朱の月

- 天敵 -

 遥か昔に廃れた古城。
 自身に与えられた一部屋は、部下の手によって過ごすのに問題がないよう整えられ、必要最低限の家具が揃えられている。幹部でなければ与えられないそこは、彼女にとって居心地のいい場所とは言えなかった。
 怒りが収まらないまま寝台に倒れこむキーラは、呻き声を上げながら両手足をばたばたさせた。
「むーかーつーくー!!」
 原因はもちろん、キーラの戦闘の邪魔をした人物である。
 いままで協力してくれていたと思ったら、突然“戦闘をやめろ、殺すな”だなんて、勝手にもほどがある。この件はキーラに任せるとまで一度は言っていたのにも関わらずだ。
 しかし、そいつに逆らえばヘヴルシオンでの立場も危うくなるし、本人自体は大した力がなくとも、常に護衛の1、2人をつけているのだ。それは特殊な剣を、卓越した剣技を持つガジェットであったり、命令には忠実なジェイクであったりと、固定はされないが、信用ができて実力の高い者が選ばれている。
 ちなみに、キーラは信用の面で選ばれたことはない。
 通信の時も不満を口にしていたし、今だって殺意を隠そうともしていないのだから、当然の判断である。
「おかえり、随分と荒れてるね」
 原因の人物ほどではなくとも怒りの一端である男の声に、詠唱せずに真空の刃を放った。だが、それは彼に届く前に音なく空中で霧散した。
「消してんじゃないわよ」
「まだ死にたくないからね」
 彼は八つ当たりにも動じず、ゆっくりと歩いてくると、キーラが突っ伏している寝台の脇に立った。
 いつもそうだ。彼は誰に対しても近すぎず遠すぎず、瞬時に殺せる距離をとる。
 頭を掻きまわしながら身体を起こした。不機嫌を隠そうともせず、睥睨する。
「で、なんの用?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「妹ちゃんのこと?」
 彼はなにも答えず、微笑みを深くした。
 彼が自分を訪れるだろうことは予想していた。知己だという、ヘヴルシオンから逃げた魔伎の夫婦にもよく妹のことを聞いていたし、たまたま接触したという、滅多なことでは会話をしないガジェットにだって聞きに行っていたのだ。
 それならば、戦闘をしてあわよくば殺そうとまでしていたキーラに、聞きたいことも言いたいこともあるのだろう。
 小言を言われるのだったら、無駄だろうと攻撃してその隙に逃げてやろう。
 小さく決意する。
「元気にしてたよー。あたしと闘うまでは。てか、なんなのあの子。魔力も技術もありそうなのに、完っ全に逃げ腰。つまんなかったんだけど」
「戦いに慣れていないから」
「そういう問題ー? あんたのこと追うつもりなら、普通死ぬことくらい覚悟するでしょ。殺すのもね」
「できることなら、人は殺めないほうがいいさ」
「あんたが言う?」
――ヘヴルシオンの、最も忠実で冷酷な手足くせに。
 嘲るようなキーラの言葉には反応しない。
 この男は、自らたった一人の肉親である妹を捨ててヘヴルシオンに入ったというのに、なぜかこうしてよく彼女のことを気にしている。それでも会いに行くことも、近くにいても話しかけることもないのだ。大切に思っているのは間違いないようだが、そうなると行動の意味が分からない。

 なにを考えているのか全く予想のできない彼に、少し悪戯心が湧いた。
 嘆息してから話し出す。
「そいえば、あんたも見てたんだろうけど、兵士の男と一緒にいたじゃん? あれさぁー、……恋人じゃないのぉ? なーんか随分仲良さそうだったけど」
 彼もクルグスの町にいた。もちろんあの兵士のことなど知っているだろう。ただ、彼は術の発動圏内ぎりぎりの位置まで離れていたため、細かい会話や表情などは把握していないはずだ。
 知己を殺したときでさえほとんど感情を動かさない彼が、大切にしているらしい妹に恋人がいるかもしれない、と聞かされたらどんな反応をするのか、キーラは楽しんでいた。
「あたしが殺そうとしたの止めた時、抱きしめてたよー? コジュん家来た時も、妹ちゃんに気ぃ配ってたしぃ。どうすんのー?」
 わくわくしながら彼の表情を見て、思わず凍った。
 笑顔を浮かべたままであるのに、後ろに鬼が見える気がする。笑顔が真っ黒に見える気がする。
 これは、調子に乗りすぎたのかもしれない。
「いや、でも妹ちゃんもあんたのこと気にしてたし、うん、兵士のやつは思い違いかもねん!」
「へぇ、別に僕は気にしていないよ。レオナに恋人ができるなんて、いいことじゃないか」
 気にしている。
 彼が2文も話すなんて、動揺しているに違いない。
「あ、そう? じゃ話はこれで終わりねん!」
 立ち上がって足早に去ろうとするキーラの肩を、彼が掴んだ。決して強くない力なのだが、動くことができない。
「…………なに?」
「今日はもう任務もないだろう。久しぶりの休みなんだから、ゆっくりすればいい」
「あんたは護衛とかあるでしょ」
「今日は休みを頂いている」
 頭を抱えたくなった。
 なにか言い逃れはできないものだろうか。あまり使わない脳を高速回転させたものの、やはり普段から使っていないことが仇となったのか、なにもできないまま座らされてしまった。
「君とは付き合いが長い方だけれど、あまり話したことはなかったよね。せっかくお互い休みなんだ。色々と話さないか?」
「あたしは話したくない」
「冷たいね」
 彼の後ろで魔力が渦巻いているのがわかる。わかりたくもないのにわかってしまう。
 ただの話だけで終わらせてくれと、キーラが唯一敵わないと思う彼に胸中で訴えた。


 その“話”が彼の気が済むようにキーラが言い換えるまで終わらなかったということは、ヘヴルシオンの中で最も有名な噂となったのだった。

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