朱の月

‐理想の‐

 その子は本当に、比喩とかじゃなく、本当に空から降ってきた。



「エマル! あんた今日は帰り何時頃になんの?」
「ジョン達と飲んでくるから、今日のうちには帰ってくる!」
「はぁ、色気ないねー」
「う、うるせぇな!」
 心底呆れたようにため息を吐く姉に大して言い返せもせず、今日も仕事に出る。
 俺だって自分で望んで色気のない日々を過ごしてるんじゃないっつの。街の女の子は小さい頃からずっと一緒に育ってきてるし、今更恋なんて芽生えないよ。
 大体姉ちゃんだって今まで男っ気全くなかったくせに、急に結婚するなんて言っちゃってさ、弟の俺にくらい話してくれたっていいのに。
 まぁ、母ちゃんの代わりに家事全部やってくれてるからあんまり文句言えないけどさ…。家のことだけじゃなくて性格もどんどん“母親”になってきたから困るんだよなー。
 肩を落として街中を歩く。すぐにあちこちからいろんな人が声を掛けてきてくれて、なんでもないよーって笑いながら手を振り返す。
 今日は遅番だから、出勤時間といってももう昼前。うちの店、もう混雑してるんだろうなー。
 俺の働いてる店はこの街一でかい食堂で、頼み込んでやっと1年前から厨房に入れさせてもらえるようになった。だから俺はこの仕事に誇りを持ってる訳なんだけど、さっさと結婚して幸せな家庭を持ってる姉ちゃんには、俺が相手も見つけずに仕事ばっかしてるのが気に食わないみたいなんだよねー。
「ったく、お節介なんだよなー昔っからー」
「お? また姉貴になんか言われたのか?」
「俺、口に出してました?」
「駄々漏れ」
 心の声が漏れていたらしく、トトさんに笑われた。
 トトさんは副料理長をやってて、厳しいし怖いしきっついけど、料理の腕は本当にすごい。同じ材料で同じように作ってるはずなのに、俺のと全然違うんだよな。
「で、エマルの理想はどんなんなの?」
 大して興味もなさそうに聞いてくるトトさん。それでいて適当に返事すると絶対突っ込んでくるから、こっちはどんな質問でも真面目に答えないといけない。
「俺の理想ですかー? んー…………………………」
「おい。答えは」
「いやー、理想って考えたことないっす」
「外見は?」
「外見ー………………?」
「あー、じゃあ髪の毛。黒とか金髪とか長短」
「強いて言うなら長い方がいいっすかね。あ、隣町に銀髪の人いて、あれは綺麗だなーって思ったことあります」
「瞳は」
「えー…強いて言うならー……」
 こんな感じでなぜかトトさんによる誘導尋問みたいな俺の理想像を固められること30分くらい。余裕をもって出勤してきたのにもうギリギリの時間になってて、慌てて厨房に向かう、その時だった。



「じゃ、俺入りまー、」
「エマル! 上!」
「うえ?」
 言われるままに見上げたものの、警戒も何もなかった俺は上から落ちてきたそれを正面から受け止めてしまい、つぶれたような声を残して倒れた。
「ってて…な、に……」
 俺の上に乗ってたのは、見たことのない女の子だった。
 華奢な身体、細くて綺麗な長い銀髪、目を閉じていても分かる、整った顔立ち。
「と、とととととトトさん! お、女の子!」
「見りゃわかるわ」
「え! どっからきたの!? 俺じゃないっすよ!」
「お前が連れて来たとかさすがに思わねぇよ」
 トトさんに助けを求めても、トトさんもよくわからない状況に手を出しにくいみたいで、苦い顔をしながら近寄ってくれなかった。
 でもまずいって! いくら突然でてきたからって、女の子をほっとくわけにもいかないしこのまま俺が抱えてるってのもダメだし!
 トトさん助けて!
「――…ん………」
「ひぃ!」
 俺の上で女の子がついに動いた。とっさに情けない声を上げながら両手も挙げる。
 ゆっくりと長い睫毛が上げられて、宝石みたいな紫銀の瞳が不安そうに左右に動いて、俺に向けられた。
 その瞬間なにも考えられなくなった。頭が真っ白になった、とかよく言うけど、まさにそれ。女の子の不安そうな目に吸い込まれそうになって、間抜けに口を開けて固まってしまった。
 だって、その子は散々トトさんに言われて思い描いた理想像そのままだったから。


* * * * * * * *


 軽く鼻歌をうたいながら散々行き慣れてしまった道を進む。
 すれ違う人たちが温かい目で「頑張れ」って言ってくれるのが、嬉しいような恥ずかしいような、なんとも微妙な気持ちになってたりする。
 でもいいんだ! 俺は、自分の気持ちに素直になるから!
「こんにっちはー!! お邪魔しまーす!」
「エマルまた来たの?」
「そりゃあねぇ!」
 家に入った瞬間に目に入ったフレアから冷たい言葉を浴びせられつつも、俺の視線はその隣。フレアの隣でぎこちなくでも笑ってくれるようになった女の子。
 彼女の笑顔を見れるようになっただけで俺も嬉しい。
「こんにちは、シェリー。今日めっちゃいい天気だよ! 外行かない?」
「あー、そうなんですか…?」
 俺に返事をしてくれはするけど、ちらちらとフレアの様子を伺ってる。まだ俺に対して警戒心なんだか壁なんだかあるみたいで、なかなか心からの笑顔とかは見せてくれないんだよね。
 フレア曰くシェリー自身がまだ不安定な状態っていうのと、人見知りが激しいらしくてやっとフレアとおじいちゃんおばあちゃんにも心を許せたくらいだから、俺なんかあと1ヶ月は無理だろって。
 そう言われ続けてもうすぐ2週間なんだけど、シェリーの中で俺の印象が変わってくれたかはよくわからない。
 この間天井から突然降ってきたこの女の子は、どうやら記憶がないらしい。記憶って言っても自分のことが分からないだけで、このファーレンハイトのこととか常識とかはちゃんとある。
 親のことも今までのことも分からないと言ってたシェリーは、たまにすっごく怯えたように丸まってることがあった。俺は見たことないけど、突然泣き叫ぶこともあったみたいだ。
 でもおじいちゃんおばあちゃん、それにフレアが毎日近くにいて支えてあげて、今は落ち着いた。
 俺はそのシェリーに一目惚れしたわけでこうして通ってるんですが、そんな不安定なシェリーを守ってあげたいって、俺が笑顔にしてあげたいって日々努力しております。
「ね、フレアも一緒でいいからさ! 行こうぜ!」
「なんで私はおまけみたいな言い方してんのよ」
「だっておまけだしなぁ」
「あんた……私に逆らって無傷でいられると思ってるの?」
「ひぃ! シェ、シェリー、助けて!」
 そうしてシェリーの背中に隠れるようにする。
 なにか反応ないかなー。なんでもいいんだ、戸惑うんでもいい。俺のこと見てくれれば。
「…ふふ。フレアは全然怖くないよ…ですよ」
「あ、笑った! 敬語じゃなくていいんだってー! うん、やっぱシェリーは笑ったほうが可愛いって」
 満面の笑みじゃない。でもシェリーが笑ってくれたのが嬉しくて、俺も見本を見せるように にぃっと笑って見せる。一瞬目を丸くしてから、さっきよりも力が抜けたように微笑んでくれた。
 もうそれだけで心臓が握られたみたいにぎゅっとなって。
 その笑顔が見れただけで俺、今日頑張れます。
「へへっ。じゃ、俺仕事行ってくる! また明日来るからなー!!」
「なに、これから仕事だったの? またトトさんに怒られるわよ」
「いいのー!!」
 大きく手を振ると、シェリーも控えめだけど振り返してくれた。
 やっぱり、好意とかじゃなくてもちゃんと前進してる! きっとすぐに俺にも笑い掛けてくれるようになるし、きっと俺のこと好きに……なってくれ…る、はず……。うん…。
 まだ知り合ったばっかだもんな、まだまだ時間はある!
 今年の姫巫女祭も2か月後に迫ってるし、それが終わればすぐ新年を迎えて、春になって、シェリーを楽しませるような行事はいろいろあるんだから。
 いつも羨ましいと思いながら見てるだけだった姫巫女祭。今年は俺も頑張るんだ。
 自然頬を緩ませながら、小さく拳を握った。

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