
――まずい。
 理由はわからないが本能的にそう感じたレオナは、彼女から距離を取ってユーリを間に立たせた。
「そう、この子のことミシェルに相談しようと思ってたんだ!」
 レオナから離されて淋しそうにしていたミシェルは、嫌々ながらもユーリに視線を落とした。
 すると、目を瞠ったまま表情を凍らせる。
 レオナが見知らぬこどもを連れていたことがそんなに意外だったのだろうか。それとも、幼い頃のレオナをなぜか溺愛していた彼女だ、もしかしてユーリのことが可愛くて仕方ないとか言い出すのではないか。
 どれほど幼く見えようと、ユーリはもう16歳らしいのだ。ミシェルのような、なんというか、刺激の強い“大人の女”という人物からの変愛を受けさせてはまずい気がする。
 精神衛生上、というのではなく、人間的に。
 そう結論に至ったレオナは、早口で捲し立てた。
「ミミミミシェル! この子ユーリって言うんだけど、親を亡くしたみたいなの。だから生活できるようになるまでは、私と一緒に暮らしていきたいと思ってて。で、私はそこまで稼ぎとかもないし、申し訳ないんだけど出世払いってことで、ミシェルに援助してもらえないかなって!」
 目は口ほどに物を言う。
 いや、口でも十分に訴えてはみたのだが、それ以上の効果を期待して強く感情を乗せ、ミシェルを見る。
 まだユーリを見ていたミシェルは、突如我に返ったように、笑顔を浮かべた。
「もちろんレオナの頼みならいいに決まってるわ。でもそうしたらレオナは王都も出てっちゃうってことなのかしら?」
「ううん、ひとまず王都に腰を降ろそうかなって。今のところ一番安全だし」
「そう。よかった」
 出資してくれることに安堵した。
 これでユーリに言ったことを実現できる。
「本当にありがとう。ユーリ、この人は私の友人で、ミシェル。王宮に勤めてるの」
 事態を飲み込めていないのか、ユーリはミシェルに対して何も言わず、ただ軽くお辞儀をした。
 そういえば、出会った当初も同じような反応だったかもしれない。あまり口数もなく、笑顔もなかなか見せてはくれなかった。
 彼の境遇を思えば当然かもしれないが、すでに心を開いてくれたらしい態度を見てしまった後だと、多少の違和感が拭えないようになっていた。
 ミシェルも、薄く笑みは浮かべてはいるものの、ユーリに対して積極的な様子はない。こども好きだと勝手に思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
 まぁ、王宮仕えのミシェルとユーリが今後大きく接点を持つことはないだろうし、そもそもミシェルから会うために足を運ばなければ、会うこともないだろう。専属魔術師は多忙なのだ。

 そこでふと気付いた。
「あれ? ミシェル、なんでここにいるの?」
 専魔師は多忙だ。さらに長であるミシェルはそれより群を抜いているほどに。毎朝の会議はもちろんのこと、王子に付いていたり、研究の確認をしたり、国政に関わってもいるらしい彼女が、なぜここにいるのだ。
 そもそも、今のこの時間は会議だったと記憶しているのだが。
「迎えに来たに決まってるじゃない」
 当然のように言い放ったミシェルに、一瞬ファイの姿が重なった。自分の行動の異常さを微塵も疑わない、むしろ堂々たるその姿。
 長たる者が、こんなことで会議をサボっていいのだろうか。見たこともない彼女の部下に同情を覚える。
 白い目を向けていたことに気が付いたのか、ミシェルが頬を膨らませた。
「なぁにー? せっかく馬車も用意させたのに、不満ならこのまま私だけ乗って帰るわよ?」
「不満なんて! 本当にありがとう! ミシェルほど気が利く女性はいないよね!」
「あらそう? もっと褒めてくれてもいいのよ」
 あからさまな賛辞にも、ミシェルは気を良くしてくれたようだ。
 背後で呆れているユーリの背を叩き、先に停めてある馬車に向かったミシェルの後を追う。
 手を取られて乗った馬車は、ファイが以前手配してくれたそれとはずいぶんと異なっていた。外観は彫刻が微妙に異なる程度のものであるが、決定的に違うのが内装である。
 庶民が使う乗合馬車は、余計な装飾が一切なくて椅子が堅く、窓からのみ光を取り入れるようになっている。効率を考えて、広さ的には10人強が入れる広さだ。
 ファイが手配したものは、貴族の基準で考えれば一般的なものだ。主人と客人、必要に応じて従者も座れるような、小さくも狭くはない造りにはだが、細部に至るまで繊細で絢爛さが溢れ出ている。短時間でも座っていれば痛くなるような椅子には、上質で分厚い布が引かれているため、振動を全て吸収してくれていた。天井には魔道具の明りも置かれている。それでも使う人物を表わしているかのように、決して華美ではないものだった。
 そして今乗っているミシェルの手配した馬車は、彼女専用なのであろうことが一目でわかった。少し広めである以外の造りは貴族のそれと変わらない。大きく、どうしようもなく違うのが、装飾品の数々である。
 ミシェルの唯一の欠点と言っていいのが、趣味の悪さだ。通常は現れないその欠点は、置物に対して最大限に発揮される。
 椅子の緩衝材として置かれている布の柄、窓を縁取るよくわからない人形、掛けられている絵画など、黒魔術でもしたいのかと思うような、いかにも怪しいものばかりなのだ。長年一緒に過ごしてはきたが、この趣味は理解できないししたくない。(ミシェルの自室にこれらがなかったのは、きっと誰かに猛反対を受けたのだろうと想像している。)
 多少は慣れているレオナが、一瞬動きを止めながらも乗り込むと、次に乗ったユーリが目を丸くして完全に静止した。目線は窓の人形。
 見る見るうちに青ざめていく彼を不憫に思いながら、優しく頭を撫でてやった。
 理解できぬ恐怖を映す瞳にレオナが映り込んだのを見てから、安心させるよう微笑む。
(うん、気持ち悪いのはわかるけど、今は大人しくしてて)
 そう心で思うと、伝わったのか、ユーリは遠慮がちにレオナの側へ腰を降ろした。
 最後にミシェルが無邪気に笑いながら乗り込むと、馬車はゆっくりと進み始めた。


 そして門を越えてからミシェルに起こされて、レオナは自分がまた寝てしまっていたことに気付き、深く落ち込んだのだった。

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