朱の月

3話‐15‐

 礼を言われてこんなに嬉しくないことは初めてだった。それでもアンヘラが重々しく話した内容には、半ば予想していたということもあり、それほど驚くことはなかった。
 殺し方を見て、見せしめみたいだなと思っていたのだ。
 それが誰に対してかなど、彼ら夫婦が襲われたことと考えればすぐにわかることである。
「……うん、わかった。話してくれて、ありがとう。……でも、お礼なんて言わないで? 言われるようなこと、してないから」
「…そうかい」
 アンヘラは特に追求することもなく、優しく頷いただけだった。
 しばらくお互いに口を閉ざしたまま、静寂な時間が過ぎた。
 なにか聞いた方がいいのかもしれない。彼女が立ち去らないのも、自分が知らずともしてしまった行いを責めて欲しいという表われのようにも思う。
 しかし、レオナにはそんな権利はない。
 話が終わったとみたのか、ファイがいつの間にかアンヘラの側に立ち、肩に手を置いた。弱々しい笑顔を浮かべて一度ファイを見てから、またレオナに向かう。
 目を強く覗きこまれた。
「あとね、ジェイクのことだけど、」
「え!」
 声を上げてしまったレオナに、目を軽く見開いてから柔らかく微笑んだ。
「相変わらず、お兄ちゃんが大好きなんだねぇ…。ジェイクは、ヘヴルシオンにいるし仕事もこなしてはいるみたいだけれどね、いつもどこか上の空なことが多かったよ。私が魔伎の紹介をさせられた時も、私事でレオナのことを聞いてきたのさ。居場所を知っているか、元気にしているか知ってるかって」
「そんな、だって兄さんは、」
「組織に逆らうつもりはないんだろうけどね、あんたのことを心配してはいるよ。大丈夫」
 優しい声は胸に染み渡るようだった。
 ジェイクに直接聞いてみなければわからない。組織に逆らうつもりがないのなら、レオナを殺せと言われれば躊躇わずに殺すかもしれないということだ。
 でも、素直に嬉しいと思ってしまった。
 まだレオナのことを考えていてくれているということが、たまらなく嬉しい。期待しすぎてはいけないのだ。心配してくれていようとも会いにきてくれないのなら、なにも変わりはないのだから。
 それでも、不安で不安で仕方なかったレオナには一筋の希望が見えた気がしてしまう。
 黙って俯く。
 アンヘラが立ち去る気配がして、静かに扉が閉まる音だけが部屋に残された。
 8年前の姿のままの彼を記憶から呼び起こす。記憶の中の彼は、いつもレオナを見て優しく、でもなぜか傷ついているような悲しい笑顔しか浮かべていないのだ。



「レオナー、ごめん、ちょっと開けてー」
 どれほど時間が経ったのか、茫然としていたレオナにはわからなかった。
 とんとんとんと、音が響いた後、扉の向こうからユーリのくぐもった声が届いた。粥ができたのだろう。
 お盆を持っていたら両手がふさがっているのは当然だ。ファイはどうやって運びいれたのかと考えながら、助けてやろうと返事をした。
 ゆっくり寝台から足を下ろす。立つという感覚がずいぶんと久しぶりな気がする。
 足の裏の感触を確かめるようにしてから、一歩前へ踏み出した。右足に体重を乗せた瞬間、激痛で頭が真っ白になり、力が抜けた。
 傾く視界の中で思ったのは、
(私最近倒れてばっかりだなぁ)
 という己の状況にそぐわない、なんとも呑気なものだった。
「お前は倒れてばっかりだな」
 至近距離で同じことを口にしたのは、呆れたようなファイだった。
 倒れそうになるたび支えてくれている男は、優しいのではなく単にタイミングがよかっただけだと思う。
「というか、まだ動くなって言わなかったっけか?」
「…言われました」
 再びベッドに座らせられながら、何度も倒れているという自分が恥ずかしくなってきた。
 抱え込まれるように支えられ、時には抱き上げられもした。そのたび非常に近い距離で顔を見ている。さらには、なぜか今朝は額がつきそうなほどの距離で見られていたのを思い出してしまい、急に恥じらいが出てきてしまった。
 頬に手を当てて横目で見ると、尊大なファイにユーリが文句を言っていた。
 今回はファイが レオナに扉を開けさせるなんて馬鹿か、と詰っており、ユーリが押され気味だ。
 このままでは勝てないと見切りをつけたのか、花のような笑顔でレオナに粥を差し出した。
「はい、お待ちどうさまー! 見てほら、どっかのだれかさんの毒みたいなお粥とは違って、美味しそうでしょ? もちろん味にも自信があるから、安心してね」
 音が聞こえなければ、可愛らしい新妻のような微笑ましい光景なのだが、発せられた言葉には隠すつもりもない棘がそこかしこに散りばめられている。ちなみに、後ろでファイが形容しがたい“すごい顔”をしているのは、それを視界から消してないものと考えるようにした。
 そうして机上の鍋に目をやると、まさしく“お粥”があった。
 キラキラと白く輝く米に、溶け込むように加えられた黄色い卵、真ん中に色を添えている葱など、想像通り見た目も匂いも素晴らしいものだった。
「わ、美味しそう…」
「でっしょー! 得意とは言えないけどね、俺はいろいろできるの、俺は」
 嬉しそうなユーリは、状況を悪化させようと関係ないようだ。それどころか故意に言うことが楽しそうに見えるのだが、気のせいだと思いたい。
 手を合わせて食べ始めた粥は、言うだけあって美味ではあったが、途中からユーリを引きづって廊下に出たファイの説教なのか嫌味なのかが延々と聞こえてしまい、最後まで美味しくは食べられなかったのであった。



 昼も過ぎたころ、食事をしたのがよかったのかある程度は自分で動けるようになったレオナは、クルグスを早く出ようと提案していた。
 今からなら最終列車で王都まで戻れるだろうし、自分のせいで滞在を延期するのが嫌だったからだ。
 もちろん置いて行ってくれて構わないと最初に伝えたのだが、またキーラに襲われてはかなわないからと却下されてしまった。
 それならば、せめて王都まで早く着いてしまった方がいいと思った。レオナも王宮へ向かった方がいいのかもしれないが、ひとまず王都にさえいれば、ファイも気にせず仕事に戻れるだろう。
「って言ったってお前、まだ満足に動けないだろ」
「どうせほとんど列車で座ってるんだから大丈夫。それに、とにかく戻れれば治してもらえるし」
 怪訝そうな顔をするファイに、重ねて説明をする。
「専魔師のノーバットさん、治癒得意じゃない」
「あぁ、あいつか。あれはフランシス殿下付きだから、俺はほとんど関わらないからな」
 鋭さすら感じる声音。専魔師である彼を疎んでいるかのよう。
 王宮に勤めているというのに関わらないというのは意外にも思ったが、そういえば王子たちは仲を違えているのだと言っていたのだから、顔を合わせることはあれど、術についてなどは完全には把握していないのかもしれない。
 そもそも、専魔師はあまり人目に晒されない立場である。
 レオナは知己だからと例外的にミシェルに会えていたのだ。他に7人いるという専魔師には会う機会も、権限もなかった。
 ただ、ノーバットだけはよくミシェルに会いに来ていたので話したことがあるというだけだ。
 傍目から見てもわかりやすすぎるほどミシェルに想いを寄せている彼は、レオナも具体的な特質などは知らない。一度小さい傷を治してもらったことがあるため、たまたま治癒が使えると知っていたのだ。
 レオナも治癒を使えることには使えるようになったのだが、こうも全身になってしまうと効き目に不安があるし、そもそも、キーラとの一戦が原因なのか魔力が安定していない。
「専魔師って、誰付きとかあるんだね」
「本当は王族一人につき最低一人、必要ならもっと付けたりできるんだが、専魔師自体が少ないからな。今は陛下に一人、フランシス殿下に一人だけだ。正式なお付きでなければ、ヴァレリオ殿下も時々によって連れ回してるがな」
 連れ回してるとはどういう表現だ。主人に使う言葉とは思えない。
 そういえば、純粋な戦闘能力が高かった母は、当時の陛下付きだったと聞いたことがある。相棒である男と馬が合わなくて合わなくて、優しく親身になって相談にのってくれた、長である父といつの間にか恋に落ちて、結婚したらしい。
 この話は直接聞いたのではないのだが、両親がいないことを淋しがっていた幼い頃のレオナに、よくミシェルが聞かせてくれていた。
 たとえ今は側にいなくても、レオナは愛されて、望まれて、生まれてきたんだからね。だから、いつもレオナの胸にいるよ。ずっと一緒にいるから、悲しまないで、と。
 その言葉よりも、レオナ以上に泣きそうなミシェルが必ずきつく抱きしめてくるから、ミシェルを悲しませちゃいけない、と思う気持ちの方が大きかったように思う。



「なに? なんの話?」
 鍋を片付けていたユーリが戻ってきた。
 専魔師について簡単に話していいものかと戸惑っていると、軽い調子でファイが言う。
「今日ここを発つって話だよ」
「え、まだレオナ動けないでしょ!」
 ファイと全く同じことを言われてしまった。
 事実として、全治1か月はかかるだろうと目測している怪我だから仕方のないことではあるのだが、そこまで重症扱いされるのは居心地が悪い。
「つらいことは認めるけど、魔力もある程度は回復してるから、補助くらいはできるよ」
「そういう問題じゃないの! 女の子怪我させた上に、無理強いするわけ?」
 後半は明らかにファイに向けて非難している。
 言いだしたのはレオナだし、彼はユーリと同じように否定してくれていたのだが、ユーリがそれを知っているはずもなく。
「そもそも、殺人犯のところにひとりで行かせることが間違ってるの。いくらレオナが魔術師だからってさ、おーんーなーのーこ、なの!」
 女の子扱いされるというのは嬉しいはずだ。それがこうも複雑な気持ちになるのは、彼が年齢以上に年下に見えるためなのだろうか。
 レオナにとっては庇護対象であるユーリに守られようとしている自分がなんとも滑稽というか…いや、そう言ってしまってはユーリに対して失礼であろう。
 しかし隣のファイを盗み見たら、やはり微妙な表情をしていた。言っているユーリ自身に対してか、言われているレオナに対してなのかは判断ができない。
「ちょっと聞いてんの? 魔力封じられちゃうかもしれないんだから、もうレオナだけで行動させないでよね」
「はいはい、聞いてますー」
 手を払いながらファイは立ちあがると、準備しておくようにとだけ言い残していった。
 まだ不満そうなユーリだが、ファイに決定を変える気がないと悟ったようだ。
「俺がしっかりついてるからね!」
 強い決意を伝えてくれたユーリに感謝しながらも、どこか引っかかりを覚えて首を傾げた。
 その原因はすぐには見つけられず、ひとまずレオナも出発の準備を始めた。
 発車まで、あと1時間。
inserted by FC2 system